思考拡張日記。

日々感じたこと、学んだことを文章にしています。

ものごとを深くとらえること

表面的な浅いところでものごとを捉えていては思考は深まらず、先には進めない。

わかりやすく、価値があると思わせてくら単純明快なことにだけ食指が動いているうちは二流であるといえる(何が?)

何の意味があるのだろうか、それが何に繋がるというのだろうか。
目では簡単に見ることのできない関係性を己の感性にて発見していけるようになることは大切である。
しかし、そのことをどれだけ伝えようとしても伝わることはない。

誰でもすぐに理解でき、即効性のあるものだけを消費したがる。
回り道であったり、時間のかかることを苦手と考える人が多すぎる。

正解がなく、自分なりの解を見つけることを不得意としている。
分からなくても考え続けねばならない。
これは慣れの問題である。

例えば、人に好かれるにはどのような行動を取ればよいのか。
会話を円滑にすすめるにはどのような順序を踏めばよいのか。
これだけでも、あらゆる知は必要とされる。
その背景には様々なジャンルの情報であったり、思考パターンが活用されている。

間合いの取り方であったり、言葉の選び方であったりと細かな配慮が必要とされる。

表面的な浅いところのみでは、そこまで会話の質を深堀は不可能といえる。

人との会話は、本を読む行為と同様といえる。相手をどれだけ読み解くかがキーとなる。
誰とでもそれなりに話ができてしまう人は、その辺の扱い方が長けている。
これは社交性の問題ではない。

どのようなことにでも立ち止まり、考える習慣を持つべきだと伝えたい。
その思考の訓練が、人生を切り拓いてくれることは確実だといえる。