思考拡張日記。

日々感じたこと、学んだことを文章にしています。

時間がもったいなくて、他人に会えない。


人と会う時間がもったいないと感じてしまう。


誰かと休日を過ごすことへの抵抗感が強い。

「その間に何冊の本が読めるな」とか、「このお金で何日分の食費が賄えるな」とか、そんな浅ましいことをつい考えてしまう。

こんなことを言い続けていると、誰からも休日に誘ってもらえるなくなるとは思うけれども。


【目次】

そもそも長時間、他人といることが窮屈になる

長時間、誰かと、特に少人数とかで共に行動することがきつい。
付き合っている相手とか、気の合う友だちとかならいいけれども。
最初の数時間はいいが、ある瞬間を超えると途端に電池が切れたように嫌になる。

もうそのあとは、(早く帰りたい)しか自分の中で出てこない。
ダラダラと意味もなく話すのが好きな人々とだと、帰るタイミングを見失ったりで大変だ。


飲み会とかも、すぐに帰りたくなる

飲み会に意味を求めるのが間違った行為とは分かってはいるが「延々といつまで同じ様な議題を繰り返しているんだ」とか「なんでそんな下らない話を聞かされ続けねばならないのだ」とか考えてしまう。
そうなると、もう話なんて頭に入ってこない。「へえー」とか「ほー」とかで片付けてしまう。




平等に時間は流れているが

人類に渡された時間は平等で、誰もが皆、同じように年齢を重ねて老いていく。ならば、少しでも差をつけたいというか、何かを学びたいなという気持ちがでてくる。

人と会うことで学べたり、知る世界も沢山あるのは理解している。また、個人では生み出せない力みたいなのものを、人間が集まることで発揮出来るのも分かっている。



個人の時間が鍵

だけれども、そういうのは個の力をそれぞれ蓄えた上で成立することである。個人それぞれが努力というか、自己の世界を深めておかないと、意味がないんじゃないかなと感じている。

なので漠然と集まるとか、意味もなくお金を浪費しながら酒を飲んでダラダラする、みたいな行為がどうしても出来ない。

1人の時間に作ったエネルギーみたいなものを、集まった時に他人と交換し合うような感覚が好きだ。なので、個人の時間が全ての鍵かなと思っている。


インターネットのおかげで、集まることも必要なくなった

個人から集合へと思っていたが、今はインターネットのおかげで、場所を用意する必要性すらなくなってしまった。
SNSやLINEなどを利用すれば、幾らでも無限に交流が可能なので、わざわざ会う必要性が少ない。
会わなければ成立しないイベントも多々あることは分かってはいるが、大半はネット上で済ませてしまうだろう。

ネットの使用料金だけ払っていれば、移動時間もコストもゼロ円で済んでしまうので、とにかく便利である。

データの共有も簡単に出来るし、ネットがあれば本当に何でも可能だなと思う。


どうせ死ぬなら最大限に、自分の時間を遣いたい

どうせいつかは死ぬ。
それは不可避な現象で、必ずその瞬間は訪れる。

ならば、自分のしたいことをどんどんやって、好きに時間を遣うほうがいい。
僕は、お金よりも時間のほうが何倍も大切だと考えているので、とにかく時間を奪われることだけは避けるように生きてきた。


仕事が終わった瞬間に職場を去りたいし、断れる仕事は全て断ってしまいたい。
無理して働いてお金を貯めるよりも、自分の好きなように時間を過ごして、心に豊かさを作りながら、工夫して少ない支出で楽しめる環境を作っていく。そんな生き方が好きだ。


自分の世界を他人に話せるようになれる

そうやって自分の生き方をマネジメントしながら、少し変わった過ごし方をしていると、自分なりの価値観とか思想が出来てくる。偏見といってしまえば、それまでなのだが、独自のものごとの捉え方とか、見方が構築されていく。
そうなると、他人に自分の意見とか考えを伝えるのが得意になってくる。また、それが楽しくなる。



面白い人たちと繋がれてくる


そうなると、同様に、自分の世界を持った人たちと出会えてくる。
そちょっと変わった人とか、面白い人とのネットワークみたいなのが出来上がり始める。そういった関係性は人生を豊かにしてくれる。
自分がこれまでに持っていなかった情報を貰えることが多いし、また、あまり考えてもみたことがないような視点からの話を聞かせてもらえたりする。


個人の時間をマネジメント出来る人は、必要以上に他人から時間を奪わない

個人の時間の価値をよく知っている人間は、集まったりしてもアッサリと解散する。損切りというか、切り上げ時をよく理解している感じがある。
逆に、個人の時間の価値・意味を分かってない人は意識なく、他人から平気で時間を奪う。時間泥棒といってもいいくらいに。

あっさり、ちょっとずつの関係

あっさりしていて、ちょっとずつ関わっていくような繋がりというのが、1番精神的負担が少なくて良い。
そして、そういう関係のほうが長続きしたりする。
関係性が悪化する可能性も低いし、イライラすることも無い。
そしてまた、時間がもったいないと思われることもないだろう。