読書術。本を読むときは付箋を準備しておくとよい。
本を読むときは、必ずといっていいほどに、僕は片手に付箋を持っている。
気になる箇所や、面白いと思った部分に印をつける為だ。
以前はペンで書き込んでいた。面白いと思った所に、ぐるぐると丸で囲い、また、その時思ったことを一言書き添えていた。
それらの本は後で読み返した時に、ああ、この時はこう感じたのだなと懐かしんだり出来て面白い。
そういった、書き込みを取り扱った本もあったりして、一つの作品になるのだなとも思えた。
それが『痕跡本の世界』(古沢和宏著)(ちくま文庫)
著者は書き込みされた本を積極的に集める変わったコレクターである。
一言しか書かれていない言葉を元に、どういうことがあったのだろうと、妄想し、こういう事があったのではと物語を語る。是非、読んでみる事をおすすめする。
他に本に書き込みという話題となると、千冊千夜で有名な、編集者の松岡正剛氏が思い出される。彼は読書とは編集作業であると述べ、本に書く事を推奨している。
他には読書家であり、大学教授でもある齋藤孝先生も書いて読めと言っている。
僕は書くことを2年近く実践してきたのだが、確かに読書とは編集作業であるとなという実感は得られた。
前回はここの言葉は響かなかったのに、今回はここが響いたぞとそういう成長が分かる。
また、書き込んだ本は売ることも出来ないので、使い倒すしかない。どうしても処分したい時は捨てるしかない。
これはこれでいいのだが、書くことは読書初心者だけでいいのではと最近感じる。
■本に書き込むのは読書初級レベル。
本を読む習慣が無かった人が、本を読むようになると、どの本を読んでも目新しく、初めて耳にする言葉だったりすることが多い。
だが、ある程度、数をこなしていくと、似たような話題、話が沢山出てくるようになり、これはあの本で読んだなとか、おかしいな、あの本に出ていたストーリーと違うぞとかそういう気付きが出てくる。
最近、僕がそう感じたのは、画家のゴッホが耳を削ぎ落とした経緯での話。
とある本では、ゴッホは共同生活をしていた画家のゴーギャンに耳の描き方がおかしいと馬鹿にされ落としたと書いてあったのだが、別の書では、女性問題でゴーギャンとトラブになり精神に異常をきたし、落としたという事になっていた。
過去のことというのは真実ばかりでない事をここから学んだ。
本というある程度、厳密に調べあげた媒体でさえこんないい加減なのだ。
とまあ、こういう風に、いろいろ読み進めていくと、書き込まなくても、本から何かを吸収する力が身についてくる。
要するに、書くに至るほどのものが少なくなってくる。
ただ、これは自分は何でも知っているという傲慢な態度という意味でなく、書き込まなくても頭の中に書き込めるという感覚に近い。つまり面白いと感じたところを記憶する力が備わってくるのだ。
■ここで付箋の登場。
ここでいよいよ付箋の登場だ。
僕が使用しているのは、100円均一ショップで売ってる薄いペラペラのやつだ。
下の貼った商品のような半透明のものをオススメする。
どれだけ文字と被さって貼っても、下の文章が読めるし、また、薄いので幾ら貼りまくろうともかさばらない。素晴らしい商品だ。
このタイプの付箋を愛用している有名人としては書評サイトHONZ代表の成毛眞氏がいる。成毛眞氏も自分と同様のをしていると知り、何となく嬉しく思った。
そして、何より、付箋を使う事を勧めている最大の理由をそろそろ書こうと思う。
■書く暇があれば本を読みたい。
これが僕が付箋を使うようになった一番の理由だ。
先ほど紹介した『勉強上手』の中でもこの話題に触れている。
1つの作業は数十秒であっても、1冊分の作業の時間は数分になる。
1分1秒でも本を読んでいたい活字中毒にとっては、その時間がもったいないのだ。
僕の言いたいことは正にこれだ。
そう、時間がもったいないのだ。
前前回の記事、「時間について考えてみた」でも述べたように、1分1秒たりとも無駄にしたくない。そうなってくると、付箋のほうがいい。
その間にもっと読めるからだ。
これらの理由により、僕は読書の時は付箋を用意することをオススメする。
追記
あと理由を挙げるなら、本を売れるというのがある。
付箋であれば、剥がせばいいだけであるし、古本屋に持っていける。
ブックオフなら新書、文庫は20~30円で買い取ってもらえる。
本当に少ない金額であるが、数冊売れば、100円均一棚の本が買える。
こうやって、やりくりするのも楽しいものだ。