思考拡張日記。

日々感じたこと、学んだことを文章にしています。

真面目にブログ書く人は偉いなー。


正確な情報に基づき、ブログを書く人は凄いと思う。

情報をあつめ、まとめ、それを記事にする。そこまでの根気と労力を割く事がどうしても出来ない。まあ、いいや別に。と、日記レベルのことしか書けない。というか、書かない。
なので、頭の中の曖昧な記憶や感覚で進めていくため、あやふやな表現や話が多い。

読み手としては、情報を得るためにブログを読む人も多いであろうから、適当な書き方ではいけない事は分かっている。
しかし、どうしても一つの記事に対するモチベーションというか、根気が続くのが、良くて5分。それ以上になってくると、書くのをやめてしまう。記事自体破棄してしまう。

こんなんで、いつかは本を出したいなーとか、文章を書く仕事をしたいなーとか、言っているのはお笑い者である。

自分がブログを書くに辺り、絶対できないと思うのが、⚪︎⚪︎に食べました、とか、⚪︎⚪︎に行ってみました。とかのレポ系の記事。

一々写真に収めるのも面倒であるし、経緯を書いていくのも面倒である。
何となく覚えてる事だけ断片的に書くだけならできるが、なんの面白みもないモノになるだろう。

第一、その出掛けた時は、その雰囲気をその場で楽しめればいいやと思っている。
なので持ち帰ろうとか思わないし、何となく、ああ、そういえばあそこに行ったねぇー。なんて言えればいいかなという感じだ。
食べ物にしても、美味しいと思っても、⚪︎⚪︎の何とかはヤバイ!みたいな記事にする気力が無い。美味しいからどうしてもまた食べに行きたいと心から思った事なんて人生で一度もない。
これでは、まるで何にも興味の無い、ツマラナイ人間のようだ。
いや、そうでもない、きっと。多分。
自分にだって行きたいと思うところはある。
古本屋のカタログを見れば、おお、この本屋行ってみたい!と思うし、お!この展示見たいと思えば、美術館や科学館に出向くし、ただ、記録に残すということが苦手なだけだ。

そもそも、自分の場合、その現地に訪れた時点で8割型目的を達成してしまう。

美術館に行っても、券を購入した時点でもう満足してしまう。まだ作品を見てなくても。なので、足早にその場を平気で過ぎ去ってしまう。
人が群がって渋滞してる展示物なんて、見向きもせず通過してしまう。

テーマパークに行ってもそうだ。入園した時点で堪能し終わる。
あとはロスタイムでしかない。

これは何なのであろうか。満足度が高いということか。飽きっぽいのか。ただその場に行ったという既成事実が欲しいだけなのか。
いや、違うと思う。
これは、お金を遣った事への満足感なのだろう。
お金を払った時点で、そのイベント、出来事、モノは自分の領土となる。
別に具体的に個体として手元に残るモノで無くても、現金を払ったという事実が達成感を与えるのだろう。

つまり消費したいだけなのか。お金を遣いたくて仕方がないのか?
いや、そんな筈はない。なるべくお金を遣わずに貯めておきたいし、無駄な出費は避けたい。
だが、遣うことで喜びを感じてるのは間違いない。だから払って満足してるのだろう。
これで一つ思い出した事がある。
二カ月以上前に、西村賢太氏の本をネットオフで三冊注文したが、未だに何の連絡も無い。そして、知ってはいたが、まあ、いいやと放置している。サイトにログインすらしてない。
これは対価を払い本を受け取るという行為が完了してないにも関わらず、気にも留めていない。料金が安かったからか?古本だからか?

何に対してなら元をとらねばと、躍起になれようか?

バイキングならどうだろうか?
ああ、バイキングなら確かに元を取ろうとしているかもしれない。一応は何往復かする。
けれど、これもまたすぐに飽きる。二回取りに行けばもうどうでも良くなる。

だいたいの事にすぐにやはり飽きてしまう。

あ、風俗ならどうだろうか。
これもすぐに飽きるのだろうか。

お金を渡して、何の行為もせずに帰る事なんて出来るのだろうか。そもそも風俗には興味がないから試しに行こうとはならないが、きっと払えば流石に行為に至りたくなるだろう。
それでもならないなら、何なのであろうか。
単に消費をしたくて、お金を稼いでいるのか。
お金とは何なのであろうか?
物、サービスを買う道具であるはずだ。
なのに、買った時点で終わりを迎えるのなら、何を手にしているのだろうか。
お金は遣うだけの物なのか。よく分からないが、とりあえず払いたくなる物なのだろうか。
だが、遣わずに溜め込むだけの人もいるのだから、そうとは言い切れない。
気付けば、お金という物への概念について考えていた。
しかし、今回の記事は、元を辿れば、真面目にブログを書く人は偉いという話をしたかったのだ。それだけを言いたくて書き出したのだ。
かなり迷走したが、僕にはその様な根気は無いため、真似でき無いという結論で終わらせたい。