ぼくが子どもの頃にやっていたCMで、椎名誠が出演していたものがある。
そのCMはたしかEDWINだった。
CMの中で、椎名誠さんが子どもたちに投げかけた言葉がある。
「大いに遊べ、大いに学べ」
別にその時は、何も感じなかったし、普通のCMだとしか思っていなかった。
だが、大人になったいま、急にその言葉が頭にフトよみがえった。
何となく、「あー、そういうことだったんだなー」なんて一人で納得した。
全ては繋がっている。この世に無駄なことはない。
セレンディピティという言葉を知っているだろうか?
ちょっとウィキペディアから引用したいと思う。
セレンディピティとは、素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値があるものを偶然見つけること。平たく言うと、ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ることである。
簡単にいうと、全く関係ないと思っていたものが、偶然によって繋がることだ。
科学の世界ではこのセレンディピティがよく働いている。
戦時中に、敵国の潜水艦を発見するための装置を作っていたら、その装置がイルカの発する音波をたまたまキャッチして、イルカは音波を使って会話をしていることが発見されたりした。
そんな感じで、世の中のことは、どこで何と繋がっているか分からない。
よく、「すぐに役立つものはすぐに役たたなくなる」という言葉をきく。
こんなことをして何の役に立つんだよ、と思っていることが、将来役に立つのだ。
ぼくだって、そんなことは結構あった。
例えば、大学時代にハマったニコニコ生放送。
これは、顔をカメラに映しながら放送出来るネットラジオなんだけど、これをしていると、見ている人から、色んなことを言われる。
いいことも言われれば、悪いことも沢山言われる。
どんなに面白い放送をしようと頑張っても、必ず、叩かれるのだ。
全員に好かれるのは、無理なんだなと悟った。
現在、サービス業に属しているが、その時の感覚が役立っている。
自分ではちゃんとしているつもりでも、悪くいう人は必ず出てくる。
そんなことを一々気にする必要はないことを知っているので、特に気に病むこともない。
これだけでも、だいぶ心が救われている。
神経が図太いやつと思われているだろうが。
ブログは、じぶんの全てが繋がる場所。
ブログってのは、自分のパーソナルスペースである。
オープンではあるけど。
ブログを書くことは自分自身をそこに生き写す行為であって、自分の全てを落とし込む必要がある。必要まで言うと、義務感があるけど、実際みんなそんな感じだと思う。
自分をブログに表現する時に、大切なのは、いかに色んなことを経験しているかだ。
ブログを書くための、技術を学んだり、他人のブログを読んで書き方を勉強することも大切だろうが、それ以上に大事なことはある。
それが、
「大いに遊べ、大いに学べ」
だ。
子どもの頃から、遊ぶことは大切。
子どもを優秀に育てたければ、いかに遊ばせていたかが重要になるらしい。
ただ、知識を詰め込むだけの、勉強をさせるより、遊ぶことが脳を育てる。
知識を入れるだけならいつからでも出来る。
だけど、想像力を駆使し、身体を動かしてそれを実践することは、少しでも小さい頃のほうがいい。
遊ぶってことは、すごく頭を働かせる必要がある。
同じことを繰り返していればすぐに飽きてしまうので、工夫が必要となる。
僕の周囲でも、優秀な人間になったやつは、塾なんて行ってなかったし、よく遊んでいた。
学ぶことは誰かに教えてもらうことでなく、自分で見つけていくものなのだ。
なのに、お金を払って、教えをこうものだと、皆、勘違いをしている。
頭を遣って生きてこなかった親が多い、証拠だと思う。
2,3歳の頃から、英語教室に通わせ、バイリンガルにしようとする親など正にそのいい例だ。
小さいころから、そんなことをしていると、脳が混乱してしまい、情緒不安定な子に育つ。
また、同時通訳が出来て活躍しているような通訳者たちで、小さい頃かな英語教室に行っていたような人は誰もいないそうだ。
おしまい。
終盤で、教育論てきな話になったが、僕が今回の記事であくまで伝えたかったのは、
「大いに遊べ、大いに学べ」だ。
それと、僕の好きなブログ運営と話をからめてみた。
引きこもってずっとネットをしているだけだと、思考が固まってくる。
そういう時は、自然の中に身をおいてみたり、何か新しいことを学んだりするといい。
そうやって、自分の視野を広げていくことが、ブログでも大いに役立つ。
そして、そういう人のブログは、見ていて楽しい。
言葉ってのは、その人の中身を透かしてしまう。
中身の薄いひとの言葉は、全くもって心に響いてこないものだ。