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思考拡張日記。

読者と料理とネットが趣味です。

友達といる時間は、もったいないのか?

友人と過ごすことは、楽しいもので、時間の経過があっという間に感じてしまうものである。

しかし、その回数も頻繁になると、惰性でダラダラと無意味な時間をともに過ごすだけの関係性になる可能性は高い。

何か面白いことは無いかなと、口癖のように言うだけで、とりあえず飲みにいくか、とか、とりあえずカラオケかボーリングでも、みたいなことを繰り返しながら年月を重ねていくだけになってしまうことがある。

そんな時に、なんだか時間を無駄にしているな、みたいな感覚を強く持つ。

自分が大学生とき、このような気持ちに頻繁になっていた。

お金も無いし、特にしたいこともない。
ただダラダラと時間を捨てる毎日。
誰かの家に集まって鍋をつつきながらテレビゲームをするか、大衆居酒屋で安酒をあおるかの日々。

かなり時間を浪費したとは思うが、当時はそんな生活を送ることしか選択肢が見えなかったので、仕方がない。それしか選ばざるを得なかったのだ。
そんな時間をまとめて使えるその期間に、もっと他のことに力を入れればと思うが、今の知識を持った上での判断なので、結果論でしかない。


【目次】

能力を身に付けたのは1人の時間だった

そんな、ただつるみ続けるだけの日々を過ごしていたのだが、そんな中でも、1人の時間が全く無かったわけではない。
1人で黙々と作業していたこともある。

例えば、楽器の演奏だ。
当時、ドラムに熱中していたので、四六時中、自分の好きなのバンドのドラム演奏をiPodで聴いていたし、何処にいてもイメージトレーニングを欠かさなかった。
自宅では延々と、リズムパターンの訓練と、YouTube動画での無料講座を視聴して真似をしていた。
実際に短い期間だがバンドも組んだし、スクールにも通った。

メタルなどのハードな音楽を好んでいたのでツインペダルの練習もしていた。
学校の授業中に、ゆっくりと音を立てずにかかとを付けて、つま先だけをパタパタも上下させる訓練もしていた。

他には、その当時インターネットラジオ、というかニコニコ生放送にもハマったので動画配信の方法や設定を調べたり、放送の企画を考えて他の配信の人たちと交流したりみたいなこともしていた。

そして、そういった時間は全て1人の時間だった。

何の能力かとまでは言えず、それが現在何の役に立っているのか、ということについてはハッキリと明記できないが、少なからず自分の中で痕跡を残せたな、という想いは抱けている。


常に一緒にいることが、友達の定義ではないと考えている

会う回数が多ければ友達であり、数年に一度しか会わない関係となれば、それはもう友達と呼べなくなるのだろうか。

大学を卒業した後、転職活動の時、面接練習のためにハローワークに通っていたことがある。
自分を受け持ってくれていた女性スタッフに模擬面接中、次のような質問をされたことがある。

スタッフ「友人は多いですか?頻繁に会うのですか?」

といった内容のものだった。

自分はあまり会わないと答えたのだが、それに対して、彼女は「会わないのならそれは友人ではないのではないですか?」

といったことを返答してきた。

ぼくは強い違和感を覚えた。

何年も会わなくても、まるで昨日会ったかのような感じで互いを迎え合える関係性こそが、友人なのではないか

ただ集まればいい。
ただ一緒に居ればいい。
それは違うのではないだろうか。

孤独の時間で自己を深めておくことが大切

それぞれが自分の時間、自分の世界を過ごすなかで、オリジナリティを深め、自分なりの研究分野を追求しておくことで、会った時に良い関係性がそこに生まれてくるのではないだろうか。

ただ、共に過ごした過去の時間についての思い出ばなしを延々と繰り返すのみでなく、将来に向けてというか、今、そしてこれから自分は何をしていきたいか、何をしているか、ということを持った上で、話すほうがいいのではと感じる。

そしてその様に過去にいつまでも固執せず、未来のことを語れる人間になるには、孤独の時間が必ず求められてくる

結局は、友達といる時間はもったいないのか?

結論としては、もったいなくもあり、全てが無駄とは言えない


過度な交流は確かに無駄といえようが、孤独の時を踏まえた上での交流はよいと感じる。
そのバランスをうまく取れるように生きることが大切だ。

一時期流行った言葉にマイルドヤンキーなるものがある。

いつまでも地元に残り、狭い関係性のなかで生きる若者たちを指す言葉だ。

マイルドヤンキー は、マーケティングアナリスト・原田曜平(博報堂 ブランドデザイン 若者研究所)が、2014年1月に定義した概念。 地元指向が強く内向的、上昇志向が低いなどの特徴がある。

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何をするにも一緒。常に周囲の友人たちと価値観を共有し続けたい。といった傾向に彼らはある。

友人と過ごす時間に全てを捧げてしまっている人々は皆、マイルドヤンキーと呼べるかもしれない。

決して、狭い関係性のなかで生きることを全否定しているわけでもなく、そこに幸せが無いとは思わないが、もったいないの分類に当たる友人関係になっている気はする。


距離感をうまく考えながら生きていく


誰かに強く依存してしまうことは、何か問題が起きた時にその人物に責任を求める結果になったり、自己を喪失する可能性が高い。集合知として生きるのでなく、自分は個人であることを自覚し、周囲との距離感を考えていくべきだろう。