思考拡張日記。

日々感じたこと、学んだことを文章にしています。

読書に溺れている男の話。


不安で仕方がない。何が不安かも分からない。ただ、こうして文章を書いてみることでその不安から抜けだそうとしている。
常に何かしら文字を目で追い、もしくは書いてないと不安で仕方がない。これは所謂活字中毒なのであろうか。
しかし、そんなものがこの世に存在しているだなんて考えられない。活字中毒などという言葉は文学屋を気取った奴が使いたいだけの用語なのではなかろうか。そんなくらだない表現に惑わされたくない。だが、現在の自分を思ってみると正に其の言葉が当てはまるのだ。

実際どういうふうに、その言葉が自分にあたっているのか軽く書いていきたいと思う。
まずは、本のことを1日中考えているこということだ。
さすがに、仕事中となると仕事に集中して、考えないようにはしているが、それ以外の時間となると、どうしても本の事ばかり考えてしまう。
具体的にどのような事を考えるかというと、次はどんなジャンルの書に手を出そうか。この間読んだあの本は面白かったな。書店で見たあのタイトルの本が気になるな。家にある本のどれを次は読もうか、そして売ってしまおうか。こんなタイトルの本があったら読んでみたいな。などと、常に本、本、本。もう自分は病気なのではないかと思う。
これ程までに熱中しているとなると、心肺になってくる。しかし、何が面白いとか、この本があなたにはオススメですよなどと、気の利いたことは一つも言えない。
ただ、面白くて、楽しくて読み続けているだけであって、別にそれが何の為になっているかも分からない。分からないが、心の底から幸せでしょうがない。やはりこれは何かしらの異常をきたしているのではないだろうか。

ここまでだと、生活に支障をきたしてくる気もする。
恋人や友人と話している時も、すぐに本のことを話題に上げてしまうし、何処何処の古本屋が面白いだの、図書館がいいだの、このあいだ本にこんな事が書いてあって面白かっただのとウンチクを並べたりと、こんな感じだ。
こんな奴のどこが面白いのかと自分自身で不安になってくる。そう不安になってくるのだ。
こんなことでいいのかと。こんなこととは何なのかと言うとよく分からないが、書物にここまでのめり込み暮らしていく事でいいのかと思うのだ。
もし仮に、これが収入アップや仕事に繋がっていれば、きっと気にしないと思う。これは仕事だからという大義名分のもと堂々と本の話ばかりが出来る。しかし、あくまで趣味でしかなく、自分の仕事とは関係ないことであるので、イマイチ自信が持てない。好きなことがあるというのは、自分でもいいことであると思うのだが、麻薬レベルだ。
だが、残念なことに、毎日何冊もの本を読んでいる割には知識自体は頭に残ってはいない。
面白かったとか、感動したとか、そういう事は覚えてはいるが、具体的に思い出せない。同時に何冊も読んでいるため、頭がごちゃごちゃになっているというのもあるが、あまり覚えようとしてないため、記憶に残っていないのだ。
これでは、読んだと言えるのかという話にもなる。読んだと言えるからには、その本の内容を誰かに説明出来なければならない気もする。
しかし、別に誰かに説明するために読んでいるわけでないため、聞かれたとしても明確に話せない。
何となくや、面白かった一部などについては喋れるだろうが、全体を通しての話や概要については、うまく話せない気がする。

こうやって血にも肉にもなってないような読書を続けて年を重ねていくのか。
果たしてこのままで結婚も出来るのだろうか。
人生は好転していくのか。

元々本を読みだしたのは、面白いというよりも、自分の人生を見つめなおす為に読み始めた。
あまりにも本に触れない人生であったため、何の知識もなく、言葉も知らず、世間知らずだった。
これでは立派なオトナになれない、恥ずかしいと思い、読書を始めた。
それからというもの1日に1冊を目標に読み進め、今ではかなりの冊数を重ね、読むスピードも何十倍にもなった。また、スピードだけでなく、理解する力もかなり身についた。何処が重要であるかとか、この本は全体を通してどういう事を伝えたいのかとか分かるようになった。
これは、小説以外での話であり、小説となるとスピードよりも味わって読むことの方がいいので、あまり読む速度を上げ過ぎないように気をつけている。ただ、疲れているときは、ささっと早く読み進め、物語の流れのみを楽しんだりしている。

こうして様々な読書体験を積み重ねて、一日に10冊ほどは簡単に読めるようになった。
本の種類や難易度にもよるが、だいたい10冊は読める。
こうなってくると買っていてはお金もかかるし、何よりも、保管場所に困る。すぐに本棚がいっぱいになるし、本棚から溢れた本で部屋も散らかる。
さてどうしたものかと考え、最近は図書館の利用回数を増やした。
図書館で読み、借りれば、本を買う回数が減り、様々な悩みが解消される。お金も掛からない。良いことばかりである。
だが、それでは今いち満足感が得られないのだ。
本は自分でお金を払い手元に置いて初めて、読んだという実感が得られる。
本棚に並べて見て、初めて、記憶に残る。
タダではどうも不満になってしまうのだ。
どうしてこうもお金を遣いたくなるのだろう。
せっかく、いいこと尽くめの図書館があるのに、買う苦労を選んでしまうのだろうか。
おとなしく、図書館という公共施設を利用し、税金を収めておいてよかったと思えばいいものを。

かくして、僕は本により不安を多く抱えている。
そして、この不安は生涯拭い切れないだろう。
本に生き、本と共に年を重ねゆくのだろう。
その道に後悔はないだろう。反省は幾度と無くあろうとも。