先日、購入した星野智幸の『俺俺 (新潮文庫)』を読み終えた。
ファーストフード店で、たまたま拾った携帯電話で主人公が何となく俺俺詐欺をしてしまったところから物語は始まる。
俺俺詐欺で騙された母親がなぜか、主人公のことを本物の息子と認識し、そのまま一緒に生活をスタートする。本物の親には息子と認識されなくなり、主人公は別の俺になった。
そこまでは世にも奇妙な物語的な不思議な世界感が保たれているのだけれども、その後はどんどんメタ的な世界になっていく。
様々な周囲の人間が俺になっていき、男女問わず全ての人間が俺になる。
他人と自分との境界線がどんどん崩壊していき、他者であるはずなのに自分と認識できるようになる。
めちゃくちゃな世界のようで、深層心理を上手く表現した哲学的なストーリーだなと感じた。
意識せずに生活しているうちに、自分は何処にでもいる誰かと、何ら変わりの無い人間であることにはたと気付く。
均一化された大量生産のパッケージ商品的な自分。
そこから強い自我を覚え、「そんなはずは無い。周囲の人間とは自分は違うのだ」という反発的な要素を持つ。
それと同時に、自分と感覚の違う、理解し合えない存在は抹消したいとの正反対の欲望も産まれる。
最終的には、俺が俺をどんどん殺戮していくという、終末世界の終焉に向かっていく広大なストーリーには度肝を抜かれた。
んー、すごい作品だ。
解説に書かれていた、秋葉原無差別殺傷事件の犯人、加藤智大の証言台でのセリフが印象的だった。
「例えば、自分の家に帰ると、自分とそっくりな人がいて自分として生活している。家族もそれに気付かない。そこに私が帰宅して、家族からはニセモノと扱われてしまうような状態です」
彼はインターネットの掲示板で、自分になりすました他人に、居場所を奪われた話を語った。
自己を乗っ取られ、存在を消された。
それが事件を引き起こすキッカケになった大きな要因だったと話す。
「自分とそれ以外の境界があいまいになりました」
誰からの承認も得られなくなり、その喪失感が激しい怒りへと変わった。
加藤智大の発言を知り、無差別殺傷とは何の意味もないようで、実はその無差別であることに意味があったのだなと感じた。
他者と自分の区別がなくなり、全てがあいまいになった世界では、他人は全て自分である。
全ての人間が自分に見えたのだろう。
本物である自分を見失わないように、"余分な自分"を排除しようと行動したことになる。
この本書の主人公たちと同じでないだろうか。
ちなみに秋葉原無差別殺傷事件は、この本が出版されてから、1か月後のことである。
加藤智大は読んでいたのだろうか…。
- 作者: 星野智幸
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2013/03/28
- メディア: 文庫
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