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思考拡張日記。

読者と料理とネットが趣味です。

文書の読み書きばかりしている。

生活 文章

文字の読み書きで、日々が過ぎていく。

日常的に作る文書は、誰かに向けた連絡のものでなく、個人的な閉じた言葉が多い。閉じたといっても、多少なりともは誰かに読んでもらいたく、Twitter、ブログ等を利用している。
仕事中、ふと思ったことを書く時には、小さなメモ帳を使用している。


【目次】

文書で時間をつぶせる

文書を作ることは、いい暇つぶしとなる。
なんとなく自分のなかで引っかかった言葉を文字に起こし、こねていく作業で、どんどん時間が過ぎる。

いつも似たようなことばかりを書いているにしても、延々と自問自答を繰り返すなかで、少しずつ己が何を言いたいのかが見えてくる。頭のなかで漠然と渦まいているだけであった思考がはっきりと見えてくる。

書くためには読む必要がある

文書を作成するためには、多くの文字・言葉を取り込まなければならない。
書籍、新聞、ネット記事、ブログ、街中の広告。あらゆる所から言葉を脳内に流し込み、混ぜ合わせていく。
何処から見つけた言葉だったかとかは全て忘れてしまうし、また、読んだ端から記憶が抜け落ちていく。だが、とりあえず頭に1度通過させておくことが大切だと感じる。

読み書きは疲れる

読み書きは、脳への負荷が大きく、また、集中力も要する。
日課的に繰り返しているはずなのに、いつまで経っても慣れないというか、ひどく疲れる。また、時間がどれだけ無限にあろうとも、足りなくなる。あっという間に1日が終わってしまう。

仕事に役立てたいとか、業務的な連絡文を作る際にアドバンテージを産める、とかを目算していた訳ではないが、副次的に日常の読み書きが功を奏している。

お金を遣わなくなる

買い物をしなくなったし、無駄な外出を行なうことも無くなった。暇になる、ということも無くなった。
以前はとにかく暇だった。予定の無い休みはどうやって過ごせばよいのかさっぱり分からなかった。片っ端から連絡し、誰か遊べる人を無理やり見つけて過ごしたりしていた。また、暇だからという理由で、遣わなくても良いお金を沢山遣った。

低消費生活を送りたいのならば、文書の読み書きをすることをオススメする。


考えることから人生は始まる

思考を放棄してしまっては、思慮は深まらない。分からなくても分からないなりに、自己の考えや意見を持つことで、物事は進んでいく。そこから人生が始まる感じがある。

そんな訳で、今日も読んだり書いたりをして1日が過ぎた。

じっとしていることが、苦手だ。

日記 生活


何事も飽きやすく長続きしない反面、本当に楽しめることに関しては、コツコツと小さな積み重ねをすることができる。

一気にババっとハマって試行錯誤はしてみるが、見切りを付けるのも早い。

これでは何も実績を残すことが出来ずに、スティーブ・ジョブズの言うところのコネクティングドットとは程遠いのではと危惧していた。

だが、何かの節に、過去の経験とかやってみたことがボチボチと役立つ瞬間も訪れる。

そんな折には、「何事も経験だね」と実につまらない一言を吐き出したくなる。


【目次】

「熱しやすく、冷めやすい」

学生時代より、頻繁に周囲の人から言われていた。
何かを始める時は、それこそ周囲を巻き込んでのスタートなのだが、辞める時は誰よりも早く立ち去る。そして、周りがようやく楽しみだした頃には別の物に熱中していた。

そんな感じに生きているので、とにかく1つのものだけに集中するということが苦手だ。
ちょっと作業を始めてみるも、すぐに別の物に意識が向かい、そっちを始める。

なんでも飽きる

1冊の本を読めない

これは読書においても言えている。
1冊の本をじっくりと読むことがとにかく苦手だ。手元には必ず、5、6冊の本を並べている。飽きた時、少し疲れた時に別の本を読めるためにだ。


飲み会や食事会なども飽きる

最初の1時間から2時間近くまではどうにかこうにか、気持ちを保てるのだが、それ以上は本当に無理である。1度意識が離れてしまうと、それ以降、周囲の人の言葉が耳に届かなくなる。曖昧な返事と相槌だけを繰り返し、また、早く帰りたいオーラを無意識のうちに発してしまう。

そもそも、誰かの話をじっと聞き続けることが出来ない

学校の授業ほどの苦行はなかった。
他人の話を黙って聞き続けることが出来ないので、椅子に座って黒板の文字をノートに写しながら、ひたすらに話を聞き続けるのが最高に辛かった。ほとんどボーッとしていたし、内容が頭に入って来ず、「何か言葉を話しているな」ということを認識するのが精一杯だった。

黙って聞く、受け身の授業は辛いだろうからと、たまに気を利かせたつもりの先生が、唐突に質問を生徒たちに降り始めるのも苦手だった。頭が一切稼働しておらず、そもそも何をしているかを把握してないレベルなので、その質問の言葉の意味が全くない分からないことが多々あった。

複数のタスクを同時進行しなくとも、幾つか用意しておくのがベスト

何か1つをじっと作業する(とくに興味関心が一切無いものについて)ことが、困難なので、ちょっとでもやりたい別のことが心に出てきた時にそちらに向かえるような環境を作っておくのが、ある意味集中力を保てるのではと思っている。

受験勉強などに関しては、1つのことを粘り強くやらねばならないので、勉強以外のタスクは排除せねばならない。
だが、そこまでに制約の強いものでない場合は、あっちに行ったりこっちに行ったりを繰り返しながらでいいと考えている。

自分は本を読みながら、ネットで調べものをして、今後の予定をメモしながら、ネットオークションの出品の準備をしたりしている。あとは、部屋を片付けて、料理をしながら、メールの返信をしたり、ブログを書いている。食品の買い出しに行き、図書館で本の返却を行い、古本屋で100円棚を漁る。

何もしない、ということが苦手

そんな感じに常に何かをしながら生活しているので、なんというか心休まる時があるない。いや、別に好きで動き回っているので嫌になる瞬間とかは無いのだが、「何もしない」ということの難しさを感じる。
自分は多動症の一種なのだろうか。

人はたいしたことをしなくても、忙しさを感じるし、充実感を得られるものだ。

仕事の話しかしない、同僚たち。

仕事 生活


自分の仕事の話に興味が持てない。

職場のほとんどの同僚は、もっぱら仕事に関する話題ばかりを休息時間にも話している。
会社の方針や、勤務形態や、休憩時間の量について。そんなにも仕事が心底好きな人しか、いないのかと驚かされる。
職場にいるあいだは仕事のことしか話さずに、プライベートな話題は一切のぼらない。

【目次】

仕事以外にしか興味がもてない

自分は、全くもって話に面白みを感じることが出来ず、本の世界にばかり向き合っている。アメリカのドラッグ事情。ナマズの生態。ホモ・サピエンスの歴史。なるべく自分の日常からかけ離れた世界を堪能し、いわば"現実逃避"に近い行為をとっている。
ただ、逃避行為といっても、辛い現実から目を背けるためという訳でなく、本を読む方が刺激的で面白いと思えるからだけのことだ。

自分の時間を売っているだけ

嫌なことも確かにあり、辞めたいし、そもそも働きたくないと感じる瞬間もある。
だが、企業に属することは、自分の時間を切り売りし、それをお金に換えているだけなので、別にあれこれ議論せずとも、就業を迎えれば家に帰れる。

その会社内では大事件だったとしても、外部の人間から見れば、「それがどうしたの?」という様なことで大騒ぎしている。

本当は取るに足らない些細な出来事も、大袈裟に見せかけることで、「大変なことをしている」「自分は凄いんだ」と自己暗示をかけようとしているとしか思えない

そんな感じに生きた人が、会社の肩書きを失うと共に、人生の目的も無くしてしまうのだろう。

誰かの作ったルールの中で生きているのを自覚する

決められたルールや、枠組みのなかで生きているに過ぎないのに、それが世界の全てだと思い込んでしまうのは、どうも視野が狭いとしか言えない。
少しばかり業務内容に変更が出たり、制度が変わるだけで、天変地異が起きたごとく右往左往してしまうのだろう。

どうせ自分以外でも務まるよう代わりの効く仕事をしているのならば、そのことを自覚した上で割り切って生きていくほうが気楽だ。
プライドが高いのか、自己重要感が強いのか分からないが、変に自尊心を高め過ぎするのも良くないのでは感じる。

ブログ継続のコツは「今、ここ」に注目すること。

ブログ 生活


脳科学者、茂木健一郎のツイートを今朝は読んでいた。

「継続の秘訣は、常に今、ここに没入すること」というテーマでつぶやかれていた。



何かを成し得るためには、長期間の不断の努力が必要となり、そのためには、うまい具合にフロー状態を保つことが求められる。経験の積み重ねは、己の自信を構築する反面、足かせになる可能性が高い。

これをブログ継続に当てはめていきたい。

【目次】

過去記事のまぐれ当たりは気にしない

ブログを書いていると、予期せぬタイミングで記事がヒットすることがある。思わぬ反響を産めた時に「よし!この流れでブログを成長させていくぞ!」と意気込む。
その心意気自体は大切であり、継続のモチベーションになる。
ただ、必要以上にその幸運を引きずり続けることはよくない。新たに記事を作成する際に、その記事との比較を無意識の内にしてしまう。
うまく書けたと思ったのに、全く反響が無かったりすると、あの時はあんなにブックマークやコメントが付いたのに!と焦る。

その状況回避のコツとしては、1記事、1記事を楽しむということだろうか。
まさに、「今、ここ」だけに注目するということだ。

運営期間、記事数も気にしない

僕はブログを2年以上やっているし、記事数も900個位になっている。
その割には全然アクセスが無いし、読者数も少ない。だけれども、そんなことばかり考えていたりするとブログを書くことが楽しくなくなる。
これだけ今まで頑張ってきたんだなと、自信に繋げることが出来ればいいが、上記のように「これだけやっているのに、全然ダメだ」みたいな状態に陥るのは、もったいない。

毎回、初めて記事を投稿するような気持ちで、書いていくことが大切だ。


うまく書けない日もあると割り切る。


文書力は日々上達していけるかといえば、そうでもない。

今日はいい感じだぞと、気分がのってあっという間に書き上げてしまう時がある。
逆に、少し書いては消して、書いては消してを繰り返し、終いには保存せずに閉じてしまうこともある。

文書はナマ物というか、その時の自分の精神状態や環境に物凄く影響を受ける

特に疲れている時には書けなくなる。思考力が停滞しているからだろう。自分の場合は夜に書くのが難しい。1日に起きた出来事の情報が脳内に蓄積され、ワークメモリが一杯になってしまっている感じがする。
ワークメモリが埋まってしまったパソコンと同じように動作が重くなる。ちょっとした簡単な作業でも、うまく起動出来なくなる。自分の脳を再起動させる意味で、さっさと寝てしまったほうがよい。

こんな感じに、文書を作ることは様々な影響を受けやすいので、うまく書けない時があっても割り切ろう。そして、うまく出来なかった記事の時に限って反響があったりするからよく分からない。

おわり

夢中になってやっている内に経験値は溜まる。時間や我を忘れて没頭することが大切だ。大切だ、と言うとそれを意識しなければならないような感じになってしまうが、フロー状態を利用するのが、何かを成し得るためには1番効率が良い


「今、ここ」を意識して、過去とか未来とかあまり気にしないで、生きていこう。



おまけ

ちょっと前にプロブロガーのかん吉さんの本を買ったのだが、結構良かった。
ブログ内容をまとめ直したと言う感じだったけれど、すごく読みやすいし、ためになった。ブログ継続のモチベーションアップのためには、こういう本を読むのも良い。

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1人でお金を遣うことが苦手だ。

日記 生活

僕はあまりお金を遣わない。

お金を遣うことが苦手な理由は、お金が無ければ何も楽しみを見出せない、つまらない人間だと、自分を認識させてしまう気がするからかもしれない。


基本的に、自分が楽しいと感じる瞬間は、あまりお金の掛かっていないイベントや体験をしている時のことが多い。

どうしてもお金を遣ったうえでの娯楽となると、損得感情が働いてしまう。
「あれだけ支払ったのに、こんなもんか」とか、「お金を無駄にしたかもしれない」とか、そんなことばかり考えてしまう。


【目次】

誰かのために遣うお金は惜しくない

誰かのプレゼントのためにお金を遣う時や、食事をおごる、などといった行為の時にはそんな感情は産まれない。
喜んでもらえたり、感謝されたりすると、「日頃、くだらないことでお金を遣わずに貯めといて良かった」と凄く感じる。
他人のために遣うお金は気分が悪くならないが、世の中のくだらない消費システムに摑まされている時に腹ただしくなる

小屋暮らしの寝太郎さんも、似たような感じのことを呟いていた。

稼ぐ方法よりも、遣わない方法

いかに稼ぐかに注目するよりも、どう遣わないかを、一円単位で考えられる習慣を身につけるほうが生きやすくなる。

遣わない生き方は、金で解決するよりも頭を遣うし、情報を集めたり調べる必要も出てくる。それをただの面倒な作業と思ってしまえば、それまでのことになるのだけれども、自分はどちらかと言えば、生きる知恵が身に付いっている感じがして楽しい
身の回りの物や契約などを、どこまで減らしていくかについても考えはじめる。

ゆとりのある生活

遣うお金を減らせば、身を削って働き詰めになる必要もないし、心にゆとりも出てくる。

節約という言葉を遣うと、貧乏とか、辛い生活、みたいな印象を以前は持っていたが、今は違う。

世間一般で常識とされている、価値観や考え方に左右されず、自分ベースで生活するための知恵という感じだ。

同棲生活を2年間してみて、学んだこと。

恋愛 生活

結婚するなら、同棲を1度してみるのは悪くないと考えている。
実際に自分自身、約2年間ほど行った。


1年目の時にも同棲のことを書いた。
彼女と1年同棲してみて感じたことまとめ。 - 思考拡張日記。


「同棲すると相手に幻滅して結婚までたどり着けなくなる」とか「結婚生活に新鮮味が失われて楽しくなくなる」とか、耳にする。

そういったことは実際にあるだろうし、自分も全く衝突が無かった訳ではない。やはり他人同士が一緒に暮らすとなると、それまでの生活習慣の違いから、うまくいかない部分も多少は出てくる。また、結婚してから初めて一緒に暮らす人よりは、フレッシュさに欠けるだろう。

しかしながらそれでも、同棲しておくメリットはあると考えている。

親と暮らせて家賃の掛からない生活を送れているのなら、無理して同棲をしなくてもよいが、それぞれが一人暮らしをしているような状況であったりするのならば、同棲してみてもいいのではないだろうか。


さて、具体的にどの様なメリットがあると考えられるかについて話そう。


【目次】

相手を深く知れる

当たり前のことではあるが、毎日顔を付き合わせて暮らしていれば、相手がどんな人であるかがよく分かる。
週に1、2回程度、会うだけでは、見えない部分は多々ある。
会っている間の数時間ならば、うまく取り繕うことは出来る。しかし、一緒に暮らしていれば、そんな四六時中、良い顔を作り続けることは困難になる。

まあ、手っ取り早く言ってしまえば相手の弱点というか、ダメな部分が見える。
ダメな所を知ることにより、どんな人であるかがよく分かる。

接触効果で距離が縮む

たまに会うよりも、一緒に暮らすことで接触回数は圧倒的に増える。そして、増えたことにより、親密度は急速に高まる。

単純接触効果とは、認知心理学の一つであり、人は、何かしらの対象物と繰り返し接することで、警戒心が薄れ、好意度が増していくという法則のこと。

短時間で遊べる

離れて生活していると、ちょっとした隙ま時間を利用したデートなんてものも難しい。しかし、同じ屋根の下にいれば、近所をぶらぶら散歩するだけのことでも出来るし仕事終わりの数時間で、遊べたりする。


他には

それ以外に言えるのは、費用の面。家賃は折半すれば半額になるし、水光熱費だって、2人になれば2倍になるというわけでもないので、随分とお金が浮く。

あとは、結婚後に別れたくなる可能性が低くなるということだろう。
別れるのならば、既に同棲期間に別れるはずだ。無駄が無くなるという言い方はちょっと違うかもしれないが、離婚に至るよりは全然マシだ。

同棲も結婚も協力ゲーム

どちらかだけが頑張り過ぎたり、片方だけに仕事や家事を押し付けるのでなく、うまい具合に2人で生活やお金を回していこう。人生をやっていくためのチームなので、それぞれの苦手分野などを補完し合いながら生きていこう。

おわり

結婚の前に絶対、同棲をしたほうがいいとまでは言わないが、するのは結構いい。
結婚した上で一緒に暮らすのとはまた違った楽しみがあると思う。
同棲をしなければよかったという人もいるだろうが、そういう人は結婚する前に別れることが出来てよかったと思う。
もう結婚してしまったから、嫌だけど離婚も嫌だし頑張って一緒に暮らそう、となるよりも幸せだ。




同棲一年目の時に書いた記事

ブログを900記事ほど書いて、感じたこと。

インターネット ブログ

「ブログを毎日書かなければ」みたいな使命感の元に更新していたのだが、随分と気軽に書けるようになった。

なったといっても、具体的に自分の中でどれほどの変化があったのかを調べるのは難しい。

【目次】

自分のブログの書き方

日常のなかから何か少し自分の中で引っかかるモノを引っ張りだしてきて、文章化していく作業でブログを書いている

周囲の誰かが何気なく発した一言、街中の広告で見たワンフレーズ、Twitterのタイムラインで読んだツイート、本を読んでいた気になった言葉。

そういったところから、言葉を少しずつ増やしていき、だいたい1,000文字ほどの文章を作るように心掛けている。

「1,000文字にしよう」と最初から決めているわけでなく、書いている内に気分が乗ってくるとそれくらいになっている、という感じだ。

なので、そんなに思うところが無いことや、なんとなくで書いている場合は、そこまで伸ばせずに500-600文字で終わる。



調べて、書く作業は難しい

何かを調べて、それを自分の言葉で書いていくという作業が、1番求められる能力だと、ジャーナリストの立花隆氏が述べていた。

調べるには、複数の文献を比較したり、頭の中で整理する作業を要するので酷く労力を求められる。
特に自分にあまり馴染みの無い分野についてだと、骨が折れる。
書評ですら内容の要約にかなり労を要するので、情報をまとめ直す作業がどれほど面倒なものであるかが分かる。

自分の場合は正直なところ、手抜きなずるい方針でブログを書いている。
読んだ本の内容をほとんど思い出せなかったりすることが多く、雰囲気しか掴めない。
なので、漠然とした抽象論に終始してしまう。

人間の頭だけで、きっちりとした数値や用語を幾ジャンルも取り揃えておくことは難解であるし、正直なところ、具体的な知識を求めるのならば、その一次情報に自分で触れるほうがいいと考えている。

ただ、漠然とした文章でも、それなりに何か思うところが自分の中に無いと書けない。



ブログを書くと、自分の意見を持てるようになる


日々、ブログ上に、思ったことや感じたことを残す作業をしていると、思考は多少クリアになるし、そこそこに自分の意見を述べられるようになる。

日常生活のなかで、意見を求められた時に何も出てこないということが無くなる。
ブログを書く時に「どうやったら話を広げられるか」とか、「この事象をどういう切り口から捉えていこうか」と常に考えていることが役立つ。


ブログってのは、たくさんのアクセスがあって広告収入を得てナンボみたいな世界観があるが、もっと大切なことを学べる素晴らしいツールだと考えている。