思考拡張日記。

日々感じたこと、学んだことを文章にしています。

働く日数を減らしてみたら、世界の広さを感じました。


最近、必要最低限の日数しか働かないようにしました。

しばらく休日出勤もして、無理しながら働いていたのですが、疲労の積み重ねにより、仕事でのミスが連発したりで不幸な日を過ごしました。


「なんで、こんなに頑張っているのだろう」と疑問に感じ、どうにでもなれという感覚で、最小限の労働に留めることにしました。


有給休暇を比較的、自由に取得できる職場ですので、その権利をフルに活用することにしました。


空いた時間で何をしているかと言えば、本を読んだり料理をしたり、散歩したり温泉に行ったり、人と会ったりと自分の好きなことばかりしています。

また、少しでも他にお金を得る方法は無いものかと調べてみて、それを試して少しばかりの収入を手に出来ました。


そうやって本業と関係のないことをし続けていると、仕事のことが本当にどうでもよくなってくるというか、「世の中はこんなにも広いんだな」みたいな感覚になってきます。

仕事の場を全てに考えるのは、寂しい


自分の居場所はここ(職場)だ! と強く思い込むのはあまり良くないと感じます。
まず、なんと言いますか、そういう人の話はすごく退屈なんです。
仕事以外の話題が一切出てこないというか、他に興味あることはないのだろうかという感じです。

実際に、「趣味はあるのか」とか、「休日は何をしているのか」と尋ねてみると、趣味は何も無いと言ったり、職場の人たちで集まって飲み会といった感じの答えが多いです。


仕事のことだけを考えるのが、大人みたいな風潮でもあるのでしょうか?


面白い人間が好き


自分は考える面白い人が好きです。
面白いとはどういうことでしょうか?
自分が思う面白いとは、テレビでバカ騒ぎをしているだけのようなお笑い芸人のことを指してはいません。口達者なモノのことを指しているわけでもありません。


面白い人とは、「無駄知識を豊富に持っている人」であったり、「変なことに興味関心を強く持っている人」などが当てはまります。

実社会では役立たないようなこと、に強く惹かれている人と昔から仲良くなる傾向にあります。

無駄を愛する人々

私が仲良くなる人の傾向は、「ちょっと変わった人」や「ちょっとダメな人」というのがありましたが、いまいち共通項がありませんでした。

なんだろうかとずっと考えたりしていたのですが、「無駄知識を持っている人」ということが分かるようになりました。


お金に直結しなくてもいい


世の中のだいたいのことが、お金を基準に判断されていきます。

それは、稼げることなのか?

お金になるのか?

稼げないのならば、意味は無いと切り捨てられてしまいます。

生きていく上で必要最低限のお金を確保しなければなりませんが、お金だけで判断を下していくのは、なんだか寂しい気がします。寂しいというか、味気なくあります。


面白い人にお金を回していくような、世の中がいい


自分が仲良くなった、面白い人というのはあまりお金の無い人が多いなと感じます。
「普通に生きる」という面においては、あまり得意じゃないのだと思います。


なので、沢山のお金じゃなくていいので、面白い人にお金を渡していけるような世の中になったらいいなと思います。
渡すといっても、それは現金を手渡すことだけではありません。
例えば、「食事を奢る」といったようなことでいいのです。
「飲み物を奢る」くらいの軽いことでもいいのです。

職場に閉じこもり過ぎない

会社という場は、実に閉鎖的な空間です。
そこに長い時間いつづけると、その場での地位や肩書きが自分の価値の様な錯覚に陥ってきます。

その結果、街中で横暴な態度を取る中年サラリーマンが発生するのです。
大抵、そういう人は後ろに2、3人の部下らしき男たちを連れています。

所詮、「全てはゴッコ遊びに過ぎない」のです。

幼い頃におままごとで、何々屋さんをやっていたのと変わらないことです。

それが少し大きくなって、組織化したに過ぎません。


「仕事なんて適当にしたらいい」とか、「真面目に生きている必要はない」といったことを伝えたかった訳ではありません。


もう少し多様な価値観を持ち、心にゆとりを作って生きていくと楽しくなるなと感じたという話です。

働く日数を減らしてみた結果、その様なことを思いました。