思考拡張日記。

日々感じたこと、学んだことを文章にしています。

ネット上で善人ぶる事へのストレスは無いのか?


インターネット上でまで、善人である必要はあるのか。

我々は現実社会に於いて、節度を持ち、良識ある行動を取る為に善人として生きている。自分の欲のままに、周囲を省みず動けば、たちまち四面楚歌となり、爪弾きにされよう。そして、あいつは精神的にオカシイとまで言われる事態もあり得よう。その様に、社会のルールというか、ある程度の制約の中で生きている。

なのに、その上、インターネット上でまで良き人である必要はあるのか?
完全なる匿名性が守られなくはなっているが、余程犯罪めいた事や、個人に対する誹謗中傷を行なわない限り、吊るし上げに合わないので其処まで気にしなくても良いと感じる。

そして、また、その事がストレスとなる場合だって、考えられる。リアルでの人間関係に加え、ネット上での交流も加われば、かなりのストレスになるはずだ。
ネットの流通して無かった時代であれば、出会う事の無い相手にまで、良き人でなければならない。
周囲の目を気にしてばかりでは、心が荒んでくるのではなかろうか。

さて、ここで一応断っておくが、ここまでの推論は、人は自分の心を圧し殺し、善人を演じているという見方で話を進めている。
なので、現実に加え、仮想空間でも気を遣い心が休まらないと考えている。
仮想空間では本来、現実のストレスを発散する場として活用されるべきであると考えている。
しかし、その風潮は一昔前である気はする。巨大掲示板サイト、2ちゃんねが一世を風靡していた時代のことだ。
今となっては、どちらかというと、繋がりや癒しを求める交流の場として、活用されていると感じる。なので、嫌われたく無いと、気を遣い、結局は現実社会と同様の結果を招いているのだ。

別にそれが、悪い事だとは思ってはいないが、少々窮屈なのではなかろうかと感じる。

場所を変えようとも、結局人は同じことをする生き物なのだなと思う。