思考拡張日記。

日々感じたこと、学んだことを文章にしています。

教祖になるには? 教祖になるために必要なポイントを考えてみました。

どうも、あびこです。

 

最近、教祖になってみたいなという訳のわからない願望があります。


といっても教団を立ち上げるとか、宗教施設を作るといったことは実にハードルが高そうですし、そのやりくちも分からないのでとりあえず教祖になるためには何が必要なのかなとか考えてみることにしました。

 

教祖になるために必要なことはなんだろうという話です。

 

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 絶対的な自信

まずは、絶対的な自信は必要かなと思いますね。

自信のない人に誰が付いていきたいと感じますでしょうか。

間違っていても正しくても、どちらでもいい。

まずは、ゆるぎない自信をもっていることが大事だと思います。

 

行動を積み重ねる

自信があるのなら、次に必要なのは態度で示すということ。

目に見えるものを用意するべきです。

目に見える自信とは、行動力の高さではないでしょうか。

いつまでも口先だけでは信者の信頼を得ることは難しいと思います。

実際に自分が動いてみせることで、信者は付いてくるのではないでしょうかね。

分からない・知らないことは素直に認める

知らないことは、知らないと認めてしまっていいのではと思います。

教祖は別に神様でなく信者と同じく人ですので、全知全能になる必要はないのです。

むしろ信者の一人ひとりと知を共有し、集合知として活動したらよいと思います。

なので、自分が分からないことや知らないことは素直に認めてしまい、信者から習えばいいんじゃないでしょうか。

そのほうが信者にとって遠い存在にならずに済むと思いますね。


幅広いジャンルに興味を持つ

幅広いジャンルに対して興味を持つことは大切かなと思います。

人を導くのなら信者がまったく知らない価値を提供するべきですからね。

これまでになかった価値観や見方を与えて、視野を広げる手伝いをすることで、ハッピーにさせてあげることができます。

人がしないことをする

教祖はアナーキストであるべきです。

普通にいい子では、埋もれてしまいます。

なので、反社会的行動をするべきですね。

といっても犯罪行為をしろと言っているわけではないですし、社会規範から大きくハズレたことをするべきでもありません。

自分の意見や感想を述べられるようにする

正しくなくてもいいので、自分はこう思う、こう考えている、という意見や見解を述べられるようにするべきです。

どう思うか尋ねられたときに、「うーん」と悩んでいてばかりでは人を導くことなんて出来ませんからね。

ぶっ飛んだことや気の利いたことを言わなければとプレッシャーを感じてしまう必要はありませんので、気軽に発言していきましょう。

短く強い言葉を使う

キャッチコピーのような短くて印象に残るフレーズを自在に操れるようになることは大切です。一言ひとことの力が強くなりますので相手に印象づけることができます。

偉人の格言や名言を知っておくと便利かと思いますね。

ダラダラと要領をえない話をする人よりも、短く言い切ってくれるほうが聞く方も真実っぽく聞こえるものです。

正しいかどうかでなくて、強く導いてくれる人のほうに魅力を感じてしまうものかなと思います。

他を否定しない

自分の教え以外はすべて否定してしまうってのは間違いです。

それでは人は付いてきませんね。

そのままでもいいのですよと現状を肯定することで救いを与えるべきです。

変わらなくてもいい、今のままの自分でも失敗ではないのだと助けを差し伸べるのです。

弱者への救済

社会的な弱者や障害など身体的な弱者を救うことが教祖には求められます。

すでに満ち足りている相手を助ける必要はありません。

世間から爪弾きにされて居場所がない人、周囲にとけこむことが出来ない人、劣等感を抱いている人。そのような弱き者に新たな幸せの価値基準を与えることが大切です。

実は困っているのだとの気付きを与える

自分は幸せに決まっている、現状に満足している。

だけど、なにか本当の幸福に出会えてない気がする。

完全なる幸福というものはなく、富めば富むほどに上を目指したくなるもの。

どんなに幸せでも、このような心情を持っている人がほとんどだとは思います。そのようなタイプの相手には、実は困っていることがあるのだという気付きを与えるべきです。この発想でいけば、まさにミニマリズムとは宗教のようなものはないでしょうか。

物質社会・大量消費社会に対して、モノを多く持つことで実は不幸になっている、最小限の荷物で暮らすことで本当の自分を見出すことができるのだと教えたのですから。

他との差別化

他との差別化は大切です。

その教祖に従うこと教えを請うことで、見える世界があるのだと思わせることは必須ですね。でなければ、どこでもよくなってしまいます。

ここでやはり手っ取り早いのは、具体的な利益じゃないでしょうかね。

お金が増えた、友達が増えた、家族が仲良くなった、元気が出た。毎日が楽しくなった。と、分かりやすいものを提示するべきです。

徳を積むとか、魂を高次元に運ぶための努力だとか、そういう目に見えないものや一言で伝えられない感覚的な表現は伝達が難しいです。そのレベルにまで達した教えを与えるにはまずは、分かりやすい入り口を用意しなければなりませんね。

救いのなかにいると思わせる

 最後に、救いのなかにいると思わせるということ。

今本当に、自分は幸せになれているのか?本当は騙されているのではないか?など、迷いを発生させてしまっては、信者に信仰をしてもらい続けることが難しくなります。

その葛藤に人は常に悩まされながら生きることが、人生だと言ってしまえばそれまでなのですが。

それでもなお、自分は幸せに違いないと感じさせるべきですね。

 

おわり

ぼくは人を騙そうだとか、操ろうとかは思ったことはありません。

どうせ生きていくなら楽をしたい、嫌な目に会いたくない、頑張りたくないと考えています。余計な努力は極力減らして、肉体的精神的な苦痛を取り払っていきたいなと考えています。いわば、その研究をずっと続けているような人生を過ごしています。

なので、その幸福の追求についての仲間がいれば面白いんじゃないかなみたいな感じですね。

 

ちなみにここまでのことは自分が考えてきたことですが、参考図書として『完全教祖マニュアル (ちくま新書)』を読みました。世界の宗教を読み解き、どのようなロジックで人を導いてきたのかが解説してあり、宗教学の名著とも呼べる本なのではと感じました。ぜひ、この本を読んでみることはオススメしますよ。