思考拡張日記。

日々感じたこと、学んだことを文章にしています。

コミュ障の僕が、会社に4年ほど勤めて感じたこと。

「自分のしたいことを仕事にしなければ」とか「適性はどうなのだろうか」といったことで、就職活動中の学生は悩み続ける。

自分自身、就活中にずいぶんと苦労した。苦労したというのは、それまでの人生において、自分がどんな仕事をしたいと考えたことが無かったという面においてだ。
全く想像したことが無かったし、そもそも普通に企業に就職したいとか思ったことが無かった。


【目次】

働くことが怖かった

特別なことを出来るとか思っていたわけではないが、なにも考えずにボーッと生きてきた自分なんかに務まる仕事があると思えなかった。

他人とコミュニケーションを取ることが本当に苦手だったし、責任を負うということが無理だった。バイトとかでも、少し難しい作業は誰かにやってもらっていたし、分からない時は適当にヘラヘラしていたら手助けが来た。
また、1番楽なポジションに回してもらったりして生きながらえてきたので、働くことが恐ろしかったのだ。

楽なポジションづくりのコツ

楽なポジションに回してもらうには、とにかくダメな奴を演じておくことがコツである。
まず、極度の緊張状態にあることを周囲に伝わるくらいの顔、声、表情を作る。問題にならない位のヘマや勘違いミスを繰り返したりしていると、だんだんと簡単な業務を与えてもらえるようになる。

ただ、一歩間違うと「なんだこいついい加減にしろよ」と思わせてしまう可能性もある。
それを避けるポイントとしては、低姿勢を続けることである。素直に謝り、決して逆ギレするような横柄な態度をしてはならない。また、腐ることなく、なんか一応は一生懸命に真面目にやっている感を出すことが求められる。
そうしていると、責められることなく、「なんだか許して貰えるキャラクター」を確立できる。

社会人になってからは、なかなかそのポジションを作ることは難しい。やはりそれなりに責任がついて回るので、ミスを繰り返したりすると居場所がなくなる。

嫌われない人間になることが大切

低姿勢で素直に謝って、あとは他人の話に耳を傾ける習性を身につけておくと、嫌われることはない。働くうえで嫌われないというのは、とても大事なことだ。

謝ったり、お礼を言うことをやっていれば、どうにか生きていける。

自分は謝罪が遅れたことで、結構命取りな感じになった時期もあって、死にそうだったけど、いまはどうにか回復してきた。

仕事はなんでもいいからやってみる

何年か働いてみて思ったこととしては、仕事は何でもいいんじゃないかなということ。

どうしても〇〇の仕事じゃなければ、働きたくない!と強い意志を持って、職業選択をすることもいいが、ある程度の柔軟性を兼ね備えたほうが楽である。
就きたい職に就けなかった時に、メンタルをやられてしまう可能性もあるし、今後の人生をどう生きていけばいいんだと、人生の目的すら見失ってしまうこともある。

生きていく上で必要最小限の費用が手に入ればいいや、くらいに考えて仕事を選んだほうがいい。

また、したいことが何もないって場合は、とにかくハード過ぎず、自分でも務まりそうな業務内容や業界を無難に選択するようにしたらよい。

自分探し的な、自己分析にはまって、適した仕事は何だろうかと考え続けるよりも、とりあえず働いてみることで、なんだか先に進める。

富と名声と権力が欲しい!とかそんな強い欲望でもない限りは、無難な人生を送りながら、自分の好きなこと、したいことを、個人的にやっていくスタイルが1番幸せなのではないだろうか。