思考拡張日記。

日々感じたこと、学んだことを文章にしています。

とにかく読んだ本の数を伸ばすことに躍起になっていた時期が過ぎた。

なにかを学びたければ、ひたすらに数をこなすこと。
まずは質よりも量だ。

そう考え、とにかく空いた時間があれば本を読み続け、図書館にも足しげく通い続けてきた。
2015~2017年あたりが1番本を読んでいた頃だと思う。
難しくて少しも理解できない本でも、最後まで読み終えようと必死だった。どうにかして理解しようと、覚えようと。
気になった言葉はメモを取っていつでも見返せるようにしていた。
読書に対する熱意があった。

本を読むペースを上げるために。

読む量を増やすために、速読を学んだ。
同時に10冊ほどの本を並行して読んだりした。
様々な読書法を駆使してきた。
読んだ本は、読書管理サイトで記録していた。

量の時代が終わった。

今は落ち着いた。
本を読む量はあの頃の異常さはなくなった。(ひと月に30冊~50冊を目標にしていた。)

今は過去に読んだ本で好きだったものを読み直してみたり、途中で読むのをやめたり、そもそも積ん読のままにしてしまう本もあったりと、緩やかな読書へと変わった。

量の時代が終わった。

映画も量を増やした。

映画鑑賞にしても、一時的に1日1本のペースで観ることを続けた。
名作と言われているのに、それを観ずに生きることは恥であり、人としての品位を落とすとか考えて、鑑賞しまくった。
読書と同様、量をこなすことだけを考えて、1.5~2倍速にて鑑賞した。

今は落ち着いた。

ある程度の量を観たことで、気持ちが整理されたようだ。

気になることは量をつめこむ

何か気になるモノが見つかれば、とにかく量をこなすことはおススメしたい。
過去を振り返ってみて、そう感じた。

いきなり質にはいけない。
良いものも悪いものも知ったうえでしか話せない。

知識量も増えるし、ちょっとした引用が使えたり、会話に小ネタもはさめる。

すべてを覚えておく必要はない。
いまはGoogleで検索しさえすれば、ほとんどの情報は見つかる。
ただし、検索するためには言葉を知っておかねばならない。
情報を引き出すためのフックが必要だ。

過ぎた景色

毎日のように通っていた図書館のことが忘れられない。
リュックの中に10冊の本を詰め込んで歩いた坂道を。
夕暮れの空を見上げ、その日の献立を考えながら歩いた帰り道を。
朝から図書館を訪れ、昼には市役所の食堂で定食を食べたことを。
隣町まで電車で行き、通っていた図書館のことも。

あの頃があるからこそ今の自分があり、あの頃を懐かしみながら、かつて読んだ本を手に取り、考えてみる。