思考拡張日記。

日々感じたこと、学んだことを文章にしています。

何もしたくない時に、あえて動くことで道が開けたりする。

常に動き続けるエネルギーは、一定期間保持できるけれども、唐突に一切なにもしたくない感情に覆われてしまうことが度々ある。

その原因は、心身共に疲弊しているだとか、何か心に大きな不安が巣作っているだとか、部屋が乱雑になり過ぎて落ち着けなくなっているとか、様々である。


それらを1つずつ紐解いたり、ちょっとずつ整理していくことをやれるタイプの人間ならばいいが、感情が噴火してしまい、ストレスを怒涛のごとく溜め込んでしまうタイプの人間も多数いる。

そうなった時に、膨大なお金を一気に消費してしまったり、アルコール漬けやギャンブルに走っていき、崩壊していくのだろう。
はたまた、身近な弱い立場の人間をいびって、それで心の安定を保とうとするという、非常に醜いことをやったりもある。


自己浄化というか、自分なりのココロ改善方法を持っておくことは大切だ。


睡眠をとにかく取るとかで、1度リセットを出来てしまえばいいのだが、そんなことじゃどうにもならない場合もある。

その時は、1番の原因を取り除くしかない。

それがなにであるかを大抵の人は理解ているのだが、敢えて見ようとはしない。
向き合うことが1番のストレスであるがゆえに、見て見ぬふりを続けていく。
だが、見ないようにしたところで、その存在を完全に意識下から取り除くことは不可能である。


ココロが身体を支配していると思われているだろうが、本当のところは行動が支配している。

ココロがまだスタートに向けて動き出そうとしていなくとも、行動を先に持ってくることで、ココロが後から付いてくる。

何でもいいからとにかく始めてみることで、物事は回転していく。

ココロを腐らせて、他人を怨んだり呪うような言葉をつぶやくよりも、自分が今、この瞬間にできることに向かっていくしか、人生を切り開く方法は他にない。


そんなことを時々、考えながら生きている。

そうやって生きるより他はないと感じるから。

快適な節約に繋がる11の習慣。


行動編

爪を切る。

気が付くと爪は伸びている。伸びっぱなしの爪は不潔感を産むと共に、なんだか貧乏人ぽく映る。爪は小まめに切っておく。



歯を磨く。

様々な口臭予防グッズなどが、店先には並んでいるが、それらを試すよりも、食後に歯を磨く習慣を付けておくことが大切。
夜寝る前に1度だけ磨くという人は、回数が少ない。



衣類を洗濯する。

毎日の様に違う洋服を着る必要は無い。
それよりも、洋服をきちんと洗濯することが大切。
汗臭くなったTシャツを着ていたりすると、だらし無いし不潔である。
洗濯時は、洗濯ネットを使用したりと、その衣類に適切なやり方を選ぶこと。


風呂に入る。

体臭を抑えることは大切。
香水で誤魔化すなどはよくない。
きちんとシャワーでもいいので、毎日、身体の汚れを落とそう。


野菜を食べる。

野菜不足が引き起こす身体の不調はあまりにも多くあり過ぎる。
便秘の原因となったり、肌荒れの原因となったり、アトピーの素となったりもする。
外食ばかりしていたり、手軽にコンビ二で揚げ物やオニギリだけで済ませてばかりいると、1週間近くまともに野菜を摂取しない生活になったりする。
とにかく野菜を必ず食べる習慣を身に付けておくことで、身体の不調は避けられる。


睡眠を取る。

睡眠は最低、6時間前後は欲しい。
夜更かしをしてもいいことはないし、睡眠を削ってまで何かをやろうとするのは間違っている。
寝不足も様々な身体の不調に繋がる。
また、無駄遣いをしやすい時間帯は、深夜の頭がボーッとしてきている時だし、そもそも電気代ももったいない。



お酒を飲まない

お酒を飲まないだけで、すごく節約になる。
居酒屋だと、お酒を一杯頼む金額で、一食おかずを注文出来てしまう。
また、お酒の飲み過ぎにより気持ち悪くなったら薬を飲んだり、酔い覚ましのドリンクを飲んだりで出費もかさむ。
また、アルコールが入った状態だと判断が鈍り、どんどん注文してお金を遣い過ぎる可能性が高くなる。
また、お酒を飲まないと本音が話せない、みたいな習慣が付いてしまうと、常にアルコール頼りになる。


所有物を減らす。

物を多く持たないことで、自分が何を所有しているのかをはっきりと知ることが出来るようになる。
持っているのか、持っていないのか分からなくなり、似たような商品を何度も買ってしまうことはよくある。
似たような服ばかり買ったり、家にストックがあるにも関わらず、シャンプーなどの消耗品を何度も買ってきたりという具合に。
また、物が少ない空間は心の安らぎにもなる。散らかった部屋では落ち着けない。


物を大切に扱う。

基本的に買い直しをするのは、ずっと使っていた物が壊れた時である。
なるべく買い直しをしない様にするためには、丁寧に物を扱う習慣を身に付けておこう。
安物はすぐにダメになるので、それなりの耐久性がある良い物を買おう。
今はネットですぐに評価を調べられるので、口コミを見てから検討しよう。
また、手入れが必要なものは、面倒がらずにしておこう。

思考編

自分の頭で考える。

周囲の意見や考えを鵜呑みにするのでなく、あくまで自分が感じることを判断の基準に持ってこよう。
誰かの言いなりばかりになっていては、いつまでも自分で考える力が育たない。
少し頭を働かせてみると、得をすることが世の中には沢山ある。
基本的に誰かがあなたを従わせたい場合は、その人にとって得になることを提唱している場合が多い。
「常識です」とか、「他の人は全員こうやってる」とかの言葉に騙されないようにしよう。



して欲しいこと、欲しいモノを伝える。

世の中には、誰かのために動きたい人や、不要な物を渡したい人は意外と多い。
そんな人たちと出会うためには、自分が望んでいることを口外していくことが大切である。
黙っていても、どうして欲しいのかは伝らないので、なるべく言うようにしよう。





節約は苦しいものでも、寂しいものでもない。
楽しいものである。
その事実に気が付けるかどうかで、人生は変わっていく。
気が付いてない人が大半なので、これを読めた人はラッキーくらいに思う。

お金を共有することで、繋がりは増える。


1人での個人的な消費活動よりも、誰かのためにお金を遣うことが好き。

他人にお金を遣うのは、なんだか広がりがあるなと思う。

1人だと自分が楽しんで終わりだけど、他者に消費するのは、広がりがあって気持ち良い。

広がりってのは、発展性があるという感じのこと。

飲食代を支払ってあげたり、イベント参加費や入場料を出したりとかで、一緒に参加出来る人が増えるのは楽しいと思う。

情報や知識や物の共有も繋がりを増やすのに便利だが、お金にもそういう概念がある。

金額の大小は気にしなくてもいいし、気持ち程度でいいから、お金が不足している人に回すことで生きやすい社会になっていく。

お金を貰った人は、見返りとして何か自分が提供出来るモノ・スキルを渡せばいいし、ただ素直に感謝するだけでもいい。


これは、自分が苦労して稼いだお金だから一銭も手渡さないぞとの姿勢を貫くよりも、もっと柔軟に対応出来るようになればいい。

ただ、無理をして誰かのために消費する必要はない。
まずは自分をしっかりと潤すべきだ。

また、その親切心を利用してお金を騙し取ろうとする悪い奴もいるだろうから、その点には注意しなければならない。


おわり。

周囲と比較すると、ブログに向き合う気力が失せる。


【目次】

他人のブログを読んで、もっと書くぞー!と鼓舞されるひとは別にいいのですが、大半の人は読んだことにより、ブログ更新に嫌気がさしてしまうのではないかと感じています。

なぜ、そうなるかといえば、自分には無いものばかりを、他人のブログに見出してしまうからです。


現実社会においても、他者との比較は精神衛生上よくないことのほうが多いのですが、ブログでも同様のことが言えます。


さて、どんな感じに比較するのでしょうか?


デザインセンスが良いブログ

まず、ブログのデザインからです。
デザインの方向性がバリッと決まっていて、洗練されたスタイルのサイトは結構あります。
読みやすかったり、統一感があったりで、ここまで綺麗に仕上げることが出来るのかと驚嘆します。
それに比べて自分はダメだなと落ち込みます。

デザインは初期設定なのに、人が集まっているブログ

デザインを良くするぞー!と頑張っていると、今度は初期設定のままなのに、集客力の高いブログが目につきます。
一切なにもいじっていないのに、常に多くの反応を読者から得られている。
ブログはデザインじゃないんだ...と打ちのめされます。

経歴がすごいブログ

難関有名大学を卒業していたり、一流企業出身であったり、特別なスキルを習得していたりと、能力値がとてつもなく高い人が運営しているブログは多数あります。
そういうのを見ると、何の取り柄もない自分なんかが書き続けたところで、何になる。単なる時間の無駄だろ...と目が死んできます。

収益特化型、報告ブログ

今月は何PVでこんなにも儲かりました!!
との報告ブログ。
これもとても、目に毒です。
ブログは、どんどん稼いでなんぼの世界なのか、とやる気を失ってきます。
ギャンブルは儲かった時の話しかしないというのと同じで、儲かった話しか、出てきません。ただ、ブログの場合は損をすることがないので、負債の話が出て来ないのは当然なのですが。

女性ブロガー

女性というだけで、アクセスを稼げているブログを見たりすると男性は凹みます。
美を武器にしているのか...クソッ!とやるせなくやります。

自分より随分あとに始めたのに、人気を博しているブログ

自分よりも、全然後から始めたのに人気ブログになっているのを見るのも、よくないです。
今ままでの自分は何だったんだ!と自己否定に走りたくなります。ブロガー同士の馴れ合いネットワークが構築されている様を見たりすると、後からグループに入ってきたお調子者の人のほうが先に馴染んでいく光景を見た時と同じ気分になります。

書きたいという気持ちを純粋に、起動力の根元に持ってくる必要がある。

あらゆる劣等感や嫉妬心を生み出すのを避けるためには、「純粋に自分は書きたいだけなんだ」という気持ちに還れるようにする必要があります。
うまい具合に他人の良いところを吸収していける心の安定具合があれば良いですが、なかなか難しいんじゃないでしょうか。
それよりも、文章を書くことを純粋に楽しむより他はないと思います。


おわり。

批判ばかりする人は、劣等感の塊。


嫌いだと言っていることに対して、エネルギーをふんだんに使う人たちは一体何なのだろうとこれまで思ってきました。

嫌いならば放っておけばいいし、一切の関心を持たなければいいだけのこと。

それなのに、自分から歩み寄ったりしたり、言わなくてもいいのに「悪口」を延々と言い続けたりします。

そういった行為を観察していると、気になって仕方がないんだろうなということが分かってきました。

本当は興味がとてもあるから、こだわり続ける


異常に1つのことに執着心を持ち、批判し続けたり気にし続けるのは、劣等感の現れです。


「自分は受け入れてもらえない存在である」という意識がまずあるので、自己防衛の意味で「アイツらはダメだ」とレッテルを貼りたがります。

女性を叩く人たち


知り合いでも、そのタイプの人たちはこれまでに割といました。

例えば、女性をやたらと叩く人でしょうか。

最初は単なる女嫌いかと思っていたのです。

こんなオシャレなカフェで雑誌読んだり、勉強したりしている様な奴らはクソだ。
家でやればいい。


そう、鬼の様な顔をしてつぶやきます。



批判的なことを一々考えたりせずに、普通に自分もその時を楽しめばいいのにと考えてしまうのですが、それがどうにも出来ないようです。
余計な嫉妬や劣等感で不必要に心を乱すことは、疲れるだろうなと思います。

そんなことを言っているわりには、普通にあっち系の夜の店に遊びに行って楽しんでいたりして、「全然女嫌いじゃないじゃん」と感じました。


どうやら、気になって仕方がないから悪口を言う方向に走るようです。


これまでの女性叩き系の人たちを全て思い返してみても、2次元・3次元含め、性的なものに異様に関心を示す傾向にあります。


自己防衛の悪口は、結構見抜かれている


「羨ましいけれど、自分には出来ない」

そう感じることに対しての、恨み辛みは案外周囲にバレている気がします。


いつもそのことを話題にあげてくるなと、思われれば、よほど気になって仕方がないんだろうなと思われるのは当然のことです。

そう思われるだけならいいのですが、ちょっと頭がおかしいんじゃないかと言われるレベルまでになっていくと、友だちを失っていく可能性があるので気を付けたほうがいいです。


悪口や陰口ばかり言う人を好きになる訳がありません。


その人の発した言葉が、その人物の人格と見なされるので、あまり不快に思われる発言ばかりするのは得策ではありません。

休日は自宅にいるより、外にいるほうが癒されたりする。




最近、休日は自宅にいないようにしている。

家にいると、とにかくダラけてしまい、何事もはかどらないからだ。

例えば、こうやってただ単にブログを更新するだけの作業を行うにしても、書き終えるまでに無駄な行動を沢山挟んでしまう。

自宅にいると、どの様な不都合な発生するかをまとめたい。



掃除をすぐに始めてしまう

家にいると、とりあえず掃除をしたくなってくる。
何かに取り掛かり始めた途端に、部屋の散らかり具合や、ホコリが気になりだす。
それまで何もせずにゴロゴロしていたにも関わらず、したいことが見つかった瞬間にコレである。
忙しい時に限って、掃除をしたくなる。

水分をやたらと摂取する

手持ち無沙汰なのだろうか。
意味もなく冷蔵庫を開け閉めしてみたり、頻繁に麦茶を口にしたりする。
たいして喉が渇いていないにも関わらずにだ。
とにかく何かの行動で時間を埋めようとしている気がする。
そのせいで、トイレばかりに行くハメになる。

ネットサーフィンばかりする

外出先であれば、動画をまず観ようと思わない。イヤフォンを持ち歩く習慣が無いので、音を出しても問題ない場所にでもいない限りは再生することがない。
自宅だと、音量なんか気にする必要もないし、変な動画を観ようが誰にも咎められないので、延々と観続けてしまう。それだけで、かなりの時間を浪費してしまう。

すぐに横になる

家にいると、布団にすぐに横たわってしまう。
椅子に座っていると、だんだんしんどくなってきて、つい布団に行ってしまう。
そうなると、もう破滅的に時間を浪費する。
ただ横になり続けて、Twitterやニュースサイトを眺めることになり、余裕で2時間ぐらい吹っ飛んでしまう。恐ろしい。

人間は怠ける生き物だから、監視の目が必要

人は怠けることが大好きであり、とことん堕落していける。
それを防ぐためには、他人の目が要る。
誰かに見られているという意識は、心を律することが出来る。
ただ、見られていても、姿も分からない人間から一方的に見られているという状況はあまり好ましくない。
学生時代にネット放送とかをやっていたけれども、コメントだけでどんな人かも分からない相手たちから、Webカメラ越しに見られる感じは凄く嫌なものがあった。3年ぐらい続けたけど、慣れなかった。

なので、普通に外に出て、人がいる空間にいるのが1番いいと思う。

1日を最大限に活用する

疲れているのに無理をして外出する必要はないが、自宅でただ単に無駄な時間を過ごしてしまうくらいならば、カフェや図書館へ出掛けるのが良いと思う。
部屋に閉じこもってじっとしていると、余計な悩みが出てきたり、変に疲れたりするものである。
誰かと会話をしなくても、外にいるだけで、視覚的、聴覚的、嗅覚的に様々な刺激を受け、色々と考えたりするので、心もリフレッシュされる。
そして、そういった環境下のほうが集中力も出て、自分のしたいことをじっくりやれたりする。



休みの日は、外に出てみよう。

働く日数を減らしてみたら、世界の広さを感じました。


最近、必要最低限の日数しか働かないようにしました。

しばらく休日出勤もして、無理しながら働いていたのですが、疲労の積み重ねにより、仕事でのミスが連発したりで不幸な日を過ごしました。


「なんで、こんなに頑張っているのだろう」と疑問に感じ、どうにでもなれという感覚で、最小限の労働に留めることにしました。


有給休暇を比較的、自由に取得できる職場ですので、その権利をフルに活用することにしました。


空いた時間で何をしているかと言えば、本を読んだり料理をしたり、散歩したり温泉に行ったり、人と会ったりと自分の好きなことばかりしています。

また、少しでも他にお金を得る方法は無いものかと調べてみて、それを試して少しばかりの収入を手に出来ました。


そうやって本業と関係のないことをし続けていると、仕事のことが本当にどうでもよくなってくるというか、「世の中はこんなにも広いんだな」みたいな感覚になってきます。

仕事の場を全てに考えるのは、寂しい


自分の居場所はここ(職場)だ! と強く思い込むのはあまり良くないと感じます。
まず、なんと言いますか、そういう人の話はすごく退屈なんです。
仕事以外の話題が一切出てこないというか、他に興味あることはないのだろうかという感じです。

実際に、「趣味はあるのか」とか、「休日は何をしているのか」と尋ねてみると、趣味は何も無いと言ったり、職場の人たちで集まって飲み会といった感じの答えが多いです。


仕事のことだけを考えるのが、大人みたいな風潮でもあるのでしょうか?


面白い人間が好き


自分は考える面白い人が好きです。
面白いとはどういうことでしょうか?
自分が思う面白いとは、テレビでバカ騒ぎをしているだけのようなお笑い芸人のことを指してはいません。口達者なモノのことを指しているわけでもありません。


面白い人とは、「無駄知識を豊富に持っている人」であったり、「変なことに興味関心を強く持っている人」などが当てはまります。

実社会では役立たないようなこと、に強く惹かれている人と昔から仲良くなる傾向にあります。

無駄を愛する人々

私が仲良くなる人の傾向は、「ちょっと変わった人」や「ちょっとダメな人」というのがありましたが、いまいち共通項がありませんでした。

なんだろうかとずっと考えたりしていたのですが、「無駄知識を持っている人」ということが分かるようになりました。


お金に直結しなくてもいい


世の中のだいたいのことが、お金を基準に判断されていきます。

それは、稼げることなのか?

お金になるのか?

稼げないのならば、意味は無いと切り捨てられてしまいます。

生きていく上で必要最低限のお金を確保しなければなりませんが、お金だけで判断を下していくのは、なんだか寂しい気がします。寂しいというか、味気なくあります。


面白い人にお金を回していくような、世の中がいい


自分が仲良くなった、面白い人というのはあまりお金の無い人が多いなと感じます。
「普通に生きる」という面においては、あまり得意じゃないのだと思います。


なので、沢山のお金じゃなくていいので、面白い人にお金を渡していけるような世の中になったらいいなと思います。
渡すといっても、それは現金を手渡すことだけではありません。
例えば、「食事を奢る」といったようなことでいいのです。
「飲み物を奢る」くらいの軽いことでもいいのです。

職場に閉じこもり過ぎない

会社という場は、実に閉鎖的な空間です。
そこに長い時間いつづけると、その場での地位や肩書きが自分の価値の様な錯覚に陥ってきます。

その結果、街中で横暴な態度を取る中年サラリーマンが発生するのです。
大抵、そういう人は後ろに2、3人の部下らしき男たちを連れています。

所詮、「全てはゴッコ遊びに過ぎない」のです。

幼い頃におままごとで、何々屋さんをやっていたのと変わらないことです。

それが少し大きくなって、組織化したに過ぎません。


「仕事なんて適当にしたらいい」とか、「真面目に生きている必要はない」といったことを伝えたかった訳ではありません。


もう少し多様な価値観を持ち、心にゆとりを作って生きていくと楽しくなるなと感じたという話です。

働く日数を減らしてみた結果、その様なことを思いました。