だいたいの社会人は、自分の時間を売った対価として、賃金を貰っている。
いやいや、充分に働いて、会社に貢献しているおかげですよと反論したくなるだろうが、そうでもない。べつに、あなたである必要はない。居なくなってもその穴は他の者が普通に埋めて、会社は何の問題も無く回る。よほど、優秀でない限り、アイツじゃないとダメだ!会社がすぐにつぶれる!なんてことは起きない。というか、そんなことが起きる会社だったらシステム的に問題がある。
時間を売るしかない人々。
ぼくを含め、フツーの人というのは、会社に拘束されている時間に対して、お金を貰い受けている。極端な話、よほどのことをしない限り、ただそこにいさいすれば、お金が手に入るのだ。これはある意味楽な話だ。多く稼ぎたければ、どんどん自分の時間を売ればいいだけなのだから。何の頭も働かせる必要は無い。
時間が欲しいという人は何かしらの能力が必要。
いやいや、私はお金よりも自由が欲しいのですよ。好きに寝て食べてダラダラする時間、趣味の時間が無限に欲しいのですよ、という人は何か抜きん出た能力を身につけるしかない。何のスキルを選べばいいかは、各個人で考えるしかないが、ある程度の条件は決まっている。
まず、需要があることだ。それを必要とする、一定数の人間がいなければならない。
どんなに面白い能力でもそれを欲する相手がいなければ、何の意味も無い。
ただ、どんな能力が世の中で求められるかは、予測不可能に近い。
例えば、youtubeで稼いで食べてる人なんて、昔じゃ想像も出来なかった。
何が当たるかなんて分からないのだから、とりあえず、自分の興味のある分野で頑張ってみるべきだ。ただ、それが全く持ってお金に繋がらないことももちろん多々ある。それは運次第なので、どうしようも無い。
自動でお金が入る仕組みを作る。
あと、他に、自由な時間をたくさん確保する法としては、何もしなくても、お金が入り込んでくるシステムを作ることがある。
簡単なところで言えば、ネットの広告収入だ。だが、これも、先ほどの話の能力の話につながる。これも能力の問題なのだ。
おしまい。
んー、どうにかほとんど働かずに、ただ本を読んで、フラフラと散歩して過ごせないものかと考えている。働きすぎても、心と身体に良く無いだけであるからだ。
とりあえず自分としては、文章を書くことが好きなので、ブログで書く練習を継続して、そこから何か面白いことが産まれないかなーなんて考えている。早く、時間を売らずに生きたいものだ。