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思考拡張日記。

日々感じたこと、学んだことを文章にしています。

文章の書き時は、いつ頃かについて。

【目次】

最近、頭の中にパッと浮かんだことをすぐに書くことが無くなった。

まだ書き時ではないなと、躊躇するようになったのだ。
すぐさまに勢いで以前は書いていたのだが、頭のなかであれこれと思考を巡らせているうちに、まだまとまりが無いなと判断を下し、とりあえず放置する方向に舵を切る。

下調べをしているわけでは無い

そのように機が熟するのを待つタイプになったのではあるが、決して資料を集めたりという真面目なことはしていない。
情報を集めるという行為に面白みを覚えられないタチなので、やる気になれないのだ。
ただ、ぼんやりと考え続けるだけである。

書く回数が減る

書くまでのスパンを長く取るようになった結果、文章を書く回数が減ってきた。
ただ、量は質をりょうがすると言われる。
たくさん書いていれば、それだけ書けるものが増えてくる。自分の中で作れるモノの数が増えていく。
そのことは実感しているのだが、まだ書きたいと思っていないことを無理に吐き出したところで仕方がない。

お金を貰って書いているわけではないから好きにしたら良い

仕事であれば締め切りがあり、また求められれば書かざるを得なくなる。
しかし、あくまで個人的に日記を書いているだけのことなので、自分の書きたいタイミングで自分の好きなことを書いていけばいいだけのことである。
だが、それではなかなか読んで貰えない可能性は高まってくる。難しいところだ。

5月で、30歳を迎えました。

【目次】

気が付けば30歳を迎えた。
この肉体と付き合い始めてもう30年もの歳月が過ぎたとは本当に驚きだ。

成人式が10年前なのだ。
これで本格的に大人の仲間入りなのだなと思ってからそんなに経ってしまったのか。
(成人式には参加していないので何の思い出もないが)


いつまでも子どもの心を持っていたい

三十路になったからといって、特段に変化があるわけでなく相変わらずの日々を過ごすと思う。
ただ、1つ心がけておきたいことがある。
それは、いつまでも童心を大切にするということ。

自分の面白い・楽しいと感じることには全力で向かい、それを素直に喜んでいきたい。

仕事関連のことだけにのみ目が向くようになっては視野が狭まれていく。
もっと広い目を持ち続けることを常としようと決めている。


経験を増やしていく

ただ生きながらえていくのでなく、色々と考えてみたり、未経験のことをじっくりと自己の体内に取り込んでいく生き方をしたいと思っている。


もっと知らない人たちと交流したり、行ったことの無い場所を訪れたい。

自由な発想を持ち続ける

何の本に書いてあったのかすっかり忘れてしまったが、次の言葉が好きだ。

いつもいる場所でなんとなく植え付けられてしまった「固定化された常識や当たり前という呪縛」から少しでも距離を置ければ旅は成功。

働いていると職場の環境に影響されきってしまい、仕事場以外の世界を見ることが下手になっていく。
新しいことを挑戦したり、新たな価値観を受け入れることが困難となってくる。
固定化されきってしまった人生とならないように自分なりの工夫をしていきたい。

1年1年の濃度を高める

漠然と生活していたらあっという間に1年が経過してしまった。そうならないように気を付けていきたい。
自分の時間をフルに活用していけば、幾らでも学びを増やしていくことは可能だ。
自分にとっての学習の場は基本的には書物である。これからも読書を繰り返していき、濃い人生を送っていきたい。

他人を信用し過ぎると疲れるのでやめましょう。


【目次】

コントロール出来るのは、自分自身のみであるという事実を改めて深く認識したうえで生きるのがベストだと感じる。

他者との共通項を喜び過ぎることなかれ


あの人とはこういう点が似ている。
この人とはこういう部分が共感できる。

人間は孤独な生き物であるがゆえ、ついつい少しでも似た部分を持つ相手を見つけた途端に一気に距離を縮めようとしがちである。だが、少しでも違う部分が見えてくると、騙されただのと訳のわからないことをつぶやき始める。
それを防止する唯一の手立てとしては、喜び過ぎないというのが第一に挙げられる。

生きたプロセスは全員異なる

何を見て何を感じて育ったかは、1人1人全く違うものである。
それを改めて考えて見てほしい。
大枠で分類してみれば、ある程度の共通項か出てくるかもしれないが、細部までカテゴライズしていけば必ず相違点が浮かび上がってくるものである。
なぜならば、それまでの経験が異なるからである。
全て同じモノを見て生きてきたわけではない。

相手に自己の価値観や意見を押し付けるのは争いしか生み出さない

自分の考えや意見を押し付けて、それに無理に従わせようとしたところで争いしか生み出さない。憎しみしか生まれない。
なかなかその事実に辿り着けずに不毛な闘いを繰り返す人類が多すぎる。
分かっていても出来ないという人も多数いるだろうが、分かっていても出来ないというのは言い訳に過ぎない。

とりあえず口をつぐみましょう

問題は口を開くことにある。
余計なことを口走ってしまいそうになるならば、とにかく黙っていましょうに尽きる。口は災いの元でしかなく、しゃべりすぎることにより人間的な魅力が増すことは皆無である。
よく喋る人が異性にまずモテることはない。よく喋る人は基本的にウザがられて終わることが多い。相手の話をしっかりと聞け、それに応対出来る能力を持つもののみが好印象を抱いてもらえる。
雑談力を鍛えろ系の本は本当にくだらないし、逆にそれに影響を受けて悪化する人もいるのではと感じる。

自分本位に生きましょう

他人の顔色ばかり伺いながら生きることはめちゃくちゃにしんどい。しんどいというか、何のために生きているのかが不明になったり、とにかくストレスがガンガンに溜まってくる。
すべてから解放されるためにはどうしたらいいのか。

誰にも期待せず、望みもせず、自分を見て生きる。
自己の世界を救ってくれるのは、自分だけだと理解すること。

これだけのことだ。

「この人ならば信用出来る!」という人物に巡り会うことがあれば奇跡。

なので、あとはしっかりと自分の足で立って前に進むしかない。
王子様が来てくれるじゃないけれども、誰かがうまい具合に自分の人生を転がしてくれるなんてことは妄想の産物でしかない。


期待し合う人間たち

人は誰しもが、他人に期待ばかりしながら生きているので自分から能動的に何かを生み出そうと出来ない。
そういう願望が、アニメやゲームや映画の世界で大いに反映されている。

平々凡々な人生を歩んでいた主人公が何かしらの珍事に巻き込まれて救世主になる系の物語だ。

受け身な人が多すぎる

とにかく受け身体質な人が世の中には多すぎる。
期待ばかりしている。信用ばかりしているのだ。自分が見たいものしか見ずに過ごし、勝手に疲れている。ご苦労な人生だ。

受け身でいることは、ずるい。
自分が始めたわけではないから責任はそこにないと、言い訳が可能である。

受け身から脱するには

受動的人間から抜け出すには、少しで気になることは始めてみる。参加してみる。これが大切だ。

ただ何でも手当たり次第に積極性を持てばいいというわけでもない。
自分が興味関心があることだけに、注力すべきである。
あとは、周囲で面白い話を持ち寄ってくるタイプの人間がもしいるならば、それについて行ってみるというのも手である。
そういう人は貴重な人材なので便乗していこう。

職場の苦手な先輩との距離の取り方について。


「人間、話せば分かり合える」

これは誠に幻想であり、どうやっても理解し合えない間柄というものは確実に存在します。

プライベートでの関係性ならば、別に会わなければいいだけの話なので問題はありません。

しかしながら、同じ会社内にいる人物が苦手だと少々厄介になります。

【目次】

嫌いな先輩とは、最小限のコミュニケーションで済ませる


まず、苦手・嫌いな相手とは必要最小限の交流に留めることが大切です。
関わっているうちに好きになるかもしれないとか、実はいい人かもしれないと期待を込めてみても、大抵はそうはいかないことが多いものです。
苦手なひとはどこまでいっても苦手である。
こう割り切って付き合っていきましょう。

挨拶だけは必ずする

なるべく関わらないようにするといっても、同じ職場内にいる限りは顔を合わせざるを得ません。
仕事上関わらざるを得ないことはあるはずなので、完全に無視をすることなど出来ません。
とにかく挨拶だけはしておきましょう。
挨拶をされて「コイツ挨拶してきたぞ」と不愉快に感じるひとはいません。
そもそも先輩に挨拶をしなければ、態度の悪い奴だと周囲に言いふらされる可能性が高くあります。


君子危うきに近寄らず

君子危うきに近寄らずとは、教養があり徳がある者は、自分の行動を慎むものだから、危険なところには近づかないという意味の言葉です。

危険なところとは、苦手な先輩の近くです。
近くにいるだけで、何かと批判を飛ばしてくる人物もいますので、まず物理的に距離を取ることが肝心です。


人間は、見た目は似ていても1人ずつ、まったく異なる生物である

海外の人と日本人の自分とを比較した場合には、文化や考え方の違いに多く気が付くことでしょう。しかし、同じ日本人同士だとそれほど大きな違いがあるとは思わなかったりします。
ですが、事実としては1人、1人驚くほどに考え方や感じ方が異なります。
中にはいったいどういう所で育ったらその様になるのかと不思議に思ってしまう様な人もいます。
なので、自分の感じ方を基準に相手を判断していくことは避けるべきです。
苦手と感じる相手は、違う星の人くらいに思っておくほうが良いです。

まとめ

ここまでに話してきたことを簡単にまとめたいと思います。

苦手な先輩との関わりで1番大切なのは、挨拶を必ずすること。

そして、必要以上のコミュニケーションを取らないこと。

これらに尽きます。

これ以上でもこれ以下でもありません。

八方美人になる必要はありません。
誰からも好かれるように生きることは大変なことであり、又、そのようなことは実現出来ません。
自分の良いと思った相手とだけ深く交流していってください。

子どもは親を見ている。

病院の待合室で、小さな子どもが母親に抱かれながら膝の上でiPhoneでゲームだかアニメを観ていた。

それを向かいのソファー席から見ている別の小さい男の子がいた。
その子は父親と来ているのだが、父親はゲームに夢中になって子どもの方には見向きもしない。
男の子は母親の膝の上にいる子をじっと見ている。
そして、隣に座ってゲームをしている父親を見上げる。
父親の袖を掴んで引っ張り、ペッタリとくっつくように座り直した姿が、とてもいじらしくなんだか胸が痛んだ。

自分にもし子どもが出来た時にも、ついスマホに夢中になったり本を読みふけり、子どもの方を見ない時間が結構出てきそうだ。
だがそんな時にも、子どもが自分を必要としている感じが伝わってきた時にはきちんと見てあげられるようにしたいと感じた。

お金を遣いたくないから、遊びの誘いを主に断ってます。

職場の人や学生時代の友人から遊びの誘いを受けた時、よほど興味のある事でなければ大抵は断っている。

なぜならば、お金を遣いたくないからである。


【目次】

お金を遣うと働かなければならない

旅行、飲み会、その他の外出に付き合ってばかりいると、瞬く間に手持ちの銭は底をつき、貯蓄がスッカラカンとなる。
そうなれば、自ずと必要以上の労働を自己に課せなければならなくなる。

それは誠に避けたい事態。
休日を返上してまで働くとロクなことはない。
身体はだるくなるし、頭はボンヤリする。
お金が僅かばかり増えたところで、まかなえない程のダメージが蓄積される。

常に他者と関わり続けねばならないのか?

内容の無いコミュニケーションを馬鹿にしている人は、何もわかっていない - シロクマの屑籠
はてなブログを頻繁に更新されている精神科医のシロクマさんのエントリがはてブで人気が出ていたので読んだ。
これを読んでいると、とにかくコミュニケーションしなければならず、あまり交流を積極的に行わない人間はダメであるかのような印象を受けた。
無理にでも話せ、交流しろと言っているように感じた。
精神科医にしては結構エグいことを押し付けてくるなという気持ちになった。

「あいつらは、内容の無いことばかり喋っている」と言って、学校や職場の同僚を馬鹿にする人は多い。思春期にありがちなセリフかと思いきや、年配の人が、同じようなことを喋っているのを見て驚くこともある。ほとんどの場合、このセリフは人望が無い人の口から出てくる。

自分は馬鹿にしていることはないが、休憩時間などは自分の好きなように過ごしたいと思っているので、1人で本を読んでいることが多い。それがはたから見れば、馬鹿にしている様子になる場合もあるのだろうか。

「内容の無いコミュニケーション」「空っぽのコミュニケーション」を馬鹿にしている人は、何もわかっていない、と言える。職場で最適なパフォーマンスを発揮し、チームワークを発揮していきたいなら、むしろ、挨拶や世間話を楽しんでいる人をリスペクトして、その才能、その振る舞いを見習うぐらいのほうが良いのだと思う。

1人でいることは間違いである。なんでもいいから会話に参加し続けねば、人間では無いくらいに言っている感が強い。


繋がり続けることを強いられると、お金は無くなる


お金を遣いたくないという話に戻ろう。
自分はもっと交流し続けねばならないのか?と強く思うようになると、全くもって興味の無いことにでも参加せざるを得ない状況に陥ってくる。そして、そのための費用を稼ぐために働かねばならなくなる。
そして、働くことによって心身ともに消耗されていく。イケダハヤトにまだ消耗しているの?と言われても仕方がない。

遊ぶために労働を増やすのでなく、労働しないために遊ばない

僕は、労働しないために遊ばない道を選択する。
そうは言っても、遣いたい時にはどんどん遣っていくので、何にでも出し渋っているわけではない。
これは必要経費だと思える事態のみに遣っている。そのために、少しでも躊躇したくなることに遣えるお金が無いだけの話だ。

頭を麻痺させていけば、いくらでもお金を遣ってしまう。

これは本当に遣っていいことなのだろうか。単なる浪費では無いのだろうか?

そう真剣に考えることで、お金の真価が理解できてくる。



おわり。

好奇心を持てば、生きる力が産まれてくる。


人生を楽しいと思えるかどうかは、お金の多寡とは関係のない部分で作用していると感じる。

沢山稼いでいれば必ず幸福という訳でもなく、貧しい生活を送っていると不幸であるというわけでもない。
幾ら収入が減ろうとも、生活の工夫次第で生き延びることは出来る。

では、人生を楽しいと思えなくなる基準はどこにあるのであろうか。

好奇心を失うと、不幸になる

僕が思うには、「面白いと思う力」「驚く力」を失った時に不幸になる。


表情が乏しくなり、何かを知りたいとか、経験してみたいとかの欲求が減っていく。
一言でいえば、生きる力が不足している状態だ。
これが不幸を招く。

楽しく生きるためには、好奇心が不可欠である。
心を貧しくしてはいけない。


心が貧しくなってきた人は、『全国版 あの日のエロ本自販機探訪記』を読んで、巡ってみたりしてください。