思考拡張日記。

日々感じたこと、学んだことを文章にしています。

米を炊かなくなって一年近ほど経過した。


お米をまともに口にしなくなって一年ほど経った。

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昨年、糖質制限というものを知りそれ以来、お米を食べることがほとんど無くなり、主食という存在が自分の食生活の中から消えた。

野菜、肉、魚ばかり食べてきた。

パン、米、麺はなるべく避け、調味料も糖質の無いものばかり使用している。

やや増加していた体重もすぐに10キロばかり減った。

また、お腹が強くなったというか腹痛に悩むことが無くなった。以前はかなり腹が弱く、すぐ非常事態に陥っていた。
食後に胃がもたれるということも無くなり、体調も良い。

とまあ、良いこと尽くめだなーということで、そんな生活を続けていたら、いつの間にやら一年ほどが経過した。

ただ、困った点が1つある。
それは食費が結構かかることだ。

米やら麺やらを主に口にしていたころは、オカズはあくまでサポート的な立ち位置でしかなかった為、肉などを買うのは少量で済んだが、主食を食べぬかわりに、多く買う必要が出てきた。


ああ、これではそのうち貯金も底を尽きるぞ。

と、安月給のしがない勤め人である自分は考えていた。

だが、どーにかこーにか、ギリギリのラインを保ちここまでこれた。

これは、自分が食費以外にはほとんどお金を遣わない性格のおかげである。

もし、物欲が強ければ破綻していただろう。

食事は人生を支える大切な行為なので、まあ、多少負担になろうとも出費に糸目をあまりつけ無くても良いかなと思っている。

唯一の趣味である読書も、ここのところはもっぱら図書館に頼りっきりである。

通勤定期を利用し、複数の市の図書館を渡り歩いて借りているので、読みたい本は幾らでも見つかる。そのため、ほとんど買う必要が無くなった。買ったとしても、電子書籍のセール本やブックオフでなど安いものばかり。
どんな本でも楽しく読めるという特技を身につけてからは、あまりこだわり無く色んなジャンルの書を手に取るようになった。これがもし、特定のジャンルのみを読むスタンスであれば、読みたい本は底を尽き、きっと本屋に通うことになっていただろう。

さてさて、話題は随分と本筋より離れてしまった。もともとは、自分が米を炊かなくなったということを書きたかった。

炊飯器は戸棚の奥で今も静かに出番を待っている。こいつがまた、活躍する日はいつ来るのであろうか。炊き終わった時のピーっという電子音が懐かしい。恋人がよく作ってくれていた、炊き込み御飯の匂いが懐かしい。
食後に余ったお米をタッパーに詰め、冷凍庫に保管していたのが懐かしい。

二十代も終わりを迎える時にまさか自分が、人生から米を排除することがあろうなどとは夢にも思わなかった。

小学生のとき、昼休みの弁当の時間。
各教室ごとに配られる牛乳を飲みながら、白米を口にしていたのを思い出す。
最初は、米と牛乳なんか合わないと思っていたが、卵焼き、ソーセージ、米、牛乳を一緒に口に入れてみると、美味しかった。
なんで、配られるのは、お茶じゃなくて牛乳なんだろと思っていたが、美味しかった。


さようなら、お米。