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思考拡張日記。

日々感じたこと、学んだことを文章にしています。

男も女も所詮肉の塊なんですよ。だから区別なく仲良くやればいいんですよ。

 

「四度の手術で私が得たこと、それは人間は所詮肉の塊であるという感覚だろうか」

「私のように意志ばかり肥大させて生きてきたような人間には、それはちょうど良い体験だったのかもしれない」

 

 これは、著者自身の乳癌の闘病記の本である『身体のいいなり』(朝日文庫)からの引用だ。

 

身体のいいなり (朝日文庫)

身体のいいなり (朝日文庫)

 

 

あれこれ、自分の個性だの、自我だの考えて生きてきたが、病院で身ぐるみを剥がされて幾度物手術で物のように扱われる中で、人間は所詮肉の塊に過ぎないんだなと実感したそうだ。

これは悟りの境地といえよう。ここまで達観した気持ちになれたのは、乳癌という重い病気を抱えて戦ったからであり、僕にはその言葉の意味の深い部分まで理解することは出来ないであろう。

 

だが、これと似たようなことを僕はここ2年ほど前に考えた事があった。

 

「男も女も、所詮肉の塊だ。同じ人間なのだ」

 

性別の壁が無くなったというか、男女の別け隔てが自分の中から無くなった瞬間があったのだ。

 

具体的に何がキッカケでそう考えるようになったのかは分からない。

ただ、その当時、異様に心理学系や、精神分析系の本を読みふけっていた。

また、コミュニケーション術の自己啓発本もよく手にしていた。

そういった、類の本を沢山読んでみた結果、その考えに至った気がする。

「性別で分けて考える必要は無かったのか。男女関係なく同じように接しておけばよかったのか」こう考えるようになった。

 

僕は昔、かなり性別を気にするタイプの人間だった。

 

同性(男)と話す時と、女性と話す時では、全く言動を変えていた。

男と女は違う生き物であり、それぞれに合った接し方というものが有るはずだ。

同じように対応してはいけないのだろう。という風に考えていた。

ただ、単に女性と話慣れていなかったというのもあるが、女性に異様に慣れ慣れしい奴が嫌いであったというのが大きな要因であった。

「そういうフヌケ野郎に俺はならんぞ!」と、強い意志が変な風に作用し、イマイチテンポの悪いコミュニケーションを行っていた。

そういった事があり、僕はどうも、異常に男女の壁を作っていた。

 

しかし、心理学などを知っていく中で、あー、それぞれの性別に合わせた対応の仕方を考える以前に、そもそも人間と話す上で何が大切かが分かって無かったのだなと気がついた。

それからは性別分けすること無く接するようになり、誰とでも上手く話せ、仲良くなれるようになった。

その結果、ちょっとモテるようにもなった。以前では考えられないことだ。

 

男も女も同じ人類であり、同じ肉の塊なんです。

という訳で、性別を気にせず仲良くやっていくが大事だと思う。

 

 

追記

冒頭で紹介した、内澤先生の闘病生活の中で出た言葉と、僕のちょっとモテるようになりましたで締めくくった、クソエピソードを一緒に並べるのは、いかがなものかと思ってはいる。