思考拡張日記。

日々感じたこと、学んだことを文章にしています。

「書く人間」と「感じる人間」の2人がクリエイターのなかにはいる。というはなし。


先日、読みました『何歳まで生きますか?』。

この本のなかで、なるほどなと感じさせられた言葉がありました。

気になるものは色々とあったのですが、特にそう思ったのがライターの平民金子さんの言葉。


書く人間と感じる人間の2人がクリエイターのなかにいる。

というもの。

自分はこれまでその2種類を混同して捉えていました。


感じたものを感情のままに書けばいいという認識

自分の心が揺さぶられたその状態のままで書いていくのでなく、第三者的な視点のもとに文章を作っていくという手法があるということを理解していませんでした。

文章を作るのならば、これはもう常識なのでしょうが、分かっていませんでした。

確かに、感情に任せた状態で書いていくと伝わりにくいものが仕上がってしまったり、また、自分よがりなものが出来上がります。



小説も書く人間である必要性がある

ブログなどで文章を書く時のみならず、小説などの空想上の創作物を制作する際にも、この感覚は求められるのであろうと思います。

状況説明を行うにしても、あまりに自分視点により過ぎたものでは、読者に伝わりにくくなり、それは読み辛い悪文になってしまうと考えられます。



今後はなるべく、書く人間と感じる人間とを区別していこうと思います。

お金が無くても楽しいこと。幸せとお金は比例しない。




何もしなくても退屈しないし、働かないでいると飽きてくるなんて話は嘘なんだろうなと分かってきています。

ぼーっとTwitterのタイムライン眺めているだけでも充分楽しかったりするので、時間は無限に消費できるな思います。

生きていくのに最低限必要な分を稼げば、あとは好きにしていていいのではないでしょうか。


自分の好きな休日の過ごし方なのですが、全くもってお金が掛らないことばかりしています。

働きたくないからお金を消費したくないという気持ちが1番にあるのですが、たまたま自分のしたいことや興味のあることがお金と関係無いところにあるという感じですね。

お金の掛からない趣味たち


図書館へ行く

まず手始めに、これですね。
以前は図書館を利用せずに全ての書籍を自分で購入していました。ですが、お金も結構掛かりますし、そもそも保管場所に困るります。そして、本は重ねて置いておくとめちゃくちゃ重くなる。部屋が本で埋め尽くされて窮屈になっていく様に嫌気がさしてきました。
そして、本を並べる為だけに本棚を購入するのもちょっとどうかなって思ってしまいます。
本棚って処分する時も大変ですし、そもそも本来は無くてもいいものです。
本を買わなければ、あるいは読んだらすぐに手放せば本棚は不用となる。
そのことを考えるようになってからは、もっぱら図書館を利用するようになりました。
自分で購入するには高すぎる本(2000円以上のもの)なども、ガンガン借りていけますので、読書がはかどります。
図書館は空調も快適な設定になっていますし、ウォータークーラーが設置してあったりで水分補給も可能です。
また、CDを借りれたり、新刊の雑誌も読み放題だったりします。
図書館は知のインフラと呼ばれるほどに、かなり環境が整った施設なので利用しない手は無いなと思います。
無料でこれだけの恩恵を受けられるってすごいことですね。


散歩をする

頭の中を整理したり、気持ちを変えるのには散歩がかなり有効です。
運動不足解消にもなりますし、疲労によって睡眠の質も上がる気がします。
自分は住宅地を歩くのが好きですね。
家を眺めることが何となく面白いので。
散歩の際にはカメラを持っておくと楽しくなります。
この風景をどの角度から撮影すると面白くなるかな?とか考えることで、ただ単に歩いているだけでは見えてこなかった世界みたいなものを感じることが出来るようになります。


本屋へ行く

本を買う訳ではありませんが、大型書店にはたまに行きたくなります。
何のために行くかといえば、新しく出版されている書籍の傾向や、どんな内容のものが世に今求められているのかといったことをリサーチするためです。リサーチなんて言っていますが、どんなものが流行っているのかとかを知りたいだけなんですけどね。
小さな書店だと、ジャンル分けが出来ていないところばかりですし、そもそも専門書になってくると置いてありません。
そこで、大型書店に行くわけです。
サイエンス系やノンフィクション系の書籍などはかなりユニークなものが多く出版されているので必見です。
アート系のものも面白いです。
ビジネス書は過去の焼きましばかりで正直面白くないです。


自炊をする

料理はめちゃくちゃ楽しいものです。
自分で何を食べるかを考えて、それに必要な食材をスーパーで買い揃えに行きます。
外食では、決められたメニューから選ばざるをえないので面白いと思えません。頭を遣わなくていいというのが、ものすごく退屈。
レシピはネットから拾ってきます。
一般ユーザーが無限にレシピを投稿してくれているので、ネタが尽きるなんてことはありえません。
そして、料理は決まった分量で手順通りに行えば、誰でも同じ味が再現できるものだと思っています。
まだ挑戦したことの無いレシピをどんどん試していくのがとても楽しいと感じます。
ゲームだと、新しく出たクエストをクリアしてく感覚と似ていますかね。


映画を観る

最新は映画を1人でも観るようになりました。以前は、2時間近くもじっと画面の前に座っていることが苦手で、なかなか観ることが出来ませんでした。なので、誰かと一緒に観ることで、我慢して最後まで観ることが出来るようにしていたのです。
ですが、映画を観終えた後に何かしら感想を残そうと考えるようになってからは、観られるようになりました。
また、再生速度は1.5倍から2倍くらいの速さで観るようになりました。
これによって時間短縮が出来てしまうので、2時間の映画でも1時間20分で済んでしまいます。
映画は以前はTSUTAYAなどのレンタルを利用していたのですが、今はもっぱらAmazon prime videoなどのネット動画配信を利用しています。月額325円で見放題なので便利です。同時に、Netflixという別の動画配信サイトも登録しています。そちらは1番安いプランの650円のものに登録しています。この二刀流で、自分の観たいと感じる映画はカバー出来ています。2つ合わせて1,000円くらいで映画を楽しめていることになりますね。
Fire TV Stick (New モデル)をテレビに挿して鑑賞しています。
特に設定も必要なく、Wi-Fiの環境があれば何処でも動画配信サイトの映像をテレビで観れるのでかなりオススメです。Fire TV Stickは今年買った物のなかで1番良かったなと感じています。映画好きなら必須のアイテムですね。
他にオススメな動画サイトだとhuluです。動画配信サイトだと1番売れているんじゃないですかね。海外のドラマ作品が豊富にあったりで、オススメです。【Hulu】今なら2週間無料トライアル実施中


文章を書く

自分は文章を書くことが好きなので、こうやってブログで何か書いてみたり、Twitterでつぶやくことが楽しいです。
特にTwitterは、140文字以内という制限があるために頭を遣う気がします。
長文は自分の言いたいことを簡単に詰め込んでしまえますが、短文だと言葉選びのセンスが求められると思います。
Twitterはコピーライティングの感覚で書くように心掛けています。毎回、そのような気持ちで書いてるわけではないですが、なるべくはやっています。
少しでも反応を貰えますと嬉しいですし、少しずつ文章を上手く書けていけるようになりますと、自己成長を感じることが出来ます。
文章作成に全くもって自信のない人は、採点サービスを利用してみることもおすすめします。文章の改善点を機械が自動で添削してくれる面白いものがあります。文章の完成度を高めるライティングツール【文賢】

幸せとお金は比例しない


お金を掛ければ掛けるほどに楽しいというわけではありません。
お金を掛けなくても面白いことは世の中にいっぱいあります。
生き方次第といいますか、何でも無いような普通のことでも学びは沢山ありますし、色々と考えることが出来ます。
それに気付けるか気付けないかの差は、とても大きいなと感じます。
大金をはたいて、何か高価な物を買ってもその喜びは一瞬のことですし、そもそも買ったことを後悔してしまうことの方が多いものです。次々と新しい商品が発売され、それを追い求め続けるだけの人生になってしまいます。
それよりも、自分独自の楽しみを作っていくことの方が、喜びが継続していくのではと感じます。
しかし、これはあくまで自分にとってのことなので、万人に当てはまるものであるとは思っていません。
ですが、お金が無くても面白いことが世の中には沢山あるみたいなことを知っていると生きやすくなるのではないでしょうか?

何のスキルも無いけど、能力販売サイト「ココナラ」で相談に乗ってみたら10件売れた。


なんでもいいから自宅で楽してお金を得る方法はないものかと考えたりしています。

なにか相談ごとに乗るだけで、お金を貰えないかなとか考えてみてココナラというサイトに登録してみました。

ココナラは自分の能力を売るサイトです。絵を描きますとか、動画作りますとか、翻訳しますとか、何かしらサービスを提供して、お金を貰うところです。

自分は正直、何のスキルも持ち合わせていません。
ですが、何か売ってみたい。

ということで、相談を売ることにしました。


相談が10件売れた

結論から言いますと、相談は10件売れました。

500円/1件で売り出し、手数料25%を引かれて1つにつき、365円得られます。
10件なので合計3,650円になりました。


特別な能力がなくても、どうにかなる


今回、ココナラを利用してみて、得別なスキルがなくてもどうにかなる、ということを学びました。

恋愛とか就職についての話を自分は聞いてあげただけに過ぎません。
それでも販売出来ました。


500円で売っていたので、たいした収益にはなりませんでした。
ですが、経験としてはとても良かったなと思います。


是非、何でもいいので出品してみましょう。
何でも試してみることで道が拓けます。

ココナラ登録↓



お金は自分で遣うよりも、誰かに遣うほうが楽しい。




以前からよく言っていることなんだけれども、消費活動は自己のみの範疇に留めておくよりも他人に遣う方が面白いし、拡がりがあっていいなと思う。

自分が欲しいものは基本的に、知性とか教養とか、言語能力とか、文章力や画力とかお金で解決出来ないものばかりだし。
消費活動でどうにかなることではない。

自分に遣うのは散髪代や交通費、食費くらいなもので済ませてしまう。
たまの贅沢は本を買うことくらいか。
本を買う時はめちゃくちゃ悩むけど。
買うにしても繰り返し読む可能性の低いもの、分厚いものは電子版で購入する。物を物理的に増やしたくないという気持ちの表れ。


誕生日や何かのイベント時に、プレゼントを渡して喜んで貰えるのは良いことだ。物で釣るわけじゃないけど、物やお金を介在させると、言葉のみで伝わりにくい部分が補填されるというか、万人に理解してもらえるアイテムだなという印象がある。どんな人でも物をもらって気分を害する人はいないし。
仲良くなりたいとか、気持ちを伝えたいという時には、その人に消費活動をしてあげるのが1番理解して貰えやすいんじゃないかな。

日頃から無意味に奢りまくるとか、お金を出す必要の無い場面まで出してしまうことは絶対にしないけど、使いどころを見極めておくと、有効なスキルになる。

日常的にお金や物を渡すキャラだと正直なところ有り難みは無くなる。
奢るのが好きなんだろうなとか、お金がすごく余っているんだろうかとか、お金を遣うことが好きなのかなとか。

その点、全くもって奢らない人だと、ギャップが際立つ。
まあ、お金はあまり無いので、いつもささやかなことしか出来ないけど、その人らしさが出ればそれでいいと感じる。

消費欲に振り回されながら生きるのは辛いなと思う。

消費欲が、全ての原動力になるという考え方は理解している。

何かを買いたい、欲しい、という目的があることで、人は労働意欲が湧くし、活動的になれるということ。

だけれども、労働意欲という概念そのものがあまり理解出来ない。

そんなものをわざわざ用意しなくとも、生活費を稼ぐために職場に出向くことさえしていれば、それはもう労働意欲があるという状態になるんじゃないだろうか。

休日を返上してまで、毎日働き詰めればそれが労働意欲が高いということを示す条件になるのだろうか。
それは会社にとって都合の良い人間ということになるってだけなんじゃないかなとか、考えてしまう。
また、そこまでして働いていると体調を崩して風邪になってりしている人を何人も見掛けている。

時間という目には見えない概念に関しては、誰も価値をあまり見出さない。

お金はあればあるほどに良いものというのは分かっているが、自由な時間もあればあるほどに良いと思うし、そういった余剰がなければ、退屈な人間になっていくなという感覚がある。

なので、労働意欲の話を出すのならば、どうやれば豊かに暮らせるかということを工夫していける知恵を持つことが大切だと思っている。うまく言えないけど、そんな感じ。


ただ単にガンガン自分の時間を減らしていくことが、労働意欲が高いという訳ではないし、不必要な物をガンガン購入して消費活動していけばいい訳でもない。


自分はやる気がないし、仕事はどうでもいいと思っているし、気持ち在りようを軸にしていないので、感情が全てと思っている人々とはあまり理解し合えない。


優先順位を冷静になって判断してみたり、必要最小限の行動でタスクを終了させていくにはどうしたらいいかとか、日常を作業的に通過させていっている感じがある。
それが1番精神的に安定しやすいし、余計な疲れを生み出さないので、体調も崩れにくい気がしている。


淡々と生きていきながら、あまり働かないで済むためにお金をあまり遣わない生き方を選択していくかな、このまま。

分かる人には分かる、みたいな評価を受けている小説をカッコつけて読んでいる奴は好きじゃないんだよなー。

支離滅裂な言葉•文章を繋げ続ける小説を読むことが苦痛でしかない。

小難しい表現や世界観を産み出すことにより一部のサブカルチャーマニアを喜ばせ、俗に言う「分かる奴には、分かる」という位置付けを狙っているのであろうか。

ネット上で多大なる評価を得ている作品を読んでみたのだが、何のことについて語っているのかまるで分からない。
自分の理解力が乏しいのではと悩んでみるも、そうではないとの結論に至る。
まずそこにスートーリー性というものが皆無なのだ。
かろうじて情景を読み取れそうな単語が幾つか並んでくるも、すぐに明後日の方向にぶん投げられる。読む速度を落とせば分かるとか、そういうものでない。
最早分からせる気など皆無なのである。

「分かる奴に分かればいい」どころか
「俺の崇高な頭脳を理解されてたまるか!」という著者からの圧力さえ感じてくる。

納得されてしまっては、作家生命が絶たれてしまうと考えているのでろう。

「なんや。。なんか分からないが、とにかくすごい!天才だ!!感動したぞ!!」
と絶賛されてえびす顔なのである。

「なんだこれ、全然だめ。時間の無駄でしたよ」なんて言ってしまう人は鼻で笑われる。

「はんっセンスがねえなあ。まあしょうがない。住む世界が所詮は違うってことよ」と見下されてしまうのだった。

批判なんてするのは誰にでも出来る簡単なこと。自分の分からないものは全てダメだと言うような人間は底が浅くかわいそう。本当にカワイソスと後ろ指を指されることとなる。

そうなると、
なにを言うか。分かるにきまってるだろ!と
「ナニカワカラナイガ、コイツァテンサイにチガイない教」に入信するのだ。

だが本当に幾ら頭をひねろうとも分からないものは分からないで仕方がないことであるし、引け目に感じる必要もない。

外出時、唯一カバンに忍ばせた本がそのような作品であった場合、苦渋を舐めることとなる。

話題になっておるし、間違いないでっしゃろ、と買ってみたのが運の尽き。
いざ、読み始めてみればすぐに睡魔に襲われる。

苦行。苦行。ひたすらに苦行。
ただとにかく文字を眺める作業となる。
センスがないのか?私にはセンスがないのか?だから面白くないのかと自問自答を繰り返す。

自分の感覚を確かめるために、スマートフォンを操作し、インターネット上の書評やら感想文、評価を見てみる。

素晴らしいと書いている人間がこんなにもいるではないか! 批判している者どもは隅っこにおいやられ無教養者の烙印を押されている。

自分はそうはなりたくない。教養人であるに違いない。
これまでに一体どれほどの書物を手に取り、読み込んできたかを思い返してみればそれが分かるはずだ。

そう自分に言い聞かせ、踏ん張って最後まで読み終えることを目標にすすんでいく。
書店のブックカバーなど不要である。私はいま偉大なる挑戦の最中なのであると、それを周囲に誇示するため、表紙がよく見えるようにと高く掲げ読み進める。

なんだか凄い本を読んでいるんだな。と思われることが至高であり、活力となる。

インターネットの世界に生きる、おかしな人々に、一般的な人間は近付くことが出来るのか?


インターネットの世界に生きる、おかしな人々に、一般的な人間は近付くことが出来るのか?

インターネットとの親和性が高い人間というのは、常人ではないことが必須である気がしてきた。
前々から理解はしていたが、その異常性というこは後天的に人工で作り上げていくものでなく、元からの素養としてその様な異常性のある性分を含んでいることが求められる。

だが往々にして、その異常性を意図的に作り出そうと試みる人間が数多く、インターネット上には生息している。
自分もその1人であることには間違いない。

だが、幾らその努力をしようとも、元来よりおかしな気質を持ち合わせている人間たちには遠く及ばない。

あまりにも彼らは突き抜けているし、全く持ってそのフォロワーたちを寄せ付けぬほどに、他人が努力としか思えないことを淡々とこなしていく。

常人である場合には、現実社会に身を投じて、当たり前の人生を過ごしていくよりは他はない。

まともでない様に生きていきたいのならば、自分の中にある異常性をいち早くすくい出すべきであり、そしてそれを急ピッチに成長させる必要があるかもしれない。