思考拡張日記。

日々感じたこと、学んだことを文章にしています。

クレームをつけるという行為の存在すら知らなかった。


ぼくは十代の頃、クレームをつけるという行為そのものを知らなかった。よく分かって無かった。
何かあったても、ついてなかったとか、残念だなと諦めて終わっていた。泣き寝入り以前の問題。ただ事実として受け止めて、それで終わりという極めてストイックなスタンスを取っていた。

ぼくはFamily Martのファミチキが大好きだった。
しばらく毎日のように帰り道に買っていた。
かなり脂っこく何だか身体に悪そうな感じではあるが、とにかく美味しかった。
モスバーガーのモスチキンも好きだったので、それをコンビニで手軽に食べれて幸せという感じだった。

そんなある日、いつもように買って、帰り道にかじったところ、口の中に違和感があるではないか。
ファミチキの中身は凍ったままだった。
氷がシャリシャリしていた。
周りも冷たかった。

うわー。
なんて俺はついてないんだ。
飲み込んでしまったため、気分が悪くなった。もう、買うのやめよ。

それ以降、ファミチキを買う習慣は無くなった。
そのファミチキを袋に包んだ店員への怒りとか何もなく、店に抗議しようという頭も無かった。
バカだったのだろう。


別のコンビニになるが、肉まんを2つ買った時は、一個しか入ってなかった。
ぼくは家に向かうバスの中でいつもカレーマンと肉まんを食べていた。
ビニールに手を突っ込むと、肉まんしか出てこなかった。
悲しかった。
走り出したバスの最後部の座席から窓越しに遠ざかっていくコンビニを見つめていた。
そういえば、肉まんを袋詰めしていた若い男の店員は、一緒にいた女の子の店員と話すのに夢中になりハシャイデいたのを思い出した。
そうか、それで忘れたのか。

非常に残念だ。食べたかった。悲しいな。


それで終わった。

今思えば、怒りの電話をしたらよかったのだろう。

すぐに何でもあきらめていた。
基本的に怒りの感情が薄く、全てがどうでもよかった。多少誰かにからかわれようが、何も気にならなかった。わざと、気になるフリをして相手してやらないといけないのとかが、しんどかった。

自分以外の人間がどうでもよかった。

そして、クレームは今でもつけたことがない。