思考拡張日記。

日々感じたこと、学んだことを文章にしています。

「逃げること」は「人生最大の攻め」だと思う。

逃げること、について世間はどう考えているか?


RPGゲームでは、行動の選択肢に、逃げる、が存在する。

それは、どの様な事態に選ぶのか。


全滅を免れ、生きて先に進むための意志なのではないだろうか。
今の自分に無理なこと、無理な場面から身を守り、生き残るための懸命な判断と言える。


だが現実社会におき、「逃げ」の行為は、負け犬だの人生負け組だのと、マイナスレッテルを貼られ、悪い印象しか持たれない。


「あいつは責任から逃れようとしている」

「楽をしたいんだ」


本当にそうなのか?

逃げることは、単純でなく難しいと僕は思う。


【目次】

揺るぎない意志を持つ

例えば、誰に何を言われようと自分の意志を貫く強さを持たねばならない。
人の意見に左右されているようでは、自分の心の声に従えるわけもなく、逃げの選択は選びえない。

始めたことをずっと続ける、同じ場所に居続ける。
継続こそ、強い心の表れであり、辞めてしまう、逃げてしまうことは、弱者の選択だ。言ってしまって良いのだろうか。

ムキになっていたり、もうここしか自分に居場所はないと思い込んでいたり、我慢しているだけであったり、ただそこの世界しか知らないだけ、という可能性はないのだろか。

同じフィールドマップに留まり続け、他の可能性を捨てているだけとの考え方もありえるのではないか。


逃げるには、努力が要る

逃げるには、逃げれるだけの自己能力を高める必要性がある。
他人と同じ生き方を選ぶことは、正直楽である。

なぜなら、世間一般の価値観や常識に従い、周囲に合わせておけば生きていけるからだ。
要は、頭を遣う必要性がそこにはない


普通の人生を捨て、他人と同じことをする安定的な生き方を自ら排除することは、個人的な努力が求められてくる。


自分で考え、人生すべてをマネジメントしていかねばならない。



精神状態を保つことの重要性


人は自分の理解の範疇(はんちゅう)を超えた事態に対して、攻撃的になる。
そんな訳の分からないことはやめろと、説得を始める。

それは、怖いからだ。


僕がかつて10代だった頃にインターネットを自宅で利用していると、母親から悪く言われた。
例えば、それも恐怖の1つだ。

当時はまだまだスマホなんてモノも存在する遥か以前であり、年齢層が高い人にとっては、ネットの世界というものがかなり不透明であった。

よって、攻撃的になったのだ。


今の事例は別段、大きな問題ごとではないが、そのように人は自分が理解しえないことに対して、ひどく反発力を持ってくる。


逃げて非凡を選ぶとすれば、何処かしらから攻撃が。
なので、それに動じない精神を持つことが大切だ。


生き方を考える。

逃げた先に、何処まで行くか。際終着点はどこに収めるか。
そこまで明確に定めた選択をしている人はほぼ居ないとは思う。
一時的な感情でないにせよ、そんな先のことまで見通すのは大変に困難だ。
ならば、まず出来ることとしては、現状、現実の把握ではないだろうか。
例えば、自分が生きていくうえで、最低限必要な費用(ミニマムライフコスト)を、知ることが求められてくる。
ひと月にこれだけのお金を確保出来ていれば、命を繋げるというレベルを学んでおくことで、生きやすくなる。
その量は、人それぞれであり、他人と同じ量にしておけば良いというわけでない。
自分が健康でそれなりに快適に過ごせるレベルを見極めよう。
そのための試行錯誤を怠ってはならない。
それを怠るようでは、逃げ、の選択肢を選ばないほうがいい。

逃げ、とはマイナスの意味ではない


ここまでに、逃げ、との言葉を多様してきた。
逃げ、というとはどうしても、現実に適することが出来ずに、人の群れから離れていくだけの行為のように捉えられてしまう。

だが、そこには普通の人生よりも考える力が求められ、また、クリエイティブ性も同時に要する。

常に、考え続けることが大切だ。
考えることは、習慣で身につく。

考えるといっても、どの様に何を考えていけばいいか分からない、と思うだろう。

自分もいまだに分からない。
だが、分からなくても考えるしかない。

考えるためにブログを書いているし、世界各国のノンフィクション書籍を読み自分の知らない分野や考え方に触れるようにしている。


人生をおおいに逃げよう。