思考拡張日記。

日々感じたこと、学んだことを文章にしています。

昔の生活をたまに思い返す。

これまでに住んだ街のことをたまに思い返す。

あの頃はよかったとか戻りたいとかを思うことはないが、ノスタルジックな気分にはなる。

たまに食べに行った飲食店や買い物をしたスーパー。立ち読みしたり買ったりした本屋。DVDを借りに行ったTSUTAYA。なんとなくふらついた公園や神社。
そんなものを思い出す。




生活のルーティンはだいたい固定されていく。

いつか食べに行ってみたいなと思っているお店よりも、何度か食べに行ったことのあ
るお店ばかり結局訪れてしまう。あとはマックやケンタッキー、サイゼリアみたいな何処にでもあるチェーン店。
人は馴染みのあるものに惹かれてしまう。
新しいことを始めるのにはエネルギーが要るし、不安要素もある。
だけど、知っていることや経験したことについては余計な気力を使う必要がない。
だから油断していると同じような日々を過ごしてしまう。
それこそスーパーひとつとっても、同じルートで歩いてしまうし、いつも同じ食品ばかりを買ってしまう。
いくらでも選択肢はあるはずなのに、今自分が選んでいるものが"ベストに近いはず"という錯覚すら引き起こしてしまう。
当然、何も考えなくて済むということも理由にはある。人はなるべくは怠けたいし、楽な方を選びたがる。


意志の力に頼るっての本当に無駄なことだから、環境を変えてしまうのが手っ取り早い。

日常を変化させるには、引っ越しや転職がいい。どちらもエネルギーは要るし、だいぶ面倒なことである。だけど環境を変えることで1度すべてを壊すことができるし、また新たな日々を過ごしていけるようになる。

これまでに何度か引っ越したが、その度になんだか少しだけ前の自分とは違うものになったような感覚がある。

海外旅行もそれこそ環境を変えるという意味では最高に良いものだけれど、お金も時間もかかるし結局は一時的なものなので、そこまで魅力的には感じない。
インドとか行ってみたいなとずっと思ってはいるけど。ボリウッド映画はよく観るので。



昔の生活を思い出してみたり、住んでた街をGoogleマップのストリートビューで観てみたりするのは楽しい。そんなこともあったなって。
でもまあそれまでというか、思い出して終わりというか。

また新しい場所に住んだり、人と出会ったり、仕事が変わったりとか色々とこれからも起きたりして生きていくのだろう。

以前ほどに知的好奇心がもうないので、わりと引きこもっていることが多いし、同じようなことをしてしまう。
そんなときは環境を変えていくしかない。

ぼくがこれまでに影響を受けた作家たち。

これまでに影響を受けた作家を羅列していきたい。

とにかくその人の考え方や手法を、自分のものにしたいと思わせてくれた人たちについて。

 

1.宇都出雅巳

 

 

 

宇都出雅巳さん。記憶術や勉強法、速読法について書かれている著書。

自分が読書や勉強を始めるきっかけになったお方。

本を読むことは苦手だったし勉強は本当にできなかった。

今でも勉強が出来るようになったと言い切れるわけではないが、どうやれば暗記できるかとか理解していけるかとかの学習方法自体にはある程度の自信がもてるようになった。

根性がないとかやる気やモチベーションが自分は低すぎるのだ、とか、記憶力がめちゃくちゃ弱いから仕方ないといった言い訳を自分にしなくなった。

宇都出雅巳さんの本に出会ってなかったら、今の自分は存在していないといっても過言ではないと思う。

速読もできるようになったし本当に色々と学ばせていただいた。

 

2.稲盛和夫

 

 

京セラや第二電電(現KDDI)などを創業し、日本航空(JAL)を再建した実業家。

稲盛和夫さんの本から人間力や仕事力について学んだ。

自宅の壁に稲盛さんの格言を貼っていたほどだった。

人並み以上の努力をしろ、人間として何が正しいかを考えて生きなさい、ひとつのことに打ち込むことが結果的にすべてのことを知ることとなる、といった言葉などを書き写していた。

辛いときや自分の生き方に自信を持てなくなったときには、稲盛さんの言葉を念仏のごとく小さくつぶやいて心を沈めていましたね。

 

3.成毛眞

 

 

日本マイクロソフト社の元社長。

成毛さんの「こだわりを一切もたないことをこだわりとして生きる」という考え方にひどく感銘を受けた。

始めたことはずっと続けなければならないという呪縛からも脱することができた。

興味の移りゆくままに、その時はまっていることをどんどんやっていきなさいという主張にはとても心を救われた。

また、成毛さんのおかげでノンフィクションジャンルの本の面白さを知ることができた。

現実は小説よりも奇なり、とは本当なのだなと痛感させられた。

本は10冊同時に読みなさい、本を読まない人はサルである、といった言葉には刺激を受けた。

自分の興味の幅、知識量を増やしてくれたお方だ。

 

4.椎名誠

 

 

日本で1番有名なエッセイスト、旅行家。

10代の頃に『岳物語』を読んだことはあったが教科書に出てくるような文章を書く人というイメージしかなく、読書の対象とはしていなかった。

大人になってから椎名誠の本の面白さを知り、椎名さんの本は多分100冊以上読んだと思う。

ぼくはほとんど海外には行ったことはないけれども、椎名さんのおかげで世界の文化や面白い風習を知ることができた。自分ではとうてい行くことのできないような辺境の地などの話を読んでワクワクさせられた。

世界の広さや、自分の視野の狭さを知ることができた。

 

5.pha

 

 

元日本一有名なニート。現在は文筆家として活躍。

phaさんのおかげで仕事や人間関係のストレスから解放された。

お金を遣わなくても楽しいことが世の中には沢山あるのだということを知ったし、

~しなければならない、といった思い込みや強迫観念から脱することができた。

また、文章を書くことの面白さや読むことの楽しさ教えてくれた。

phaさんの本に出会えたことで自分の生き方の軸が定まったなと思う。

 

6.中島らも

 

 

小説家、エッセイスト。

酒に酔って階段から転落し、頭を打って亡くなられてしまった。

自身の作品に負けないくらい破天荒な方で、これぞ作家だと感じさせてくれるお方だった。自分が存在を知ったのは亡くなられたあとだったので存命中から作品を追ってきたわけではないが、中島らもの文章のあまりの面白さにほとんどの著書を読み倒した。

アル中だしドラックもするわでめちゃくちゃな生活をしていたけど仕事にはとても真剣な方で、それこそ死ぬほど働かれていたようだ。

何を書くにしても資料をきっちりと集めて、読み込んで、最後までストーリーを頭のなかで完成させてから書き始めていたと聞く。

中島らもの言葉で好きなものがある。

「もし、あの時あちらの道を選んでいたら、という選択肢は存在しない」というもの。

その時、考え抜いてそちらを選び取ったわけで別の道はどうしても選ぶことができなかったはず。なので、そこに選択肢が他にあったように思えてしまえるが実は最初から一つしかなかったのだというもの。

これを読んで目の覚めるような思いがした。

なるべくして今の自分になっているし、他の自分なんてものは存在しなかったのだということ。今の自分に自信が持てるようになった。

 

 

本は読めば読むほどに、自分の先生が増えていく。

本を読むことだけが人生のすべてではないけど、本を読むほうが人生には彩りがでる。

人を深く知るためにはその人が書いた文章を読むのが一番だと思う。

そうなると本を読むことでその人を理解することができるし、その人が生涯で学んだことを知ることができる。

ここまでに紹介してきた6人以外にも自分の先生となった作家は大勢いる。

自分のなかに何か特別な感情を持てる作家に出会ったのならば、その人が書いた本は全て読んでしまうといいかもしれない。

 

ケンカをしても終わりではない。

ぼくは恋人との喧嘩は終焉を意味することだと思っていた。


例えば喧嘩が増える。
嫌な感情のぶつけ合い、いがみ合い。

喧嘩はマイナスにしか2人の関係に作用せず、溝を作っていくものだとばかり。



妻と出会い結婚するまでは、ぼくは喧嘩はすべて避けてきた。

避けてきたというよりも衝突が起きるようになってくると
「これはもうダメだな。考え方や感覚が違うということだ。もう終わりにしてしまおう」

フェードアウトというか自然消滅的に関係を終わらせていた。

はじめて喧嘩と向き合う

そもそも喧嘩になれば、相手と顔を突き合わせて互いの意見や主張を伝え合うことが、とてもしんどくなる。

なにも話したくなくるというか、
「話すことはない。話してもムダでしかない」
と考えてしまいがちだった。

言い合いなんて、誰でも避けたいに決まっている。

妻は逃げない人だ。
話し合わないと意味がないと言う。

付き合った当初などはその意味が分からなかった。

今はだいぶ分かるよなった。
喧嘩と向き合うようになったから。

喧嘩は終わりではない

喧嘩は終わりじゃない。
感情の赴くままに、相手に暴言を吐き捨てたり嫌味を言うだけだと意味はないだろう。
無理に議論しろまでとは言わないが、話していけば少しずつ前に進んでいける。
相手に言葉で伝えていないことは理解してもらえるはずがない。

なにも言わなくても分かってもらえるはず、だなんて考えは捨ててしまってほしい。

喧嘩をして相手への理解は深まる

相手のボーダーラインが分かっていく。

触れて欲しくない話。
許容範囲。
倫理観。
人生哲学。
思想。

その人を構築しているものが見えてくる。
予測だけではたどり着けない。
話してみなければ分からない。


人を理解するためには実際に会話して交流しなければならない。

自分の臆測のみで、その人物を作り上げてはいけない。


喧嘩をしろというわけじゃない。
だけど、喧嘩を悪く考えなくてもいい。
起きてしまったことはしょうがない。
その先をどう作っていくかは、自分の考え方次第。

人に期待しない、自分にも期待しない。

人に期待なんかしないほうがいい。
期待してしまうと精神衛生上よくない。


無駄な怒りの感情が発生したり、裏切られたと感じることさえある。
すべては勝手に自分で思っていること。

自分のなかで作り出した幻想に過ぎないのに苦しめられる。

若い頃は、期待ばかりしていた。


歳を重ねるにつれて

「自分は自分。人は人」

がうまく染みてきた。

自分にも期待しない

だが、最後の希望。それは自分。
そこへの期待はずいぶんと高めに持ち続けてしまった。

限界を作ってしまうことはよくない。

「やろうと思ってやれないことはない。1人でも出来ている人がいたらそこに可能性はある」
そう考えながら生きてきた。

しかし、自分を苦しめる結果しか招かないような期待はやめたほうがいい。
自分を厳しく律し続けてきたこともあった。わりと甘やかすことなく過ごしてきた気はする。弱い心に負けないようにと。

精神論で戦うことのストレス

「オレならできる。できるはず!」
で、辛い毎日を過ごしてしまうくらいなら、
「まあしょせん、こんなものでしょう」
で生きるほうが良いのかもしれないと思うようになった。

若い頃の無限の可能性とでもいおうか。
まだオレはなんでも出来ると無駄に頑張っていた。
もうそれなりに歳を重ねてきたので、その無限の可能性みたいな幻覚に惑わされることが減った。

必要以上の期待をしなくなった。

人は好きなことしかできないし、
楽しいことしか頑張れない。

興味のないことは頭に入ってこないし、勉強する気になれない。

お金のためだけに生きることは自分の価値観とそぐわない。

誰とでも仲良くしなくてもいい。
興味の持てない相手には挨拶だけしていたらよい。

自分だけで考えたり実行することは効率悪く、負荷も多い。
出来ないことやしたくないことは人に任せる。

誰からも好かれるように、なんて考えなくていい。
嫌われてしまってもよい。


自分はたいした人間じゃない。だから知らないことや分からないことばかりでもいい。気になることは勉強したらいい。



人にも自分にも期待しないように生きる。
期待するから疲れるし、怒ってしまう。

僕たちは誠実に生きていくしかないかなと思う。


日頃の行い。

その人と一緒にいてもムカつかないかどうか。
話していてストレスにならないかどうか。


人には相性があるから何をどう頑張っても合わないことももちろんあるけれども、なるべく合わせることはできる。


挨拶をする。礼儀を重んじる。
マナーを守って秩序ある行動をとる。

少し頑張るだけで相手に「悪い印象」を与えてしまうことは避ける。
生きていく上でとても大切だと感じる。

当たり前のことを当たり前にする


相手に違和感を与えないことは重要。


「え、なんでそんな当たり前の礼儀も守れないの? 」
「なんでそんなことをするの?」


1度、違和感を与えてしまうとその人のイメージは固定されてしまう。

不必要に敵を作ってしまう結果をもたらす。

ネットだろうとリアルだろうと

現実のみならずインターネットの世界でも誠実さは求められる。
むしろ顔が見えないからこそ、きっちりとした対応や言動が必要。

ネット上での交流で
(なんだかこの人はちょっとな…)
と感じた相手は、リアルで会ったときにも

(あー、、やっぱりそういう感じか)

となることが多かった。

ネット上でのやり取りだろうと、結局は人と人との関わりなわけで現実の交流となんら差はない。

誠実に生きていくしかない

余計なことは言わない。
必要以上に他人を攻撃しない。
謙虚につつましく生きる。

その積み重ねで毎日を過ごしていく。

僕たちは誠実に生きていくしかない。

長時間、人と過ごすことに向いていない。

人と話すの向いてないなって再認識した。
根本的にひとりで完結することをやるべきなんだろなと思った。


集まったり話したりすることは好きだけど、上限は2時間くらいか気がする。
2時間を超えてくるとだいぶ自分が壊れてくる。

知らない人と話すの楽しいとか思うけど、それは結局のところ本を読んで知識を増やしたり映画を観て心を動かされるのと似た感覚なのだろう。



無駄に精神を消耗するというか、人がいる空間にい続けることが単純にツライという感じがある。


好きじゃないとか交流したくないとかではない。人と一緒にいる時間に上限がある。



何も言葉を発せなくなるというか、とてもしんどくなる。
無理に話を合わせたりとかはしないし、そもそも何も言わないという選択を取る。

シェアハウスに住むことに興味があるにはあるけど、自分には向いてないんじゃないかなと思った。
わりと孤独に強いというか、ひとりの時間が全然平気なので。

時間や体力のペース配分を好きに扱えることって重要なんだなと感じた。
周囲に合わせることに異常にストレスを感じてしまう。
仕事はひとりで黙々と作業するものが向いているんだろうな。

楽しいことだけをして生きたい。

好きじゃないことに時間を割くほどに人生は長くない。


全く興味がもてないこと

頭に少しも入ってこないこと

もはや苦痛でしかないこと



このようなものは極力、人生から排除するべきだといえる。



面白いと思えることや、気分が高揚することだけを継続したほうがいい。


それがどれだけ稚拙で、周囲からは全くもって理解をえられないことだとしても。



何かしらに特化した変な知識を持っている人は本当に面白い。
誰もが知っていることなど無価値でしかない。いくらでも変わりがいるからだ。
別にその人でなくても、他の人に訊ねればよいからだ。


だが、「その人から是非とも聞きたいし習いたい」と思ってもらえるようになれば一流だ。

その人ならどんな意味をそこに見いだすだろうか。
どんなふうに解釈するだろうか。

このように、その人の言葉を求められるようになることは素晴らしい。

専門家を目指す

自分がストレスを感じることなく続けららるものを見つけたのならば、圧倒的な量をこなしていくことが求められる。

中途半端な経験や量では話にならない。


「どうしたらそこまで知識を増やせるのか?」

「どこで学んだのか?」

「話を聞きたい」

そう感じてもらえるレベルにまでなるためには物量がものをいう。

学ぶほどに世界は広がる

知識や経験、技術が増えるほどに自分の世界が広がっていく。
選択肢も増えていく。

広がると同時に、自分がこれまで何も知らずに生きてきたことも痛感させられる。
いかに頭を遣わずに過ごしてきたかなども。

その気付きはプラスの作用になる。
まだまだ学ぶべきことや知るべきことが世の中にはいくらでも存在していることが分かっていく。どれだけ時間があっても足りないほどに。


とりあえずなんでも挑戦してみるしかない。