思考拡張日記。

日々感じたこと、学んだことを文章にしています。

時間の無駄な付き合い。過去の交友関係に固執する必要はない。


先日、久方ぶりに会った友達がいる。
久々であるのにどうも話が弾まない。なんと言うかつまらないのだ。
んー、趣味が異なるとかそういう話でない気がする。なんなのであろうか。
誰とでもつまらない訳でなく話して楽しい人ももちろんいる。
本を読まない人間の話題など全然つまらない、付き合う必要はないと思っている節が僕にはあるが、それとも違う。
実際に本を読まなくとも話して楽しい人も複数いるからだ。
何だろうか。
仕事に打ち込んでないような人だからだろうか。
何事も否定的に捉え、誰かを賞賛することが素直に出来ない人であるからだろうか。
何だか魅力が無いのだ。
いつまでも小さな金魚鉢をグルグルと泳ぎ続けているような印象を受ける。
ああ、未来の話をしてくれないからだろう。ようやく気がついた。
話してつまらない相手は未来の話を一切しないような奴だ。
過去の話ばかり繰り返し繰り返しして、これからどうしたいとかそういうのが一切出ない人だ。
いつまでも過去の思考に囚われ、新たな思考を決して取り入れようとしない。
そういう保守的な相手に退屈してしまう。


これは僕が大量の本を読むようになったことが関係してるのだろうか。
本を読み続けると付き合う相手が変わるとはそのような部分で出てくるのだろう。

YouTubeで本の紹介動画をあげてる大学生がいて、本を読まない人間を見下すことは間違ってると述べている動画をあげていた。
見下すことはよくないかもしれないが、見下したくなることは普通に分かる。
その大学生は動画の中で読む人と読まない人との違いは話す話題が異なることと言っていた。
だが、そんな表面的なことではないと思う。
読む人は本の話をだし、読まない人はテレビや日常の話題を出す。で、話題がかみ合わないと。
そんなことではない。
あらゆる世間のことに対する考え方が違うのだ。
読む人は何事にも肯定的である。
また、自分の考えも持っている。

なんというか、話していて、そうか、そういう考え方もあるなとか、そんなこと知らなかったなとか、自分の知らない世界を提供してくれる魅力がある。

読まない人は考えが無く、話しても学びが無い。だからつまらないのだ。
読む読まないは、単に話題が異なるだけでないのた。

YouTubeの大学生は見下すような読書人はまだ読みが足りないから相手を見下すと言っていたが、これは間違ってるようで合ってる。

見下すというよりそもそも相手にしない。
色々違い過ぎて、関わる気にもならなくなる。
そういう意味では見下すことがなくなると言えるであろう。

結局本を読まない人はつまらないみたいな結論に向かったが、今回の記事のはじまりとしては、未来の話をしない奴はつまらないというものだった。

前向きか前向きでないかの違いは何なのであろうか。

自分への自信の無さであろうか。
周囲への劣等感であろうか。
世間には流されないという意固地さであろうか。

正直なところよく分からないのだ。