他人の行動ばかりを批判し、監視するひとの傾向。
ネットを利用しない。
本を読まない。
マンガを読まない。
テレビしか観ない。
こういう人種は、結構やばい人間が多い。
することが無いから、他人の言動が一々目につく。暇だから、そんな人間になっているというのもあるが、それ以前にネットや本に触れないから、心が育ってないのだろうと思う。
【目次】
読書行為にもとめられる、忍耐力。
自分とは違う価値観や世界を見る目が育ってないので、他人を受け入れることができない。
読書は最初から、誰もが簡単に読めていくわけでなく、ある程度の忍耐を必要とする。
数をこなしていくなかで知識も増え、その増えた知識が新たな書物を読むときの補助輪となる。
マンガにしても最近のモノは内容がしっかりとしているし、娯楽小説となんら変わりがないように思える。ベストセラーとなる小説たちと同じ様な作品は多数ある。
よって、読むのにはある程度の忍耐が求められてくる。
インターネットの利用に求められる、調べる力。
ネットの利用なんて誰にでも出来るし、簡単だろうと思われるかもしれないが、やはりここでも知識とか忍耐を要する。
どんどん新たなネット端末は出てくるし、多種多様なアプリ、webツールを使いこなすのにも、調べるという時間が必ずいる。
慣れてくれば感覚で分かったり、重要な情報だけをピンポイントで検索掛けて引っ張ってくることが出来るようになるが、それにも経験値が必要。
Twitterやキュレーションサイトで手に入る情報は玉石混交であり、その中から質のいいモノだけを抽出していく作業も求められてくる。
また、ネットの知識を少しは持っておくだけで、何かと得をすることはある。
捨てるしか選択肢の無かったモノが、ネットオークションで意外な値で売れたり、業者に頼まないと出来ないと考えていたコトが自分で出来ることだと分かったりもする。
テレビは受動的な装置。
テレビは黙って座っていても、向うから情報を投げかけてくる極めて受け身な媒体でる。
とにかく楽なのである。
自分から求めて動く必要が皆無であり、頭を遣う必要性がそこには無い。
本を読む、マンガを読む、ネットを利用する、これからの行為は、自分から働き掛けねば何も出てこない。自分で何を選ぶかを選択していかねばならない。
自分に対するキュレーション作業を常に行っていかねばならないのだ。
テレビのなかでも、良質な番組はもちろんある。僕が言いたいのは、遣い方を分かっているかどうか、という話。
本やネットの効能。
まとめていくと、
本やネットで
- 多種多様な価値観を受け入れる姿勢が得られる。
- 忍耐力がつく。
- すぐに出来なかったり、分からなかったりしても、調べていこうという考え方が身につく。
- 普通に過ごしていては見えない世界を知ることが出来る。
- 頭を遣うという経験が出来る。
- 誰かに教えてもらうという、ことに対して素直になれる。
こういった、ことが考えられる。
さらにこれを解説していく。
多種多様な価値観に対して
本の世界にもネットの世界にも、自分とは異なる価値観のもとに過ごしている人々が大勢いる。
現実での世界ならば、自分と似通った人とだけつるめばいいし、そもそも極小の人間としか交流しなければ様々な価値観と触れ合う機会は無くなる。それでは他人を受け入れる姿勢が育たない。頭がどんどんカチカチになっていくだろう。
忍耐力に対して
我慢して何かを学ぶという経験は、非常に重要である。
学生時代の試験勉強やらで誰もが経験したことはあるだろうが、大人になればそういう経験をすることが無くなる。その結果、頭を遣うことなく生きていくことにも繋がってくる。
調べるという考え方に対して
誰かに聞くというのが手っ取り早いかもしれないが、書籍やらネットで得られる情報に比べれば量は劣るし、断片的かつ、真偽のほどが定かではない。ネットも信用ならないネタは多数転がっているが、その中から抽出していく作業じたいも調べる行為である。
調べるなかで、忍耐力もついていく。
見えない世界を知る、に対して
歴史モノ、宇宙化学モノ、生物学、医療モノなどなど。
様々な分野を見ていくことで、日常とはかけ離れた生活や知識を得ることが出来る。別に一つ一つを暗記していく必要はなく、触れていく過程で、感動やら驚きを自分に与えていくことが大切なのである。
頭を遣う、に対して
調べるの項目や、見えない世界を知るの項目とも繋がってくる。
自分の枠を超えた世界に触れることで、コレはどういうことなのだろうか、とか、こう考えることも出来るのではないだろうか、など、頭を自然と遣うようになってくる。
自分に対して変化を与えることになる。
毎日、ルーチンワークのみで生活していると、本当に頭を遣う経験が皆無となる。
たまに、会社から資格を取ってこいと言われた時に、資格勉強をするのに頭を遣うだけの生活になるのではないだろうか。そもそも会社から言われて取る資格など、しょせんは自分の枠を超えた世界が見える訳でもない。
教えてもらうことに素直になれる、に対して
年齢を重ねれば重ねるほどに、誰かに教えを請う、ことなど無くなる。
自分は何でも知っている、分かっている、こう考えていくようになるのではないだろうか。
自分がしている仕事に関しては、知識や経験が増えていくだろうが、外の世界に関しては何も語れないのではなかろうか。
自分の仕事の話しか出来ない人間は極めて、魅力に欠ける。
話せないから、外部の人間と交流をしようとも考えない。
何も話すことが無く、そもそも話せないから、関わっていく気になれないのだ。
いつもと同じ話を繰り返すだけの仲間うちでしか安心出来なくなる。
そうなってくると、教えてもらうことに素直にになれなくなる。
ネットを利用していると、自分よりも十歳ほど年下でも、プログラミングやサイトのコーティングの知識などを豊富に持っている人や、作曲の才能やイラストの才を待っている人などを多数見かける。素直になれない人だと、こういう歳下の人間に教えて貰うことなど、絶対に出来ないだろう。
お願いします、なんて口が裂けても言えないはずだ。
おしまい
自分との違いを受け入れることの出来ない、監視おっさんにならないように気を付けよう。
皆から嫌われ、死んでいくだけの人生となっては悲しい。
自分の考えとして、ネット、本を挙げてきたが、他にも傾向はあると思われる。
ただ、ここに書いてきたことは、ある程度、真実だと考えている。