本を読むことに一切関心が無く、幼少期に児童書を少々読んでいただけですね。
なんていう作家はいるのであろうか?
いるのであれば訊ねてみたいことは数多くある。
様々な言葉の表現法や使い方はどこから学んだのですか。
そもそも文章の組み方はどこで学んだのですか。
感覚ですか?
何も読んでこずに、そこまで書けるのは凄いですね。天才ですよ。
いくら文芸書を手に取ろうとも一冊も書けることもなく、年をおっていく人々が大半であるのに何故なのですか。なぜ、何冊も書き続けることが可能なのでしょうか。
やはり産まれもっての資質であり、常人には理解出来ない特別な何かをお持ちなのでしょうか。
どのように世界が見えているのか。どのように物語が頭に浮かんでくるのか知りたいです。
以前、何かの書で読んだのですが、ミステリー作家の乙一さんは小説を書くに当たり、自分が好きだった映画や小説などのシーンを繋ぎ合わせて書いていると述べていました。
その使いたいシーンを登場させるために、話を膨らませていき、書き進めていくとのことです。
それだけを聞いていると、なるほど、自分の好きな映画のワンシーンを想い描いておけばいいのかなと、なる。
だけれども、実際にはそれがうまくはいかない。
あのシーン好きだな、あのセリフ良かったななんて、思ったところで、思った止まりになるのですよね。
それが、創作に繋がるとはとても思えないのです。
やはり世の中には、生涯消費サイドにい続ける人間と、消費活動から生産側へとシフトチェンジできる器用な人間とでキッパリと分かれているのでしょうか。
よく分かりませんね。
ただ、一つ言えることとすれば、ひたすらに何かを書くことが好きな人間はどんなに才能が無かろうとも、何も思いつかなくとも、ついつい書いてしまうのです。
嫌でも書いていると言っていいかもしれません。
何かを書いていないと落ち着かないのですよね。
書いてもしょうがないと、読む方に取り組もうとしても、どうしても書きたくなる。
文字が自分の中に溜まりすぎて、それ以上、入り込んでこないとでもいいましょか。
体内で消化しきれないのですよね。
で、仕方ないので書き始めます。
トイレに行っている感覚に近いのかな。
膀胱炎にならないように、こまめに排出するようなもの。
別に書いたからってなんのためにもなるわけでなく、生理現象の一環といった感じ。
なんか身体に悪いような気がして、出しているだけ。
それが、ぼくにとっての文字を書く意味なのかなと思います。
そんなわけで、是非とも、どうやって作家が物語を頭にぱっと閃いているかを見てみたいな―と考えている。やはり生理現象の一つといった感じなのだろうか。