僕は長文を書くことが苦手だ。何かめちゃくちゃ書き連ねたい!と心の底からフツフツと湧き上がる思いが時たま現れるのだが、どうもそれを上手く文章化することが出来ない。
ということで先日、齋藤孝先生の『原稿用紙10枚を書く力 (だいわ文庫)』を買ってみた。
斉藤先生の本は結構読んでいて、どれも面白い為ハズレはないだろうと思い、読んでみることとした。
さすが斎藤先生。かなり勉強になる。
まず、まえがきに書かれてあった、
「書く力」を身につけることで、読書力がつくだけでなく、これからの社会でもっとも必要とされる「考える力」をつけることが出来る。
の言葉を見ただけでも、買ってよかったと思わされた。
読んでみてコレはいいなと思った箇所を列挙していこうと思う。
■パソコンで「書く力」をつける
まず、長文を書けるようになるためには、そもそも書く力が無いと始まらない。
その力を身につける上でパソコンを利用することを斎藤先生は勧めている。
1.自由に修正したり配列を並べ替えられる。
手書きならば書き損じたり、後から、途中に文章を付け加えたりしようとすると、最初から書き直す必要が出てくる。
しかし、パソコンならば自由に後から編集が可能だ。
気に入らない箇所があれば削除出来るし、もっと表現を変えたいと思えば、書きなおすことも出来る。
2.書く速度が、自分の思考の速度に近づいた。
手書きよりも、タッチタイピングの方が自分の思考の速度に近くなった。と斎藤先生は述べている。
確かに、手書きで書くときよりも、自分の言いたいことをサラサラと書けるため、リズムが崩れず、いい感じに文章を創りだしていくことが出来る。
ただ、どんどん書ける為、無駄な言葉も多くなってしまいがちではある。
■書くことで脳は鍛えられる
書く作業では常に脳をフル回転させる必要がある。
書いている最中は確かに、頭をかなり使っている。
ただ、短い文章を書くときには、あまり考えることを必要とせず、感覚で書けてしまう。
しかし、長文となると話は別だ。
いまの若い人たちは、感じたことをコピーのような短い文章で表現することはうまい。だが、長文を書くのは苦手である。
感じたことを気の利いた言葉にするのと、きちんとまとまりのある文章にするのとでは、脳の働かせ方が全く違うのだ。
文章をどう組み立てていくか、文脈がおかしくなっていないかなど、整合性を取る必要がある。
■量をこなすことは、上達の条件
文章を書けない人は、たいてい量的に長いものを書く訓練をしていない。
とりあえず量を書く訓練が必要だ。
やはり文章がうまくなるには、繰り返ししかないのか。
沢山書くことしか、方法はないようだ。
ただし、ただ大量に書くだけでなく、人に読んでもらえるレベルにもっていくことが必要で、その訓練も重要だと述べている。
さて、人に読んでもらえるレベルにどうやってもっていけばいいのか?
自分が言いたいことを一行目に書く。
最初に言いたいことをきちんと書くのは、自分がこの文章で主張したいことは何かを忘れない利点がある。
読んだ時、何を言いたいのか分からない文章は、書き手自信が書いているうちに、自分が何を言いたいのか、分からなくなってきてしまっているのだ。
確かに、最初に何の話か分かる文章は読みやすい。
だらだらと何を伝えたいのか不明なまま続くものは読んでいて疲れるし、飽きてくる。
で、読み終えても結局何だったの?
という感じだ。
さて、そろそろ本の内容の紹介はこのあたりで終えたいと思う。
文章を書くことが好きな人にとってはかなり参考になる本なので読んでみた方がいい。
まとめ
文章上達にはある程度テクニックも必要なようである。
しかし、最初はそんなことは気にせず、とにかく書きまくることが良いと感じた。
量をこなすことの重要性をこの本から学んだ。
となると、ブログを書くという作業はかなり、良いのではと思う。
量をこなすことに繋がるし、また、人に見せる文章でなければならないので相当な訓練となる。
他に、斎藤先生が、良い文を書けるようになる為の必須条件として、読書を挙げていた。
大量に読んでいないと、書く力は育たないそうだ。
たしかに、本を読んでいる人と読まない人とでは、文章の質が全然違う。
ブログを読んでいても、この人かなりの読書家なんだろうなとすぐに見抜くことが出来る。そして、実際調べてみると本当に読書家である場合が多い。
僕も乱読を継続し、長文を書けるようになっていきたい。