読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

思考拡張日記。

読者と料理とネットが趣味です。

人と人は完全には分かり合えない。

他人は他人であり、自分の完全なる理解者となることは無い。


そのことは、しっかりと認識さしておく必要がある。


さもなければ、何故こんなにも理解して貰えないのだろう。信じていたのに裏切られた。


この様な負の感情を抱くことになり、またそれと同時に憎しみや妬みの憎悪の塊を腹の内に収めることとなる。


何もかも受け入れてもらえ、言葉数多く話さなくとも伝わるなどおごった考えを持つべきではない。


他人の頭の中を覗き見ることなど、SF世界の脳内ハッキングでもしない限りはあり得ないのだ。(日本国内のアニメ「攻殻機動隊」シリーズでは、近未来において人々は脳をコンピュータ化させネットの世界に意識を繋ぐことが可能となっている。そのため、現代のネットハッキング同様、脳内の情報や意識をも盗み取ることが可能となっている。)


しかし、どうせ理解に至らないのならばと周囲と距離を取り、他者を否定し、心を閉ざして受け入れないぞという姿勢を取りなさいと言っているわけでもない。

距離をわざわざ取ろうとすることは、関わることと同じというか、必要以上に相手を意識し過ぎてしまっている結果ということである。


どちらかといえば、そこにある他者をそのまま受け入れる心構えでいるべきであると考えている。

他者は他者であると割り切ることにより心を乱されることもなくなる。


自分とかなり似通った思想や趣味思考を持ち合わせた人物と出会えたとしよう。

なかなかこの様に重なる部分の多いです相手と出会うことは滅多にないぞと意気込み、相手に距離を詰め、仲をよくする。
それは大変楽しいことであり、また、きっと話も盛り上がり嬉しいものだ。

しかし、当然の如く異なる点、相違点も多々あるという事実だけは決して忘れてはならない。

でなければ、こいつはいいやつだ、分かるやつだ、と見込んでいたのは自分の見当違いであった。全くもってつまらない奴だ。全然たいしたことはない。取るに足らない野郎だ。
と、一転して悪態を吐き続けることとなる場合がある。


なので、完全なる理解者となる者はいないということを頭に置いておくべきだ。

ただ、その領域に近付こうと意識を持つことは可能である。

相手の意見や気持ちを聞き、それを受け止めて、そういう考えの持ち主なのかと言えるような人間になることで、理解者とはなれよう。


わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か (講談社現代新書)

わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か (講談社現代新書)