■生活が修行
禅宗では生活そのものが修行であるという考えが持たれている。
禅宗では日常生活の中の炊事、洗濯、掃除といった様々な雑事を自分で行うことも修行であり、そういった生活の中に悟りに至るきっかけがあると考えられています。
これは宗教の仕組みについて解説してあるサイトから引用させて頂いた。
生活の中に悟りに至るきっかけが潜んでいるという考え方は中々に奥が深いと思う。
修行というと、滝に打たれたり、座禅を組み何時間も黙祷をするというイメージがあるが、そんな特別なことでなく、日常の中に”悟り”があるというのは非常に面白い。
僕はこれについて、確かにと納得させられる事が多々ある。
元々、自分は何もしない人間であった。
炊事も、洗濯も、掃除も、誰か他人に任せっぱなしであり、自分ですすんでやろうと思ったことも無く、面倒でしかなく、嫌な事と思っていた。
しかし、実際にそれらをこなしていく内に何だか楽しくなり、また、それなりにこれらが好きになってきた。
このまま、専業主夫になってもいいのではとさえ思えてきている。(それはオーバーな表現であり、実際はそうは思っていない。)
さて、僕が実際に日々、家のことをしていく中で感じたことをある程度まとめて書いてみたいと思う。
■家事をするようになって学んだこと
細部に眼が行き届くようになった。
僕は元来大雑把な性格であり、細かい事は一切気にしない人間であった。
人に細かい注意をしたこともなければ、自分自身でも、そういった事に無頓着で、何でもどうでもいいよ、というタイプであった。
しかし、家事をしていく内に、細かい部分にも気を配るようになってきた。
掃除洗濯をしていると、汚れに敏感になってきた。
前は、散らかっていようが、モノで溢れかえっていようが、どうでもよかった。
しかし、今ではそんな状態では居心地が悪いというか、あまり良くない気分になる。
なので、なるべく綺麗な状態を保とうと、自然と手が動いている。
最初は、なかなかその習慣が身につくまでは、時間を要したが、今では、自然と片付けを行うようになってきた。
そして、少しずつ悟りが開けているとでも言えようか。
これにより、美的感覚が身についてきた気がする。
掃除洗濯での汚れというのは目に見えているものである。
なので眼で捉えて、それを片す事ができる。
それとは別に、見えない汚れというものを感覚で捕まえることが出来るようになった。これについては説明が難しいのだが、僕は目に見えない汚れというものが有る気がする。
目に見えない汚れとは何か?
まず、目に見えない汚れ、それは何かというと、モノについての話ではなく、人間関係、コミュニケーションについての話だ。
更に具体性を持って説明をするならば、言葉の汚れだったり、必要以上のコミュニケーションだ。
まず、簡単なところで言えば悪口。陰口。これは間違いなく汚れである。
発すれば発するほどに、自分も周囲も汚れていく。そして、眼には見えないが、それが空中に溜まってく。それが嫌な雰囲気を産みだすというものだ。
また、噂話しもこれに入る。他人の噂を面白可笑しく言う人たちがいるが、これも同じことだ。そういう無駄を省き、シンプルに人間関係を築くことで、綺麗な清潔な繋がりとなる。
そういう空間にいると、汚れた部屋にいる時と同じ状態で、だんだんとイライラも募ってくる。気分も悪くなる。
しかし、汚れのないカラッとした空間にいると、気持ちも晴れ、何だか幸せな気分になる。
自活力が身につく。
自分で生きていく力が身についてくる。
誰かにしてもらったりをいつまで繰り返していては、常に、誰かにもたれ掛かった状態で生活していることとなる。この状態は、誰かを憎むこととなることが多い。
なぜかというと、いつもしてくれているのに、今日はしてくれないと、やってもらうことが当たり前となり、してもらえないと恨んでしまったりする結果となるのだ。
自分の事は自分でするのが普通であるのに、其のことを忘れてしまう。
そうなってくると、他人に感謝するということがなくなる。
最悪な場合は「ありがとう」という言葉を言わなくなる。
当然のことなんだから、そんな感謝の意を表す必要がないと感じてくるのだ。
こうなったらなかなか、素直になれない。一度そういう悪い習慣が身につくと、なかなか振り払えないものだ。
一日でも早く、自分の事は自分でするようにしておくことが大切だと思う。
最初は、どういう手順でやればいいのかとか、分からずに、時間は沢山掛かるだろう。
だけれども、繰り返し、繰り返し、やっていくなかでコツを掴んでくるので、焦らずに、とりあえずやってみることが重要だ。
このような理由から、僕は、人生の修行は生活にあるという禅宗ではの教えは、誠に正しく、大切なことであるなと思うようになった。
自分は無神教ではあるが、こういう考えには非常に共感できる。
日々修行を重ね、立派な人になっていきたいなと思う。