思考拡張日記。

日々感じたこと、学んだことを文章にしています。

記憶は曖昧でいい。試験勉強じゃないのだから。


僕は人生において、しっかりと暗記しておく必要があるのは試験勉強だけではないかと考えている。試験は細かな知識まで正確に頭に入れておかなければ、正解を答えられない。ただ、覚えてさえおけばいいとも言える。

だが、それ以外のことになると頭に入れておく必要はないと思う。仕事でも暗記は必要と思われるかもしれないが、メモ、資料の確認をいつでも出来るように準備さえしておけば、それでいい。頭に頼るより正確であり、また、多くの情報を引き出すことができる。求められるのは、必要な情報をすぐに引き出せる環境を作っておくことだ。そして、その力がある人を仕事の出来る人と呼ぶべきだと思う。

だが、どうしても暗記をすること、とりあえず全てを頭に入れておくことを美徳とする風潮がある。それは、ひと昔の考え方である。現在はITの発達により、何処でも何時でも瞬時に情報を引き出せる。なので、覚える必要はないのだ。

ここで本の話にも移りたい。
読書をするからには、本から得た知識を全て記憶するべきであるという考えがある。
本当に全て覚えるべきなのだろうか?
そんなことにこだわっていれば、1日に何冊も読むことなど不可能な気がする。そもそも、日々、大量に読書をしていると、それらを一々暗記する時間も、労力を膨大なものとなる。また、読書はあくまで娯楽であり、そこから何かを学ぼうと、勉強的な意味づけをすることは虚しいと感じる。そもそも面白い思う知識であれば、自然と頭に残るし、同じテーマを扱った関連書を数多く手にとっていれば、これまた自然と重要な箇所は頭に残る。
いずれにせよ、勝手に頭に入ってくると考えて間違いない。


記憶は曖昧でいい。
曖昧な情報を頭の中にぼんやりと数多く残していれば、それらが不思議な化学反応を起こし、変なアイデアが浮かんでくる。この瞬間が最高に楽しい。
試験勉強でないのだから、正確な数値を覚えたりといった努力は要らない。
とりあえず情報を多量に頭に流しこんでみよう。そのあとの処理は頭に任せよう。