思考拡張日記。

日々感じたこと、学んだことを文章にしています。

コミュニケーションはプログラム。



言葉無くしても、それなりの意思疎通を図ることは出来る。
これを信じきるのはどうかと思う。


これくらいのことは説明を省略しても伝わるだろうとか、人間はコンピュータと異なり正確なインプットは不要で、理解に至ってない部分については自分で予測を立てて補ってくれるだろうとかの見方を自分は正しいとこれまで信じてきていた。

しかしながら、それは間違いであったのではと思うようになった。


いわゆる「行間を読む」

相手が言わんとすることを読み取って、その部分を補足していく。この力が重要であるかのように思われているが、人間にも機械と同レベルでの正確な情報提供をすべきなのではと考えるようになった。


自分のコミュニケーション不足、言葉不足を棚に上げて相手を批判してしまうのは間違っている。
自分の伝え方、教え方に問題がないかについて再度、思案してみるべきである。

人を使ったり頼ったりする際には100%を相手に求めてはいけない。
もし、自分にとっての完璧を実現したいのならば、何もかも自己処理で片付けてしまい、アウトソーシングするべきではない。

6割から7割ほど伝われば良しとし、自分でしてしまう方が早いと思えることに関しては済ませてしまうのもいい。

また、相談を相手に持ち掛ける際にも、なるべくは自分の考えや案を提供した後に、意見を求めるのがいいのではないだろうか。


コミュニケーションはいつまでも不完全で、思いのままにはいけない。

完全なるコミュニケーションを求めるのならば、プログラムを組むように1つも余すところ無く、正確に言語を使う必要性がある。


おわり。