思考拡張日記。

日々感じたこと、学んだことを文章にしています。

「ありがとうございます」は、役に立つ。

他人から褒められた時の対応を、皆はどうしているのだろうか。

自分は、あまり素直になれず、「いえいえ、そんなことはないです。本当にダメなんです」みたいな感じに全力で否定するスタイルを昔はとっていた。

「ありがとうございます。嬉しいです」みたいに肯定的に受け止めて、感謝することを苦手としていた。

【目次】

素直に「ありがとうございます」と、言えなかった

なぜ、不得手だったかといえば、相手のその言葉がもしかすると、お世辞の可能性だってあるし、本心である可能性は低い。
また、すぐに喜ぶということは、余程自分に自信があるんだなと思われてしまうようで、素直になれなかった。

だけれども他人の好意というのは、変に否定なんかせずに喜んでしまえば良い。
何事も考え過ぎるのはダメだ。
喜ぶほうが、言った側としても嬉しくなる。互いに気持ちの良い関係性になるほうがいいに決まっている。

怒られた場合も「ありがとうございます」と言おう

逆に怒られた場合の話もついでにしよう。

叱られた際には、申し訳ございませんの謝罪も当然だけれども、それに加えて、「ありがとうございます」のセリフもあるとよい。
教えて貰わなければ気付けなかった、とか、自分の為を思って言ってくれて申し訳ない、みたいな感謝の念を表しておけば、すごく人生が楽になる。
自分は、この考え方というか、生き方ですごく楽になれた。
必要以上に関係性が悪化することがなくなったし、逆上してしまうことなんて全くない。

逆ギレは百害あって一利なし

逆上は、「なんでそこまで言われなきゃいけないんだ」みたいな気持ちが積み重なって起きてしまう。何を言われてもヘラヘラしている奴、みたいに思われてしまうことは良くないのだろうけれども、逆ギレしたところで良いことは無い。
基本的に、叱られる時は相手が目上である場合が多いし、ドラマの様に啖呵を切ったところで、現実は事態が悪化するだけだ。

素直に感謝しよう

まとめるならば、褒められた時には素直にありがとうございますと言い、叱られた時には、ごめんなさい、教えて頂いてありがとうございます、と言えばいい。

なんかどちらにせよ、感謝ばかりしていて、日本語ラップのようだ。

描いたら即シェア「pixiv sketch」が便利。

絵を描くコストが本当に低下してきているなと強く感じる。

先日、

pixiv Sketch

pixiv Sketch

  • pixiv Inc.
  • エンターテインメント
  • 無料

「pixiv sketch」というアプリをダウンロードした。

絵を簡単にアップロード出来るだけでなく、アプリ内で絵を描くことが可能。

日々のお絵描きをもっとお手軽に

とホームページで謳われているが、本当にその通りになっている。

pixiv Sketch - お絵かきコミュニケーションアプリ

きちんとした絵だけではなく、落書きや描き途中の絵も気軽にシェアできる場所

【目次】

スマホ1つで下書きから、アップロードまで可能

画像を読み込んで背景にすることも出来れば、画像をトレースして自分で描き直すこともできる。

かつては有料のイラストソフトを購入しなければ出来ず、パソコンは必須であった作業が全て、スマートフォン1つで操作可能となったのである。

お絵描きソフトだけでなく、スキャナー、ペンダフといったモノも揃える必要があり、デジタル上で絵を描くことは敷居が高いというか、それなりの手間を要していた。

絵を描く敷居が劇的に下がった

モノもお金も掛からない時代になったなと痛感させられる。

手間暇が掛からずに、ちょっと絵を描いて共有出来るようになれば、絵を他人に見せる機会も増え、またそれと同時に他人の絵を目にする機会も増える。
かつての描き手を目指した人々よりも、現代の若者たちは環境に恵まれ、上達のスピードも早いのだろうなと思わされる。

絵でコミュニケーションしよう

自分が10代の学生の頃は部屋のなかで1人描いていたのに、今では1つのコミュニケーション手段として成立している。

落書きレベルでいいので、絵を描くことが好きな人は使ってみると楽しいアプリだ。

1人で全てをしようというのは、間違い。

最近、主体的に情報を取りに行くという行為に疲れてきた。

主体的・能動的に行動することは、すごくエネルギーがいる。
黙ってじっとしていても、良質な情報が入ってくる環境を構築出来たらいいのになと考えている。分業をすべきなのだろう。

【目次】

情報の分業

分業はとても便利だ。自分の得意なことや好きなことのみに力を注げばよいので、負荷が少ない。
「全部1人でやってしまおう」という、発想は現代には合わないと考える。
そうなるとそこで求められるのが、コミュニケーション能力。人間関係を構築しておくことで、他人に考えてもらえるし、やってもらえる。
しかし、ここでまた矛盾が発生。
コミュニケーション能力を使い、分業をしてもらえる関係性を築くまでの精神的コストが掛かる。そうなると結局はエネルギーを要することとなる。主体的にならざるを得ないというスタート地点に戻ってしまう。どうしたものやら。

周囲に人間をおく

1番良いのは、周囲に人を置いておくということ。それが理想。
それならば、じっとしていても、自動的に情報が入ってくる。オートメーション化が、負荷のない理想的な環境である。
様々なタイプのキュレーターを置いておけば、情報に偏りがなく、一定の思想に囚われることのない生活が送れそうだ。

ネットで情報を集める

1人で情報を集めるのにはインターネットが有効なのだけれども、ネットほど情報に偏りが生まれる場所は他にない。

ネットは見たい物しか見ず、見たくない物は目に入らないようにする事が出来る。
例えば、twitterのブロックやミュート機能。少しでも不快に感じると、そうやって視覚的に取り除くことが可能だ。
また、ネットは自分のなかにあるキーワードでしか検索出来ないので、広がりが少ない。
ネット上には膨大な情報があるといっても、日頃仕入れている情報は似通ったものなのではないだろうか。

周囲に人間をおくのには、シェアハウスが1番

ここで少し話が戻るが、周囲に人を置いておくことは、どうしたら可能なのだろうか。現実的手段としては、シェアハウスのような複数の他人との共同生活がまず1番に考えられる。
あとはコミュニティに複数属すことだろう。
シェアハウスはかなり向き不向きがあるとは思う。うまく活用出来れば、最高の環境であることは間違いない。

疲れが全然取れない。

最近ずっと疲れている。

何をしても集中出来ないし、頭が働かない。

本を読んでも文字をなぞっているだけで、うまく読み込めないし、そもそも読み込む気力が足りない。

【目次】

会話が出来ない

誰かと一緒にいても、会話にうまく参加できない(する気が出てこない)ので、そもそも何の話をしているのかも分からないことが多い。

複数人でいるときは、相づちすら打たずにぼーっとしている。無になりつつある。

本を読んで逃げてる

仕事がめちゃくちゃ忙しいというわけでもないし、どちらかといえば、なるべく働かないでいいよう、仕事から逃げる選択をしている。
休日出勤は入れられないようにしているし、最低限の協力しかしていない。

職場でも面倒な会話に巻き込まれないように、ひたすら本を読んでいる。
スマホをいじっていると遊んでるだけだなと思われて、面倒な事に巻き込まれやすい。だけれども、なんだか小難しそうなタイトルのハードカバー本を広げているだけで、若干距離を取ってもらえる。ありがたい。

ここのところずっと、連休がないのが原因なのだろうか。自分の平均睡眠時間が6時間未満くらいなのが良くないのだろうか。

ブログも書けない

そんな感じだから、ブログにしても書きたい気持ちが湧いてこない。
文章を作るのは、ある程度元気が必要である。
気持ちに左右されてしまうようでは、いつまで経っても文章が上達しない気もするが仕方がない。

久々にゲストハウスに泊まりたいとか、なんかオフ会に行きたい、とたまに思うけど、こんなに疲れていては、行ってもうまく交流出来ない。

30歳になるとこんなにもショボくれてくるのだろうか。

夜は早く帰りたい。

最近、夜に外にいるとスゴく家に帰りたくて仕方がなくなる。

学生の頃は夜まで遊ぶのにも全然付き合っていたのだが、夜は普通に寝たいと思うようになった。

1日の全ての活動エネルギーを消費し終えた精神状態で、何も生産的な行動を起こせるはずがない。
まあ、べつに利益だけを追求している訳ではないが、明日が控えているのに、無理に今日を引き延ばして行動することの無意味さを考えてしまう。

【目次】

体力がない


僕はとにかく体力が少なくて、個人的資質というかエネルギーステータスの振り分けが難しい。
読書をするにしても意欲的に他者と交流するにしても早期決戦というか、早めに片付けてしまうように気を付けている。

長時間コミュニケーションの難しさ

長引くと凄くダレるし、うまく他人に気を遣え無くなってくる。その場にいるのだが、精神だけがもう何処かへ行ってしまう。長時間コミュニケーションが出来るような人間にはなれない。

集中力の持続時間を伸ばしていく方法はあるのだろうか。疲れてしまえば気力は衰えてくるし、頭も働かなくなる。

睡眠するしかないのでしょう。

僕の世界を広げた、ガラケー。

特別お題「おもいでのケータイ」

思い出のケータイは、高校三年生の終わりの頃に買ってもらったドコモのガラケー(FOMA f702id)だろうか。


それまではパケット制限契約をしていて、着うたを数曲ダウンロードしただけで、その月の使用上限額を使い終わってしまっていた。新しい月が始まって1日目にして、使用不可になったこともある。
また、自宅にはネットに繋がったパソコンも無かったので、完全にオフラインの生活をしていた。
よってネットの話とか何も分からなかったし、学校の人間としか繋がりを持っていなかった。


【目次】

勉強はしていなかった

そんな感じの生活を送っていたわりには、勉強に励めていたかといえば、全くそんなことはなかった。どちらかといえば、落ちこぼれていた。漫画ばかり読んでいたし、なんか下手くそなイラストを描く練習したり、小説もどきばかりを書いて生きていた。
地元ではそこそこ有名な進学校に通っていて、周りの人間は医学部にどんどん受かる位に優秀だったのだけれども、自分は浪人した上に、二流の冴えない大学へ入った。

浪人時はモバゲーばかりしていた

浪人中は勉強そっちのけでネットの世界に入り浸っていた。
今思い返せば、1番勉強に集中する必要のある時期に、そんな刺激的なオモチャを持ってしまったことは失敗だったと思う。
ネットを通じて知らない人間とメールのやり取りをしたり、当時流行っていたモバゲータウンのSNS内で交流することが楽しくて仕方がなかった。何が面白いのか今思えば分からないモバゲーのブラウザゲーばかりやっていた。どうにか順位トップの中に食い込めないかばかり考えていた。そんな暇があれば、勉強をして模試のトップ順位を目指せよとしか思えない。

ネットで初めて女性と話した

僕が通っていた学校はほぼ男子校みたいな所だったので、女性とのマトモな会話なんてのも、ネットを介してが初めてだった。
それまでは女性なんてのは全く違う生き物としか考えておらず、同性と接する時とは異なる対応をしなければならないと思っていたがそんな事は無かった。
普通に好きな音楽の話をしたり映画や漫画やゲームの話が出来た。
男も女も、そもそも性の区分の前に、人間という同じ生命体なのだから、大きな違いがある訳がない。

東京へ行く決意をした

ネットで色んな人たちと会話をして楽しんでいくうちに、大体のひとが東京近辺に住んでいるということが分かった。
自分は地方在住だったので、ネットの知り合いたちと遊ぶには、どうにかして東京に行かねばと思い、都内の大学を目指すことにした。

だが、浪人中も予備校の友達とラーメンを食べにフラフラしたり、ゲーセンで遊んだり、マックなどのファーストフード店でダラダラしていたので、またしても勉強をしていない。
家に帰ってもケータイで遊んでばかりで、カバンを一度も開くことなく、翌日の授業を迎える。

これでヤバイと、数科目で受験出来る私立に受験を絞り、ひたすらに英単語帳とか、イディオム集とか、数学の過去問だけを繰り返し解いた。それが良かったのか、受かった大学の試験はほぼ満点で行けた。

実際にネットの知り合いと遊んでみた

そんな感じで東京に出てきて、ネットで知り合っていた人たちと遊んだりしてみた。
どの人とも長期的な付き合いは出来ず、数回で終わった人や、一回きりの人もいた。
だけれども、ネットからリアルへの経験を沢山したお陰で、ネットへの抵抗というか、恐れは少なくなった。
当時はまだまだ、ネットから会うのは危険だとか、恐ろしいみたいな風潮が強く残っていたので、割と早い段階でそんな事は無いというのを感じられた。
まあ、ネットの痛ましい事件とかも度々あるし、ヤバイ時はヤバイのだが、そんなリスクはどんな物にでも付きまとうものなので、仕方がない。

ネットで価値観が広がった

大学に入ってからも、ネットを使ってオフ会に参加したり、バンドを組んだり、ニートの知り合いたちとネトゲを徹夜で楽しんで遊んでいたり、ネットラジオ放送をやってみたりした。

その経験は、貴重なものだったなと思っている。世の中には色んな人間がいて、今の自分の周囲の環境だけでは知ることの出来ない世界が広がっているのだなと実感した。

これからも、ネットで生きる

全てのきっかけは、高校卒業時に入手したドコモのガラケーである。

今もこうやってブログを書いたりtwitterを頻繁に使ったりなど、ネットに生きている。

僕は今年でもう30歳だ。


sponsored by KDDI

物で溢れかえった部屋に、良いことはない。

乱雑な部屋の中にいると、注意力が散漫になり、一体どこへ自分の意識を向ければよいのかが定かではなくなる。

頭が次第に混乱してきて、うまく目の前の事象を処理出来なくなる。


【目次】

人間は多くの物を処理しきれない

以前は、自分は不注意気味な性格だとか、物を失くしやすい、などと考えていたのが、それは自分の努力や意識の問題でなく、環境が原因であるのではと思うようになった。


世の中では断捨離や捨てる力といった類のものが流行っていて、単なるミーハー的な感じがしていたが、自分が実際に断捨離の必要性を体感してみることで、肌レベルで理解が出来た。

持ち過ぎた物に、利点はない

自分の脳で管理し切れない物理量を抱え込むことは、百害あって一利なしである。

いつか使うかもしれない、とか、買った時は高かった、などと言い続け、ただしまい込んでいるだけでは、部屋にデットスペースを増やしているだけのことにしかならない。

不要物をネットで売る

ネットオークションを利用し、物を売ることでお金を得られるので、お勧めはする。すぐさま売れるとは限らないが。
数ヶ月後に売れることもあり、また、ひどく安い値で落札されてしまうこともある。

だが、捨てるとなればゼロ円であり、また、リサイクルショップ等に持ち込んだところでタダ同然の値しか付けられないのであれば、仲介手数料の発生しない直接の取引のほうが、互いに気持ちが良いものであろう。

また、物を譲り合うサービスなんてのも存在する。オークションでは売れないが、まだまだ使える品であるし、捨てるには忍びないという場合は、ジモティー 無料の広告掲示板などのサイトを利用するといい。

乱雑な部屋は精神を犯す

物で溢れかえった部屋は精神衛生上、良ろしくない。
そもそも掃除もし辛くて、ホコリ溜まるし、換気も行き届かずに湿っぽくなる。
日々使う物なんて限られているし、衣類も決まった組み合わせや、お気に入りの服しか着用しないものなので、どんどん処分していこう。

部屋は寝る場所と割り切る

片付け途中で、自分の理想の形まで到達出来ていない場合は、日中は何処か別の所で過ごすようにするとよい。
カフェやファーストフード店、図書館やスーパーの休憩スペースやフードコートなど、低料金で、居場所を確保出来るところはたくさんあるので利用しよう。
特に周囲に知り合いがいなくても、外にいるだけで色んな人間を見られるし、その話し声や騒音が、自分に変化をもたらしてくれる。
人間は同じ環境であり続けることが苦手な生物なので、どんどん場所を変えていくと、心が安定する気がする。

最終的には、自分の部屋を帰って来ても落ち着ける場所にすることに励むことは大切だ。