今週のお題「給食」
給食についてのお題ということで書いてみたい。
ボクが小学生の頃、給食で嫌いなモノが出てもそれを食べきるまで、遊びに行けないというのは当たり前であった。
しかし、今ではそうではないようだ。それも立派な行き過ぎた教育指導ということになるようである。
一昔前までは、給食を残せば、それを食べ終えるまで遊びには行けなかったとの話を読んだことがある。
そうか。もうボクのその当時の話は一昔前のこととして扱われているのか。時の流れの速さを感じた。
今の時代の子どもたちは、食べ残そうが問題なく外に遊びに行けるのだろう。羨ましい限りだ。
ボクはトマトが嫌いだった。特にミニトマトが。
あの緑色のドロッとした中身がプチッと噛むと出てくるのに寒気がした。吐き気がした。無理して食べたことで、トマトを克服は出来なかった。むしろ、余計に嫌いになった。どうにかこっそりとクラスメートに食べてもらおうと必死だった。
それがバレてしまうと、鬼のような形相をした担任の老年女性教諭から厳しく叱られた。半泣きで食べていた。拷問だ。
因みに、トマトを平然と、むしろ好んで食べるようになったのは、ここ数年のことである。大人になれば味覚も変わるわけで、幼いころに無理して食べる必要は無かったのだ。
そもそも、子どもの頃に苦いものや辛いものを不得意とすることは仕方がない。
本来、生物は苦い辛いといったモノを毒と判別し、口にしない。
動物はそれらのモノを好んで口にすることはない。
人間は繰り返し口にすることで、徐々に身体をならしていき食べれるようになる。
大人が苦いものや辛いものを好む傾向があるのは、この"慣れ"のお陰である。
少々話がそれてしまったが、こういった理由により子どもに無理して食べさせる必要は無いと考える。栄養面を考慮してどうしても食べさせたいのなら、美味しく食べれるような味に工夫することである。まあ、そもそもそれ一つ食べれないからといって死ぬわけでもなく、他の食物でその栄養を補うことは充分可能ではあるが。
また、好き嫌いの問題だけでなく、量的な問題で給食を食べ終えることが出来ない子もいる。一人、一人、体格は全く違うわけで、同じ量を強制することほど非道なものはない。出されたら黙って全部食べなさいとか、頭がおかしい。そう、頭がおかしい。
そんな変なところにこだわる先生は、たいした人物ではない。
と、こんな具合に給食というワードから頭に浮かんできたことを、羅列してみた。