思考拡張日記。

日々感じたこと、学んだことを文章にしています。

イベント参加。2018/01/28 鶴見済×pha×かとうちあき 「オルタナティブの作り方」@ 下北沢 本屋B&B 2/10追記

下北沢の本屋 B&Bで行われたトークイベントに参加してきた。

出演者は『完全自殺マニュアル』で有名なフリーライター鶴見済さん、最近『人生にゆとりを生み出す 知の整理術』を刊行されたブロガーのphaさん、野宿を専門(『野宿入門―ちょっと自由になる生き方 (草思社文庫)』などを執筆)
にされている、かとうちあきさんのお3方。

今回のイベントは、鶴見さんが『0円で生きる: 小さくても豊かな経済の作り方』を昨年末に輩出された記念のトークライブでした。

イベント詳細url
鶴見済×pha×かとうちあき「オルタナティブの作り方」『0円で生きる: 小さくても豊かな経済の作り方』(新潮社)刊行記念 | 本屋 B&B

12月に発売された鶴見済さんの新刊『0円で生きる』は、ものを貰ったり、共有したり、自然を楽しんだり、日常的なさまざまなことを無料で行う方法と、お金を使わずに済ませることがなぜ今必要なのか、その解説が書かれた本です。

トークはトータル2時間。
1時間話して10分の休憩、後半の1時間の最後15分で質問タイムという流れでした。



テーマはお金に依存しない生活


話のテーマは、あまりお金を遣わなくても作れる繋がりや生き方についてでした。

主流の大きな経済ではないオルタナティブな経済やつながりを作ることや、なるべくお金に依存しない生活の仕方などについてお話していただく予定です。

イベント詳細に書かれてあるテーマに沿ってのものとなりました。


かとうちあきさんが、すごかった

phaさんは1年ほど前に参加したニート祭りの際にお見掛けしていたので、どんな感じの人であるかは知っていました。
(その時に書いた感想記事です。)
2017年 第11回「ニート祭り」に行ってきました。 - 思考拡張日記。

ですが、鶴見済さんと、かとうちあきさんは初めて拝見できました。

鶴見さんは今回の0円生活の本よりも、完全自殺マニュアルのインパクトがとても強かったので怖いイメージがあったのですが、大人しそうな優しい感じのオジさんでした。

かとうさんは野宿を本当に色んなところで高校生の頃からやられている方でして(しかもソロ)、たくましいし自由な感じの人なんだろうなと思っていたのですが、本当にめちゃくちゃフリーダムな方でした。
ビールをガンガン飲まれていてトーク中にトイレに消えたり、なんかフワフワ?な感じになっていたりで面白かったです。昨晩も深夜まで飲んでいたとかで、全体的に野生的なパワーがありました。
見掛けは小柄で可愛らしい感じがありますが、すごい。


お金を遣わない繋がり

お三方とも様々な活動をされていて、その中で実践されている金を掛けることなく他者と交流する方法を挙げたいと思います。


まず、鶴見さんが行われている活動、くにたち0円ショップ。

くにたち0円ショップ (@kunitachi0yen) on Twitter

これは0円ショップという名の通り、無料で物を配布している活動です。
路上でお金を取って物を売るとなれば、すぐに警察がやって来ますが、無料でやっているとなれば何も言われないそうです。
これは国立駅前でやっているそうで、もう5年ほど続けられているとか。
物を貰っていった人がお礼に多量のお菓子を持って来たり、常連の人がいたりと交流の幅が広がったそうです。
遣わなくなって、店でも売れそうにない物を道端にブルーシート上で並べておくことで、人との繋がりが生まれるという実験を行われています。

次に、phaさん。
phaさんはギークハウスというITオタクたちが集まるシェアハウスの運営を10年ほどやられています。
phaさんはギークハウスの運営方法をネット上で公開されているので、それを参考にして地方でもギーグハウスを作ってみたいと思い、実際に運営をしている人々が全国各地に多数います。国外でもいるそうです。ギークハウスプロジェクト

シェアハウスですと、1人当たりの生活コストは非常に安く済み、また人が集まる場として機能しますので、お金を掛けることなく皆んなで遊ぶことが出来ます。
完全に0円という訳ではないですが、余計なお金を掛けることなく交流の場が自然と生まれます。


そして、かとうちあきさん。

かとうさんは、みんなで集まって野宿をするイベントを開催されていたりします。
公園などでお酒を飲んで、眠くなったらそこでそのまま寝袋で寝るという超自然派な活動をされています。
また、月2万円で横浜のほうに倉庫を借りていてそこで、お店?のようなものを経営されているそうです。(店名も本当に、おみせのようなもの 笑お店のようなもの
街中で拾って来た石を売ってみたりすると、酔っ払いの客が買っていてくれたりで面白い交流が生まれると話されていました。


固定的な関係はイジメなどの人間関係の悩みを作る


前半は、お金の話がメインだったのですが、後半には人間関係の話も出てきていました。

学校や職場といった長期的な関係で閉鎖的な場所が、苦手だと3人も仰られていました。

学校でのイジメも、決まったメンバーで同じ場に留まり続けることで発生するものだと鶴見さんは話されていました。
ですのでもっと流動的に、簡単に別の学校に移るか辞めることのできる環境が整っていればイジメがいが無くなるのではとのことです。

たしかに、自分が通っていた中学でイジメを受けていた子がいたのですが、すぐに海外の学校に転校しました。転校してからは別人のように自信を持って生きていけるようになっていまして、全くの別の人間になっていました。

どうやれば良い環境を作れるかとか悩む前に、そもそも場所を移動してしまうことが一番だなと感じました。


歳を重ねるにつれて、辛いとかを言わなくなっていく

中盤あたりで鶴見さんが仰っていた言葉が心に残った。
歳を取っていけばいくほどに、辛いとかを言わなくなっていくという話。
「いい歳してるのに、そんなことで悩んでるの?」なんて思われるのが恥ずかしいから言えなくなっていく、という話に確かにそうなんだろうなと思った。
大人の人たちって、あまり弱音とか愚痴を言わないし、何も感じてないんだろうなとか、歳を取れば取るほどにメンタルが強靭になっていくんだろうなと捉えていた。
だけど、嫌なことは幾つになっても嫌だし、悲しいことはいつになっても悲しいはずだ。

ただ単に言わなくなっていくだけなんだなと理解した。



結婚も流動的になればいいのに

最後の質問コーナーのあたりで、結婚や恋愛の話も出てきました。

かとうさんは1人の人だけと結婚生活を続けるよりも、定期的に色んな人と結婚出来ていければいいのにといったことを話されていました。
1人に決めることは他を諦めることであり、自分に思い込ませることだとの話も出てきました。
恋愛は思い込みという話には多少理解出来る部分はあります。

以前phaさんが何かのコラムで、他人は代替え可能といったことを書かれていました。

もうこの人しか絶対に自分にはいないといっていた女の人が、その恋人と別れた後に、次に付き合った男の人に対してもその感情を抱くようになる。
結局は他人は誰でもよくて、代わりは見つかっていくという話でした。それがなんだか虚しいと書かれてありました。

代替え可能であれば、流動的になっても問題は発生しないのかもしれません。






トークイベントは楽しい


全体的にゆるい感じのトークライブであり、疲れることなく楽しめました。
本で読むだけでなく、リアルで話を聞くのも違った刺激があって面白いなと思いました。
また機会があれば何かのイベントに参加したいです。


最後にphaさんにサインを貰いました。

ずっと欲しかったので嬉しいです。



おわり。


0円で生きる: 小さくても豊かな経済の作り方

0円で生きる: 小さくても豊かな経済の作り方

人生にゆとりを生み出す 知の整理術

人生にゆとりを生み出す 知の整理術

しないことリスト

しないことリスト

野宿入門―ちょっと自由になる生き方 (草思社文庫)

野宿入門―ちょっと自由になる生き方 (草思社文庫)

のじゅ編通信 第一号 (野宿野郎デジタル)

のじゅ編通信 第一号 (野宿野郎デジタル)

兄姉がいる人は、1人で遊ぶのが下手という話。

長男やひとりっ子だった人は、1人で過ごすことが得意だし退屈もしないという理論は結構な確率で当たっているなと思うようになった。


1人だと何をしたらいいか分からない。
特にしたいことも何もない。

そう話すのは十中八九、上に兄や姉がいる人ばかりだ。


遊びを作ってきた経験がない

上に兄や姉がいた人は、子ども時代に自分で遊びを作ってきた経験が乏しい。
与えられたもので過ごしてきたために、自分で何かを創り出す力が弱い。
家庭内での子どもの立ち位置や振る舞いをどの様にしたら良いかも、上のきょうだいがあっての上で判断してきた。


子ども時代の習慣は残り続ける

そんな幼い頃のことが、今でも影響しているなんて思いもしないだろう。
だが、子供の頃に自分が好きだったことが今でも楽しいと感じるように、生活環境で身に付いた習慣も同様に残り続ける。


兄姉がいても年が離れていたために、ほとんど関わりが無く育った人ならば1人で遊ぶことにある程度は慣れているかもしれない。


だが、年の近い兄や姉がいる場合は、大人になっても誰かが面白いものを見つけてきてくれるとか用意してくれるみたいな他力本願的な感じになっている可能性は高い。


こういったことを考えてみると、相手に兄弟がいるかどうかを予測することが可能になりそうだ。

最近、何もする気になれないんだよな。


最近、本格的に何もしたくない状態になっている。

今日も何もしなかったな。

映画でも観るかと思ったけど、何も観る気になれなくてやめた。
NetflixとAmazonプライム・ビデオで色々と見放題なのだが気分が乗らない。
仕方がないのでアニメを観ることにする。プライムでパワーパフガールズを観る。
バブルス可愛いな。
海外の子ども向けアニメは気持ちが悪い絵柄のものが多いけれど、パワーパフガールズは可愛いなと思う。

図書館で借りてきた本を読むかと思ったけど、いまいち集中できずに断念。
人類史と犯罪者心理と混浴の歴史の本を少し読む。
混浴に興味があって行ってみたいのだが、いまいち情報が入手できない。
そもそも近場にはあまりなさそうなので気軽には行けなさそうだ。


自炊でキムチチャーハンを作る。二週間ぶり位に作ったかなキムチチャーハン。

ホットケーキでも焼くかと思いスーパーでベーキングパウダーを探す。見つからなかったのでホットケーキミックスを買う。
ネットのレシピを見ていたらホットケーキは、ベーキングパウダーと薄力粉があれば作れるっぽいので試したかったのだが。

スーパーに行く前に郵便局から荷物を送る。久々にヤフオク!で衣類が売れたので発送した。
一時期はかなりの数を出品していたのだが、最近は面倒に感じてきてやっていない。プレミアムアカウント代金がもったいないから解約しようかな。

何かゲームをしたくなりiPhoneで面白そうなゲームを探す。頭をそれなりに遣う感じので、やりこみ要素もあるやつがいいなと思うが見つからない。
ダラダラとブログを書くのもゲームみたいなものだし、自分には合っているのかも。

最近、詩を書きたいなとよく思うのだが、どこで書けばいいかが分からない。
それなりに盛り上がっていて、簡単に投稿できるシステムの詩のサイトは無いものか。

Tumblrを延々と眺め続けたりする。
美麗なドット絵や写真、名言などを見ているとあっという間に時間が経過していく。


とくに生産性のあることをせずにダラダラと過ごした。

『夫のちんぽが入らない』 を読みました。感想・書評。

『夫のちんぽが入らない』を読んだ。

学校教師として働く若い夫婦の物語。
大学生時代から2人は付き合い始め、そのまま結婚に至る。だがその間に1度もまともに性行をすることが出来ない。
何度も挑戦を試みるも血みどろになってしまい激痛を伴う。行為に至るどころではなくなってしまう。
タイトル通りの話である。

妻はネットで知り合った不特定多数の男性たちと身体を重ねる流れに中盤でなる。
その男たちとは普通に最後まで問題なく行為をすることが出来る。
夫は風俗を頻繁に利用する。夫側もまた、妻以外の相手ならば問題なく行為を行えることを知る。

特に病院にその入らないことについて相談するわけでもなく、直接的な解決策を求めることもなくどんどんと時間が過ぎていく。
たまに思い付きの打開策を試してみるが、どれもその場のみのものであり、何かに繋がる訳ではない。

物語は性行のみが問題というわけではなく、学級崩壊により妻の精神がズタボロになったり、夫もパニック障害になったりと
メンタル的にもおかしくなっていく。

また、歳を重ねるにつれて、子どもがいないことへの周囲からの圧力みたいなものを感じるようになっていく。
結婚をしているのに子どもがいないという状況は、世間からはおかしなものとして捉えらるということがよく分かる。


『夫のちんぽが入らない』は強烈なタイトルである。サブカル層に媚を売っているかの様な印象を受けたため、読むことを避けていた。

だが、実写化や漫画化が決定したということを知り、再度注目されるようになると、ますます読む気を無くしてしまいそうで、その前に読むことにした。

文章は上手いなと感じた。
どのシーンも自然と頭に映像が浮かんでくる様な描かれ方がされてある。
また、回りくどい物語の進め方をせず、割合テンポ良く展開されていくので、手軽に読み終えてしまう。

エッセイということで、著者のこだまさんの実体験なのだろう。

現代的な葛藤を幾つも散りばめられてあるので、何処かが自分の生活の悩みと重なる部分が出てくるのではないだろうか。

親との関係性、結婚や出産に関する世間からの目、職場での人間関係、パートナーとの関係性。

人それぞれ、他人には言えない様な悩みを抱えていて、それをずっと背負いこんだまま生きている。
誰かに解決してもらう訳にもいかず、自分でいつか何かの形で消化していくしかない。

読んでみると心が救われたり、逆に悩みが深くなってしまったりと、様々な反応が生まれる本なのではないかなと思う。

夫のちんぽが入らない

夫のちんぽが入らない

なんとなくお金を遣うことに罪悪感がある。

お金を遣うことに罪悪感がある。

10,000円以上の買い物をすると凄く心苦しくなったり、しばらくモヤモヤが続いていく。
支払ってしまったものは仕方がないのだから、気にしていてもどうしようもないのだが。

本当に生活に必要なことに対してならば、幾ら払おうとも気にはならない。
だが、買わなくても生きていけることや、なんとなく周囲に流されてとか、自分が主体になっていない状況での買い物ほど精神的にしんどいものはない。

昨日、たまに訪れる馴染みの服屋で20,000円くらいのトレーナーを買って、心がうぉー!てなってしまった。

いつも買わずに、ただ会話をしに行ってばかりだから、たまには買うかみたいな気持ちで買った。
少しは貢献するか、みたいな。

先日、UNIQLOで極暖のヒートテック上下、計3,000円の買い物で買うかどうか、数時間悩み抜いたのに今回は10分くらいで決断してしまった。

素材もデザインも良いし長持ちする系の服だけど、別に必需品てほどでは無かったから買わなくても良かったんだけどな。


学生時代は、全財産20,000円しかない状況で15,000円の服を買うみたいな意味不明な行為を頻繁に行っていた。
後先考えずに消費活動を行なっていた。

別に今は全財産が20,000円という訳では無いけど、労働を避けるためには少しでも消費は抑えねばならない。

んー、、やはり今回の出費は痛手だな…。

お金を遣うことがとにかく苦手だし、すぐに罪悪感とか心苦しさに支配されてしまうことを改めて実感した。

ブログを書き続けたい、3つの理由。


ブログにはある程度は目的というか理由があるほうがいいのかもしれない。

仕事を辞めてブロガーとして生計を立てていくことを決めたかたが、路頭に迷っている感じになられていた。
地元を離れて地方移住までしたのに、苦悩されていてなんだか辛いなと思った。

たしかに熱意というかブログを通してなにを伝えたいのかよく分からないという雰囲気はあった。

これが好きなんだろうなというのも不明瞭だったし、どこかで見たようなグルメレポや商品紹介がメインに来ていた。かといいアフィリエイターを目指している風でもなかった。エッセイ的なブログという訳でもなく…。


そんなことを書いてはいるが、まあ自分もたいして理由はない。

ここで、自分がブログを書く理由を並べたい。

自己を客観視できる

日頃、思ったことや感じたことを文章として残していくことで、第三者的視点で自分を観察できるというのが主だった更新事由にはなっている。
頭の中だけで考えていると、思考が漠然としたものになる。また、そもそも何を悩んでいるかとか、何を考えているかが自分のことなのに理解できないことがある。
文章化しておくことで、それが見えてきたりする。

言いたいことを伝えるトレーニング

面と向かっての会話はリアルタイムで進んでしまうために、後からもっと良いフレーズとか内容を思い付いたとしても訂正が難しい。
しかし文章ならば何度でも書き直しが効くし、書き足していけるので1つの事象に対して多面的な視点で説いていきやすい。
自分の意見を述べるにはブログは適切なツールだ。


気持ちの共有をしたい

自分はズレているんだろうかとか、この考え方は間違っているんじゃないだろうかとか不安になった時。
何か面白いことを考えた時に、誰かに伝えたくなる。
その気持ちをシェアするのにブログは向いている。
現実では、なかなか言いにくいことも言えてしまうし、はてな匿名ダイアリーとかを使えばどこの誰かも完全に隠すことができる。



大きな目標とか意識の高いモノを持つ必要はなく、ブログは自分の成長を促す外部装置的な感じだ。

ブログを書かない人生と書く人生とでは、後者のほうが楽しいなと感じる。

毎日、淡々と書き続けるだけという地味な作業だけれども、なかなかに面白い。

死がすべてを停止させる。


死んだら何もかもが終わる。

記憶の中に残っていくとか、偉業が後世に伝わりその人の技術や作品は生き続けるとか言われても、その人の生命は事切れている。文化の伝承、ミームは受け継がれるとかでは納得出来ない。

まだ生きていたら更に面白いものを生み出せていたんじゃないかとか、楽しいことが沢山あっただろうとか考えてしまう。

亡くなった人は、その命が止まった時刻が人生で1番新しい瞬間になる。それが永遠に続く。

当時はまだ未公開であり、予告のみ上映されていた映画を楽しみにされていた故人のTwitterアカウントを見たりすると、なんとも言えない心地になる。
もうその映画は劇場での上映を終えて、今はTSUTAYAなどのレンタルショップでDVDが並んでいて、準新作から旧作になろうとしている。
それくらいの時が経過している。


人はいつ、突然死んでしまうか分からない。
どんなに努力をしようとも何もしなくとも、訪れる場所には訪れるのが死。

少しでも長く生きて、面白いことや楽しいことを知っていきたいし能力も磨いていきたい。

有名な方の訃報を聞くたびに、そのようなことを考えてしまう。