読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

思考拡張日記。

日々感じたこと、学んだことを文章にしています。

時間>>>>>>>>お金、ですね。

不本意な付き合いにお金と時間を略奪されることが嫌で嫌で仕方がない。


【目次】

時間は随時、減衰していく

少しも望んでいないことで、待たされたり、他人の時間を奪うことをなんとも感じないような人々の気持ちがさっぱりと分からない。

お金は遣えば減る。
遣わなければ減らない。

だが、時間はどうだろうか。
遣わなくとも、遣おうとも、逐一減っていくのだ。
どこで何をして何を考えて過ごそうとも、一刻、一刻、魂は削られていく。

そのことを深く理解して欲しい。

暇つぶしの意味

もはや、"暇つぶし"という言葉の意味が分からない。潰そうとしなくとも、どんどん無くなっていく時間を如何に自分のことに有効に使おうかとばかり考え続けている。

寝るのも惜しいし、ゲームをするのも惜しいし、酒を飲んで脳を麻痺させて本を読めなくし、思考を妨げることにも強い抵抗を覚える。

我慢ならない

別段、効率主義というわけでなく、無駄なこと、非効率なことを沢山してきた人生であるが、それが故に、自分が欲してない行為に、自分の残りの人生時間を割くことが我慢ならない。
他人にどう思われようとも、一切気にならないし、自分が望んでないことにお金と時間を遣うことが、腹ただしくて仕方がない。

みそ汁とお米さえあれば、食事は完璧。『一汁一菜でよいという提案』を読んだ。

先日、購読した『一汁一菜でよいという提案』がとても良かった。



どういう本であるかを一言でいえば、「みそ汁作って、コメを炊け!」という内容。

みそ汁に具材をたっぷり入れて、あとはコメさえ用意すれば、おかずなんて要らないし、それで栄養も充分取れるとの話であった。

昨年から割とそれを自分は実践していたので、「やはりそうか」と改めて納得させて頂けた。

【目次】

自炊は頑張り過ぎないことが大切

自炊はとにかく頑張り過ぎないことが大切だ。何品もおかずを用意していたら、どれだけ時間があっても足りない。


自炊をし過ぎですよ、という話に関してはphaさんのこのエントリーをお勧めする。読んでみて。
日本人は家事をしすぎじゃないか問題 - phaの日記

記事内からの引用文

昭和の時代ならともかく、核家族で共働きが当たり前になってる現代の社会で家事を自分たちだけでガチでやろうとすると普通に死ぬので、適当に手を抜いたり外注しながらやっていきましょう。

味噌は万能

それにして、味噌というものはとにかく万能過ぎてヤバイ。

コメだけでは味気ないと感じる時には、味噌を塗って食べましょうと『一汁一菜でよいという提案』のなかに書いてあったので試してみたところ、実に美味しい。
焼きおにぎりとか味噌塗ってたりするので、炊いただけのコメに塗っても美味しいに決まっているのだが、試してみなければ分からない。

味噌をトーストに塗ってみた

因みに本日は、コメがもう無かったので、トーストに塗ってみることにした。

8枚切りの食パンに味噌を塗り広げ、その上にマヨネーズを重ねて塗っていく。
そして、それを3分ほどトースターで焼く。
これがまたとても美味しい。
明太マヨ的な味わいになっている。

味噌マヨトーストを食べ、大根と豆腐の入ったみそ汁を飲む。味噌ざんまい。


一汁一菜でよいという提案

一汁一菜でよいという提案

因みに、重要なエッセンスについては、ネット上に記事が存在するので、それを読んでみてから、本を買うかどうか検討するといいと思う。自分はそうした。
下記の自分のツイート内に記事リンクがあるので、そこから飛んで欲しい。

黙って続けることでしか、人生はうまくいかない。

少しばかり継続した努力が何かに身を結ばないからといって、すぐにやる気を失ったり、投げ出してしまうのは勿体無いと感じる。

【目次】

他人の成功例は当てにならない

何かを習得するのに、どれくらいの時間が必要だとか、どの様な手法、工夫が求められるだとかは、その時、その時により異なり、個人差が激しいものなので、正直なところ他人の成功例などは、ほとんど参考にならない。

なのに、他人の成功体験を耳にして、
「自分は同じ様なやり方をたどっているはずなのに、なぜ上手くいかないのだろうか。きっと才がないのだろう。無念」
と、取りやめてしまう人が多い。

水木しげる先生の生産量はすごい

最近、水木しげる先生の漫画を頻繁に読んでいるのだが、とにかく作品の数が膨大で、どれもが長編であり、その生産力に驚かされる。
どの作品も一切手を抜かず、一コマ一コマの書き込みが素晴らしく、芸術作品としても評価は高い。

その時、はたと気付いたのだ。

画力もさながら、これほどまでに数多くの作品を世に出してきたからこそ、水木しげる先生は世界的な漫画家、妖怪研究家になられたのだろうと。

たまに文章を作って、それで食べていけたらいいのにな、とか考えながら、ほとんど文章を書いていない自分なんかは全然活動をしていないに等しい。
フリーペーパーを製作し、それを道端で配布して、どうにかこうにか文章を読んでもらえる仕組みを構築していく、とかでなく、何処にいても好きな時に、ちょっとスマホで文字を打つだけで、世の中に文章を発信出来る。それほどに敷居が低くなっているのだから、とにかくもっと書いていくべきなのだろう。本気で文章で食べたいとか考えてるいるのならば、あれこれ悩む暇も無いくらいに書いていくしかない。

悩む暇はない

世の中というのは、あまり悩む暇を与えないように作られている。

何かをしたいと考えている間に、その状態に近付けるように、何か今できることを一つでも始めてしまえば良い。

やるしかない

やるか、やらないか、だけであるこの世界。

時間は意識せずに、過去を切り捨て、今自分が何をしたいか、どう過ごしたいかだけを考えて、生活しよう。

暗記しない生活法

最近、頭が回らない。

めっぽう記憶力が低下している。
年を重ねるごとに、記憶量が逓減しているのでしょう、と言いたいところだが、記憶というものは、繰り返しにより定着させていくだけのモノなので、それは言い訳に過ぎない。
つまり、覚えていないということは、覚える気がない、ということになる。
いや、まさにそうなのである。なるべく記憶したくないので、覚えないで済む方法ばかり考えている。
で、覚えないで済む方法は何かと言えば、メモを書くことに尽きる。

【目次】

何でもメモを取る

何でも紙に書き残し、それを写真に収める。または、スマホのメモ機能に使って管理していく。覚える努力を避けたいし、自分のワーキングメモリーの使用率を少しでも下げたいとばかり考えている。

今できることは、今やる

あと、覚えないで済む方法としては、今すぐに出来ることは、やってしまうというのも大事である。すぐさま片付けてしまえば、暗記をする必要がなくなる。即刻、頭の中から消してしまえる。大変に便利だ。
面倒だから後回しにしよう、と考えると、更にだるいことになる。

まとめ

覚えないで済む方法は、2つしかない。

  1. 外部機能に頼る(メモを書く)
  2. すぐにやる

とても単純なことだが、これを実践するだけで、頭を遣う必要がなくなる。
何でもかんでも覚えようとするのは間違った努力であり、そんなことを評価するのはバカな社会だなと感じる。

ブログは好きにしましょう。

ブログはストック型であり、積み重ねていくことで資産となると言われている。


確かに長年書いていけば、愛着というか自分の心の拠り所の1つとして機能していくだろう。


だが、資産というワードに執着してしまうのでなく、一回、一回の投稿を別ものと考えていくほうが、ブログを続けることが楽になる。

【目次】

書きたいことを書けばいい

良い記事だけを書かねば、とか、反響やコメントばかり気にしていては、書くことが段々としんどくなってくる。

ある程度は人気取を意識しなければ、モチベーションがダウンしてしまうことも確かではあるが、その時、自分が書きたいことを自分の言葉で書くようにしたほうがいい。

似た内容を書いてもいい

自分の書きたいことだけを書いていると、似たり寄ったりな内容になるのは当然ではあるが、それでも毎回少なからず変化はある。

何回も同じことをグルグルと頭の中で回し続けるなかで、磨かれてくるというか、思考が深まってくる。

ブログを自由に書く

ブログは自由に使ったほうがいい。

書きたい時に書いて、書きたくない時には一切書かないとかでいい。
ブログは毎日書かなければならない、と至る所で言われているが、毎日書いたからといって、何かが起こるわけでもない。

好きで書いているならば別にいいが、義務となっているのであれば辛いだけなのでやめておこう。

子どもより、大人の方が自由だ。


この間、WOWOWでやっていた『ひみつのアッコちゃん』の映画を観た。

小学生のアッコちゃんの大人になった姿が綾瀬はるかだった。綾瀬はるかが中身は小学生の役をやるのは凄く似合ってなくて違和感バリバリだったんだけど、暇だから最後まで観た。

序盤のほうで「おとなは自由に遊べていいなあ。早く大人になりたい」ってアッコちゃんの友だちが言うんだけど「確かにな」と思わざるを得なかった。

大人は大変だ、とか真っ赤な嘘で、嫌なことや辛いことも確かにあるけれども、小中高時代の閉鎖感に比べれば全然マシかなと感じる。

【目次】

居場所は家と学校だけ

子どもの居場所なんて、家と学校しかない。塾とか習い事の教室だとか、他にもあるといえばあるのだが、それらは自分で好きに選べる訳でなくて、親の意思が働いている。だいたいは親に言われた通りに塾に通っているだけとかだろう。
学校は本当に独特な空気だ。子どもにとっては、そこが世界の全てであり、校内で起きたことだけが人生である。自分の通った学校は、私立であり、私立のなかでも特に閉鎖感の強いところだった。教師たちも思想が偏っているというか、全員染まりきっていた。


インターネットが一般家庭に普及してない時代

自分が小学生の頃は、自宅にインターネットがある知り合いなんて居なかった。
電子画面を眺める時は、ゲームをするかテレビを観る時くらいなもんだった。
今のようにネットを介してゲームを協力プレイしたり対戦出来るわけでもなく、1人でもくもくとストーリーを進めるしかない。あとはたまに学校の友だちとするくらいなもんで、知らない人間と交流する機会ってのは皆無に等しい。


辞めることの出来ない生活

通っている学校を辞めるハードルっているのはとにかく高い。これまでに1度も転校したことが無かったから、そう考えてしまうのだろうけれども、学校を辞めることは、自分の属している唯一の世界を失ってしまうようで、とても踏み出せなかった。
中学高校の頃は幾度も学校を辞めたと思いながら、生活していた。
高校の頃は、うまく他人と交流出来なくなっていて、正直勉強どころでは無かった。「教室に入り、自分の机に座る」という行為だけで、精一杯だった。後はとにかく、休み時間を寝て過ごすしかなかった。
かなり扱い辛い存在だったので、イジメられるとかそういうのでは無かったのだが、距離は比較的置かれていた。普通に話せる相手もいたにはいたのだが、そんなことで精神は保てなかった。

大人は自由に移動出来る

仕事はすぐに辞めることは出来ないとか、一度入った会社が今後の人生を決めてしまう、とか言う人もいるけれども、自分はそう思わない。

まず、自分が最初に入った会社はわずか3ヶ月で退職した。しかも、社員旅行から帰って来た翌日に、会社に着くなり「辞めたいんですけど」と直接社長に話した。
僕は大学に進学するまでに二浪していたし、会社も3ヶ月で辞めたから次の職を見つけるのは、絶望的だろう、みたいに周囲の人間から言われたりしたが、割とトントン拍子にことは進んだ。
再就職の時の就活は、自分が興味ある分野や業界でしか仕事を探さなかったのだが、幾つも内定を得られたし、最終的には、そこそこマトモな会社に勤めることが出来た。給料は安い部類に入ると思うけど、休みを自由に取れて、残業が一切ないのと、持ち帰りの仕事とかも一切無いのがいい。
そんなわけで、すぐに辞めてもどうにかなる。よって自由に移動出来ると言える。

有名な就活情報交流サイトをたまに見ていたりしたが、あの手の匿名のネットサイトは参考にならない。マイナス発言ばかりだし、そもそもあまり行動を起こしていない人間ばかりが集っているので当てにならない。ネットの情報が、就活で役立ったことなんてない。全部自分の足で得た情報だけが活きた。

大人は友人も好きに選べる

大人は、付き合っていく人間も好きに選んでいくことが出来る。
子どもならば、学校内での関係があるので、えり好み出来ない。
嫌でも顔を合わせなければならないので、無関係になることは難しい。
しかし大人ならば、会社くらいしか、強制的に属している場所がないので、他の関係性は好きに構築していくことが可能だ。
嫌ならすぐに付き合いをやめればよいし、どんどん流動的に生きていける。

子どもは不自由だけれども、必要な期間

大人は自由で、子どもは不自由というと、子ども時代は良いことがないって感じになってくるが、大切な期間であることに間違いはない。
大人に比べて、何をするにしても、経験が少ないので素直に喜べるし、感動出来る。それはとても素晴らしいことだ。
大人になるにつれ、妬みやひがみ、といった感情が育ってきて、自分をストレートに出すことがはばかられてくる。
また、自分の好きなことや得意なことを発見する時期としても有効だ。子どもの頃ならば、初めてのことだらけだし、出来ないのは当たり前って見てもらえるから、どんなに失敗しても恥ずかしくない。だから、どんどん挑戦していける。
大人になると、どんなに初めてのことでも、「いい歳してこんな事も出来ないだなんて、恥ずかしい」といった感情が湧いてきてしまい、挑戦するモチベーションを妨げてしまう。さらには、「今更、本気になったところで遅い」という逃げ道も作ってしまう。
そんなことを言わずに今すぐに挑戦しなよ、と僕は言いたいのだが、なかなかそうはいかない。無理強いをしたところで、何事も長続きしないのは、明白であるからだ。自発的にやる気が出てくるのを待つしかない。

「今、この瞬間」が、残りの人生で1番若い

ライフネット生命の会長である、出口治明さんの言葉で「今が、残りの人生で1番若いのです」といったものがある。
この言葉がすごく好きで、今が1番若いのだから、今すぐに始めようという気になれる。
もう充分に大人だとしても、残りの人生を思えば、今が1番子どもなのだ。ならば、今始めるのがいいんじゃないだろうか。
まだ準備が出来てないとか、時は来ていない、なんて言い続けていると、どんどん歳を取っていく。そうなれば、更に、「この歳でそんなレベルじゃ恥ずかしい」だなんて、逃げ続けることになる。


大人は自由だ

大人はとにかく自由だ。
子ども時代のほうが今より全然孤独だったし辛かった。今のほうが100倍楽しい。
お金が沢山ないと幸せじゃない、っての間違っている。少ないお金でも楽しんで、健康も保つ手立てはいくらでもある。生き方次第だ。

信じられないほどの不幸ーー『四丁目の夕日』 著:山野一


あらすじ

大学受験を目指し勉学に励む主人公別所たけし、そんな彼の人生は母の事故から始まる連鎖反応的な不幸により無間地獄へと堕ちていく……。

国内を代表するサブカルチャー文化を生みだした漫画雑誌『ガロ』にて連載されていた、山野一氏の代表作品です。
山野一氏は、同じく漫画家であった、ねこぢる、と結婚されていました。

【目次】

感想

全てを破壊する

人生の意味とか目標とか、全てをぶち壊すような漫画でした。

理想や他人との差別化などは全て幻想であり、常に私は見えない敵と闘い続けているだけなのではと感じました。

自己価値を求めて、もがく人生

少しでも崇高な人生にしよう、自分の存在価値を高めようと、無理にでも他者に「個人の意義」を押し付け、人類のちっぽけな一部ではなく、何者にも代え難い、「特別な個」であることを認識してもらいたく考えています。いわゆる承認欲求でしょうか。

承認欲求に残りの人生を費やし、大切な物を棄て、偽りの人生を進むことの虚しさをヒシヒシと感じさせる作品でありました。

世界は虚構に過ぎない

この作品の手荒な表現・ストーリー構成は、一見、粗雑な印象を与えてしまう可能性が高いです。しかし、その影に、世の中に大した物は無く、どんなに悲痛な事象であろうとも、それほどに重要性を占めておらず、"虚構"であるに過ぎないことを表しています。


ーでは、私はどうしたらよいのでしょう?

生き続けるしかない

運命は定まっているものでも、自分で切り開くものでもありません。様々な要素が複雑に絡み合い、たまたま出来上がった世界に過ぎません。

ただ、受け入れていくしかないのではないでしょうか。


絶望するのでもなく、変に期待を寄せ過ぎるのでもなく、ただ目の前に起きたことを観察することしか出来ません。

それは、"無力"の一言で片付けられてしまうでしょう。

確かに、無力と言ってしまえば無力なのです。ですが、何も出来ない訳ではありません。変化は起こすことは出来ます。それが、必ず良い結果、理想とする未来、を構築してくれるかは別として、変えることは出来るのです。

四丁目の夕日 (扶桑社文庫)

四丁目の夕日 (扶桑社文庫)