生きやすいのか、生きにくいのか。
この世のことが良くわからない。
なんとも人生は単純で簡単だなーと思ったその日の夜の内には、世の中は不条理だらけで、こうもどうして生きにくいのか。
人生は我慢である必要があるのか。もっと楽に、楽しく生きる手立ては無いものかと悩んだりしてしまう。
それが人生なんだよ、そうやって人は悩み苦しみながら、生活をしていくものなのだよ。
こう、囁かれてしまっては、そうか、そういう風になっているのかと納得するしかない。
明日、仕事と思うと、ああ、どうして、そんな面倒なことをしなければならないのかと思ってしまう。
明日は、早朝より仕事をはじめ、暗くなってからようやく家にたどり着く。
毎日、好きな時に目を覚まし、好きな時に床に就く。そんな生活だけでいい。
大学生活というのは本当に夢のようであったのかもしれない。当時は、別段そういう事を思ったこともなく、ああ退屈だなと過ごしていた。
退屈というものがそんなにも素晴らしいものであったなんて、知らなかった。
なぜ、突如として、こうも悩みをブログに綴りたくなったのかといえば、先ほど読んだ平成の私小説家、西村賢太氏の著書が原因であろう。
西村氏の作品はどれも己の体験を元としており、非常に下賎であり、苦渋に満ちている。こんな人生、こんな奴には成りたくないなと思いながらも、どこか魔力的な魅力がそこにあり、殆どの作を読み干してしまった。
彼の本を読む度に思うのは、こうも世の中に適していない人がいるのだなということ。
自分もあまり適していないなと感じながらも、どうにか周囲、世間の常識に合わせて生きてきた。
この世は、生きやすいのか、生きにくいのか、よく分からない。
何年生きても、理解することは無理なのだろう。
ならば、せめて、余計な悩みを抱えたり、面倒な事は避けて生きていきたいと感じる。
自分で自分の首を締め、自らに罠をしかけてしまうような事だけはしたくない。
他人の為、誰かの為、とかどうでもよい。
まずは、自分の為に生きてみるべきだ。
どうせ、万人に愛されるような生き方なぞ、出来ない。
そんな事を心掛けたりしたところで、苦しみを背負うだけだ。
自由に、楽に生きていきたい。