- 夜は1日の疲れがピークに達している
- 朝、もしくは昼からの付き合いをお願いしたい
- 自分のルーチンを壊されることへの抵抗感
- ルーチンがあると、自己管理しやすい
- 決めごとが無ければ、周囲に振り回されっぱなしになる
- 全ては自己責任になっていく
- 自分を守れるのは自分だけ
夜遅くまで外出したりして遊ぶことが苦手になった。
昔は、呑みに行ったりして深夜まで遊ぶのが楽しいことなんだ、若いってことなんだ、みたいな気持ちを持てていたのだが、違和感を覚えるようになった。
夜は1日の疲れがピークに達している
まず自分の体力的な問題から言うと、夜に遊ぶのはとても辛い。
そもそも早起きが習慣化しているので、夜型生活人間と比べて、夜を迎えた時点での1日の稼働時間が数時間も多くなっている。それでいて、同じパフォーマンスを発揮するのは、どだい無理な話なのだ。
そして、とりわけ自分はとにかく疲れやすい体質なので、外で多数の人間たちと交流し続けるとボロボロになってくる。
これはもう、どれだけ仲の良い相手だろうが、例えば好意を自分に寄せてくれている相手だったとしてもキツくなってくる。
朝、もしくは昼からの付き合いをお願いしたい
1日のうちで交流可能な時間帯は、飲食店や娯楽施設の開店時間を考慮しても、午前9時くらいからである。
朝から集まったりすれば、まだ睡眠から覚めたばかりで体力も残っているのでそこそこ快適に行動できる。
だいたい夜は生物は眠りにつくべきだと思う。
人工的に無理やり灯りを作り出してまで行動をしようとするのは間違っている。
日の入りと共にその日の活動を終了し、明日のために体調を整える態勢に入るべきだ。
自分のルーチンを壊されることへの抵抗感
長年生きていると、自分がある程度快活にやっていけそうな行動パターンが決まってくる。
例えば自分の場合は、夜は10時半くらいまでには睡眠に入っておくと次の日もうまく行動できるとかがある。
夜ご飯は、夕方4時過ぎから6時くらいまでの間に食べるようにすると寝る頃には空腹になってきているために、良質な睡眠を得られるとかもある。
空腹状態で寝た時の、体力の回復力は眼を見張るものがある。
後は食べ過ぎないことも心がけているし、味噌汁は1日1回は飲むとか、野菜も何かしら食べるとかを決めている。
お金の遣い方に関しても、ほとんどルールが出来上がっている。
1人での外食は必ず500円を超えないようにするとかもある。
ただし自分が決めた生活のルールは決してギチギチに守るようにしている訳では無く、もちろん例外もある。
だけど、それは自分が納得いった場合のことである。
周囲に強要されてとか、流れで自分もせざるを得ない雰囲気とはダメだ。
普通に抵抗するし、急に帰ったりする。
ルーチンがあると、自己管理しやすい
行動ルールを決めておくと自分の今の状態を分析しやすくて、とても良い。
野菜不足で肌が荒れてきたぞとか、今日はたまたまコーヒーを飲んでしまったから全く眠りに付けなくなったんだなとか、なんだか今日はイライラしがちなのは昨日の夜更かしが原因かとか、分かる。
お金の管理もしやすい。
わざわざ収支を記録したりしなくても、どこで遣い過ぎたかに直ぐに気付ける。
決めごとが無ければ、周囲に振り回されっぱなしになる
もし、自分に決めごとが1つも無ければ、間違いなく周囲の人間たちにいいようにされてしまう。
どんな誘いも断れなくなるし、自分が何が1番心を安定させることが出来るかも不明確になってしまうだろう。
それはとても不幸なことだ。
自分を見失って生きていくことほど、しんどいことはない。
自分はこっちの生き方のほうが楽だなとか、幸せに思えると感じたならば、それに従う。
全ては自己責任になっていく
他人は責任はもってくれない。
例えばクルマの運転では、後ろ車が凄いスピードで煽ってきたから自分もスピードを上げたら、前方のクルマに突っ込んでしまったって事や、人をはねてしまったって事も起こり得る。
「俺が煽ったばっかりにこんな事になってゴメンな」なんて言って助けてくれるわけがない。
ギャンブルや投資だって、他人の助言に従ってその通りに財産をつぎ込んでみて、破産したとしても助けては貰えない。
「俺がいい加減な助言をしたばかりにゴメンな。ほら、全額負担するよ」なんて事も無い。
全ては自己責任という言葉で片付けられてしまうのだ。
自分を守れるのは自分だけ
なんだかとても話が逸れてしまった。
夜遊びが苦手って話じゃないのかよとなるが、そこから周囲に惑わされんなよみたいな話に発展していった。
まあこの予測不可能さが文章を書くことの面白さではあるのだが...
そして結論としては、自分の身は自分で守れみたいなことになっていく。
他人に合わせ過ぎて無理すんなよ、という言葉で締めくくりたい。
おわり。