人生のステージというか、ステップアップというか。
ある程度ひとつのことをじっくりと取り組んでいると、
ある日突然自分のなかで区切りが見えてくる。
突如、興味関心を失い、それ以上追求することを止めてしまう。
比較的自分のなかでは上手くいく事柄であったのだから、止めずに続ければいいのにと思うたりもするのだが、いつまでもそこにとどまっている訳にはいかないと感じてくるのだ。
継続することだけが偉いという訳でなく、自分の中で納得がいくのならばダラダラと惰性で続けるのをすっぱりとやめて、もう他のことに力を注ぐのもアリなのではないだろうか。
その方が何時迄も過去の栄光に固執して、あの時はどうだったとか語りたがるツマラナイ人間に成り下がることもなくなり、気持ちが良い。
自分があまり過去のこととか何がうまくいったとか、そういった類のことを周囲の人間に話さないのには、そういった訳がある。そういったとは、過去のことに興味が無いという意味だ。
常に今を大切にし、自分が何を強く求めているか、何をすることが一番心地よいかに意識を向けて生きていきたい。
世の中はあまりにも情報が多すぎる。
常に何かしらのニュースを僕たちは様々なメディアを通じて受け取っている。
その手に取った情報を元に過去のことを思い返したり、自分のこれからの行動の行き先を考えたりする。
両手に抱えきれない情報をどう消化していけばいいのか。
頭のなかに全て叩き込む必要があるのか?
『思考の整理学 (ちくま文庫)』や『知的生活習慣 (ちくま新書)』等で有名な外山滋比古先生は情報のメタボリック化の問題性について指摘している。
以下は、ビジネスジャーナルのサイトから引用してきた。
知識を増やしているうちに、考える頭はどんどん縮小し、思考力はよけいに落ちる。これを外山氏は「知的メタボリック症候群」と呼んでいる。
そこから脱出するために必要なことは「よけいなものを忘れること」だと外山氏は述べる。
余計な知識は始末し、頭の中をいつもきれいに整理しておけば、思考力、創作力、想像力、判断力、洞察力など、あらゆる知的活動が活性化する。そのためにも、まずは「忘れる」ことが肝心だが、ただ忘れるのではなく、うまく忘れることが重要だ。
外山先生は、知識と思考力の関係性について言及されているが、自分が言いたいことと同じだと考えている。
自分の過去の姿、情報、等に振り回され続けるのでなく、今のことだけに集中して生きることが一番楽だ。
日々、身体の細胞が入れ替わっているのと同様に、考え方や、生き方、趣味趣向というのは常に変化をしている。
全く何もずっと変わっていないという人もいるかもしれないが、よくよく考えてみれば、少しはあるだろう。
ずっと続けてきたから、もったいないとか、そんなことは考えずに、自分の心の向くままに生きてみよう。