思考拡張日記。

日々感じたこと、学んだことを文章にしています。

蔵書家は全ての本を読んでいるのか?

 

かねてからの疑問であった、蔵書家は全ての本に目を通しているのか?というもの。

これについて、最近答えが出た。

 

 

全ては読んでいない。それどころか、殆ど読んでない場合もある。

 

 

というものだ。

 

最近、いわゆる、本の本。本について書いてある本をよく手に取る。本のための本というなんだかややこしいジャンルであるが、本が好きだとそこに行き着くみたいな事が何かの本に書いてあった。

構造的には、釣りが好きな人なら釣りの本を買うし、野球が好きな人なら野球の本を買う。それと同じなのだ。ただ、本の本となるから、一瞬、え?となってしまうだけの話だ。

 

さて、話題を本筋に返そう。

最初、本を読まずにただ、所有している人たちがいると知った時、本は読むため、内容の為に存在しているはずなのに、読まないのであれば意味が無いではないかと感じた。

しかし、そういう人たちはコレクターなだけであり、珍し書を集めて並べる事が好きな人たちなんだなと分かってきた。

 

参考にした本としては、以下の様なものがある。

 

古本の雑誌 (別冊本の雑誌)

 

古本の雑誌 (別冊本の雑誌)

古本の雑誌 (別冊本の雑誌)

 

 

読書の腕前 (光文社知恵の森文庫)

 

読書の腕前 (光文社知恵の森文庫)

読書の腕前 (光文社知恵の森文庫)

 

 

蔵書の苦しみ (光文社新書)

 

蔵書の苦しみ (光文社新書)

蔵書の苦しみ (光文社新書)

 

 

これらの本に登場する人たち、また話題に上がってくる人たちは全員、古本コレクターであり、蔵書が数千単位という強者ばかりだ。

 

そして、何処何処で貴重な書を見つけただの、これだけ揃えただのといった話が出てくる。

今まで、どちらかと言うと、私はこの本でこういった事を学んだみたいな、内容について触れた本を読んできていたため、この集める対象としての本の見方が自分の中に無かった。

 

なるほど、こういう見方もあるのかと、思ったと同時に、そういった視点で捉えてくると、蔵書が確かに数千単位とまではいかないにしも、かなりの数を集めたくなってくるだろうなーと感じた。

 

しかし、自分の場合は内容に拘っているため、読まない本は買わないだろうし、一冊数万円~数十万円といったプレミアム価格の本にも手を出すことは生涯無いだろう。

 

本は、元手が安い割に、リターンの多い、いい商品だとかそういう話ばかり聞いてきたが、そういった、古本コレクターの世界をのぞき見てみるとそうでもなく、立派なお金の掛かる趣味であると思えてきた。

更には、場所も取るし、とにかく重たい。

以前、引っ越しをした際に、大きなダンボール箱に、箱いっぱい本を詰め込んでいたら、引っ越し業者のお兄さんが大変苦労して運びだしてくれた。

たいした本が入っていなかったので、こんなにも苦労を掛けるなら捨ててしまっておけばよかったとその時は思った。そう思いつつ、未だにそのダンボールの中身の本は1冊も処分すること無く本棚に並べられている。

こうやって、蔵書が増えていくのだろうなーとひしひしと感じた。