うわさ話が大好きな人たちがいる。
まるで芸能レポーターのように、面白おかしく、ネタを仕入れてきては皆に得意げに披露する。
そういう人たちは本当にヒマなのだろう。自分を持っていないのだろう。
自分の事で忙しければ、そんなものに時間を費やすこともなく、自分を成長させること、仲間との楽しい時間、そういったもので1日が終わっていくはずだ。
なのに、真実かどうかも分からないようなことや、自分の主観、誰かの妄想を含めた、話を披露し、それで貴重な人生の残り時間を潰している。
時間とは平等でありながら、不平等です。
一見、平等に見えながらも、遣い方を知っている人が非常に少ないために、同じ時を過ごしながらも、人生に大きな差が生まれてくる。
どうすれば、時間の有り難さ、大切さに気づくことが出来るか?
時間の有り難みに気がつくには?
■まずは本を読む。
このブログの基本である、読書。これがまずは大切。
本を読んでいると、1分1秒の有り難みが身にしみて分かってくる。
この数分間でこの章まで読み切ろうとか、寝る前のこのわずかな時間でここまで読みたい、など、隙間時間を活用して、読書というのは行われることが多々あるだろう。
まとまった時間を作って一気に読むよりも、そうやって時間を小分けに使っている人が大半なのではないだろうか。カフェでゆっくりとページをめくる、1日本を読んで過ごす。そういう優雅な一時を過ごせれば一番いいかもしれないが、なかなか休日でもなければ、そのような時間は確保できない。
■資格などの勉強をする。
勉強というのは本当に時間との勝負。
試験の日程は決まっているため、その日までに一定レベルの知識を獲とくしてかないと、不合格となる。そうならないためにも、僅かな時間を見つけては学ばなければならない。この行為もまた、時間の貴重さが分かってくる。
無駄な時を一切過ごしたくないと思えてくるはずだ。
■ブログ、日記を書く。
意外に文章を書くという行為は、時間の重要性に気が付かされる。
書くことは非常に知の体力を要するもので、何も無いところから何かを生み出すのはなかなかに骨の折れる作業だ。また、それが自己満足で終わらせるのではなく、誰かに読んでもらいたいと思うと、文章として意味が通ってなければならないため、つじつまを合わせねばならない。
この作業をやっていると、どんどん時間が過ぎていく。一つの記事に30分から1時間位費やしている人も結構いるのではないだろうか。
僕の場合は思いついた事をただ、だらだらと並べているだけなので、時間も掛からず、楽ではあるが。多分1つの記事に対して長くて20分位だろう。
■テレビを観ない。ゲームをしない。
テレビを観るのだが大好きで、毎週欠かさず観る番組があるとか、ゲームが大好きで、生きがいとしている。こういう人は別に何の問題もないのだが、ただ、仕事から帰ってきて、何となくテレビをつけたり、ゲームをしたり、というのでは非常に時間がもったいない。1日だけでいいので、それをやめて自分の事に時間を当ててみて欲しい。
絵を描く、本を読む、日記を書く、勉強をする。何か自分を見つめることが出来るような作業をやってみる。そうすると、時の流れを意識出来るようになる。
頭を使わずにぼーっと過ごす時と、何か目的意識を持って過ごした時では、充実感も違う。
我々は、限られた時間で多くの事をやらねばならない。
決してそれらが誰かに強制されたものではないが、するべきこと、したい事というのを多く抱えている。
そう考えると、1分1秒たりとも無駄に出来ないはずだ。