思考拡張日記。

日々感じたこと、学んだことを文章にしています。

世間とは残酷なもので。

世間とは残酷なもので、いつまでもこの不本意な生活を送らねばならないのだろうかなと、どうしても憂いてしまいたくなるのです。

自分が好き好んでこの道を選んだと周囲から見れば思われるかもしれませんが、その様にする他いい手立てが無かったと言うのがより真実に近しいといえます。

決して自分がしたいと望んだ事でも無いですし、ただ、それなりに自分の時間を確保出来る位にしか利点はありません。

それよりも自分が心から喜べることに従事し、今日もいい日であったなあと床につく、その様な至福の日々を願っているのです。
それでこそ、人間生きている意味があるというか、生を感じるという事なのではと思うのです。
嫌々ながらに生活をしようとも、いつかそれをそれなりに好きになろうとも、ああ、やはりあれをしておきたかったと病床にて思い返すような後悔をしたくないと深く感じます。

昨日、人生を楽しめているのであろう人々の姿を見て、心から好きな事に関わっている人というのは、とても輝いていると思いました。
ああ、自分もそうなりたいな、そうなりたいなと羨ましく思えました。

ですが、なかなかにその様な人生をどう迎えたらよいのか分からないのです。
ただ、年齢という制限が人生の幅を歳を追う毎に迫り来て、未来への道を絞ってきます。
絞りきられてしまえば、ある意味は諦めという境地と共に、悩む事もなくなるのかもしれません。
しかし、年齢を言い訳に使うという事は非常にズルい手法であります。
年を口実に何かを止めることを口にしようとも、世間は仕方がないですよねと、納得し優しさを見せてくる。
しかし、それは真実ではない。
本当は歳など、そんな些細な事は関係なく、人生の道は続いているのです。
それから敢えて目を反らすことなく、道なき道を見つけ出し、ケモノ道を歩んでゆけば、実は何処までもいけるのです。
その事に腹の中では薄々と感じつつも、自分の現状を納得させ、努力をしてきたと己に満足感を与える為に歳の所為にするのです。

なんとも人とは非常にずる賢く、弱い生き物なのでしょうか。
考えることを直ぐに放棄してしまう。

僕は決してそうはなりたくない。
世間とは残酷なものですね、と表では言いつつも、本当は心の内で知っている事を見つめて、転機を狙い生きていこうと考えております。
こう考えて生活するだけでも、非常に自分の心を救う事が出来ます。
つまらぬ常識、世間体に流される事なく、生を感じようと努めているのだなと改めて実感させております。

ですが、世間とは残酷なもので、その事を忘れさせようと必死になり、人は皆、苦悩しているのです。