人生の悩みが全て、解消されることはない。
人は常に何かしらの問題を抱え、それを心の何処かで引きずりながら生活している。
何もかもが順調であり、一点の曇りも無い明日を日々迎えているなどありえないことだ。
しかし、Facebookなどを見ていると、まるで毎日が理想の生活であり何一つ嫌なことも無く満たされているかのように演じる人々を多く見る。
本当は何もたいしたことはないのだが、そういった演出をすることにより、自分は満たされていると言い聞かせているのだろう。自分で自分を説得し、また、いいね!とボタンを押されることにより、これであっていたんだな、やはり素晴らしいのだなと安心する。
ネット上でよく見かけるワード”自己承認欲求”を満たしているのだろう。
しかしまあ、そんな訳はない。必ず何かが欠けていると心の何処かでは感じている部分がある。こんな風に必ず欠けているはずだと決め込むことは思い込みであり、わざと悲観的になろう、なろうと、努力しているようではあるが、そんなもんだ。
だが、全く悩みを抱えていないよりは、何かしらあるほうが健全であると感じる。
そもそも、何もなければ、いつまでも現状維持に努め、もっと良くなろうと改善の努力をすることも無くなり、どんどん堕落していく。落ちていく。
また、人間としての免疫力も衰えていくと考えられる。
おたふく風邪など、一度罹っておくことにより免疫が出来、もう罹ることは無い。
それと同様に、どこか心に隙を作っておくことで生きる免疫力が構成されると思う。
ある程度は、毒牙に掛かっておくことで、健康になれるのだ。
そんなことを考えると、タバコを吸うことにより免疫を増やすことは出来ないのか。
発ガン性のリスクが高まるだけなのか。
最後に言いたいのだが、悩むことは大いに結構であり大切なのであるが、それを過度に周囲に言い続けることはあまり好ましくない。
また、同じことを言っているよと、いい加減にうんざりされてしまう。
そうなると、次第に真剣に取り合ってもらえなくなるというか、相手にされなくなってくる。面倒な相手だと、距離をおかれはじめる。
それだけは避けておいたほうがいい。
それにより、悩みも増えてしまう。
悩みを相談出来る相手がいないという悩みを抱えてしまうことになるのだ。
だいたい、悩みってのは~したいんだよねとか、願望実現に向けたものであることが多い。ならば、そういう暇があれば、それを今すぐに実行してはどうかという結論になる。んーだけどねえーと、濁して、行動を先延ばしにする。
その繰り返しであり、また、~したいんだよねと、再度、相談することとなる。
堂々巡りであり、聞いているほうもいい加減にしてくれとうんざりしてしまうのだ。
悩むことで人は鍛えられるが、その悩み方にも質があるような気がする。