思考拡張日記。

日々感じたこと、学んだことを文章にしています。

火をおこすことは、時間を要した。

人間はいかに無力であり、普段頭を遣わずに生きているかがよく分かった。

先日、キャンプをした。

 

火をおこし、食事を取ることがあんなにも難しいものだとは思いもよらなかった。

 

懸命に炭を重ね、着火剤に火を付けるも、なかなかに燃え上がらない。

 

どうなっているのだ。これではいつ肉を焼けるんだ。いつ楽しい食事の時間がはじまるのだ。焦りつつ、火を起こそうと躍起になるも変化はない。

 

このままでは、いかんと、キャンプ場のスタッフに助けを求める。

情けないながらも、そうせざるをえない。これまで、キャンプはいいですねえなどと、それっぽいことを口にしてきていたが、実際のところ火を最初から起こすことをしたのは初めてであった。それまでは、食事はどこかキャンプ場の近くで取る、もしくは、火を必要としない食で済ませるというインチキを行っていた。

なめていた。甘くみていた。

 

スタッフに腹の中で、この人たちは何をしに来たのだ、火くらい扱えるようになってkら来てくださいよねえなんて、思われているのではとちょっと考えながらも背に腹は代えられない状況であった。

スタッフたちは神様のような人たちであり、懇切丁寧に下げず無こともなく助けてくれた。もう、業務時間を終え、後片付けに入っていたのにも関わらず、何度も訪れ、様々な道具を持ってき、また、ほとんどの作業を代わってくれたのである。

なんと申し訳ない。もはや言葉で言い表せないほどの感謝の気持ちでいっぱいとなった。

 

その時に思ったのだ。日頃、何気なくスイッチを入れるだけで火が出てくる状況に慣れきってしまっていたので、こんなにも時間が掛かるものだとは少しも思いもよらかった。

キャンプ場に着くと、早い段階で火に取り掛かる場合が多いそうだ。

何も知らなかった。食べる直前に火おこしをはじめればいいのだろうと考えていた。甘かった。

 

今後の糧とし、次回は迅速に火おこしに取り掛かろうと思う。

28歳にしてはじめて、そんなことを学んだ。

自然に生きることは大切である。