僕の精神安定剤は、読書とブログである。
どちらの行為も、自分自身と向き合える。そう、自分と向き合う時間を確保することが、心を穏やかにすることに繋がっている。
■本を読むとは、自分を読むこと。
これは、プログラマーであり書評家である、小飼弾さんの『空気を読むな、本を読め』からのセリフである。
事実、本を読んでいると、自分が何を今考えているかがよく分かる。
読んだ時の、心境状態により、同じ文章でも受け取り事が異なる。
やはり、本を読むことは、自分と向き合うことと言える。

空気を読むな、本を読め。 小飼弾の頭が強くなる読書法 (East Press Business)
- 作者: 小飼弾
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■ブログを書くことは、自分を書くこと。
上記の、「本を読むことは、自分を読むこと」になぞらえてタイトルをつけてみた。
ブログを書くことは、自分の頭の中身を視覚化する行為である。
今現在、自分は何に興味があるのか。何を考えているのか。
書くことにより、それをより明確化する。まさに、自分を書くことと言えよう。
自分という存在を深く知っていくことが出来る。
ブログにはそんな奥深さがあるのだ。
先日、イケダハヤトさんの『武器としての書く技術』を読んだ。
その本の中に、非常に心に残る話が出来てきた。紹介したいと思う。
人間、社会を生きていると、それだけで自分というものが希薄になってしまいがちです。
会社に行けば上司の命令を聞いて、怒られないように淡々と仕事をこなすだけ。
自分の意見なんて求められていないので、ただひたすら鈍感になり、ニコニコとマニュアル通りの仕事を繰り返す。
結論、そこに「自分」はありません。
家に帰れば、誰かが作った楽しいコンテンツが、自分の気を紛らわせてくれます。
つまらないと思ったものは見なければいい。
面白い何かがあれば、それを消費する。コンテンツが尽きることはありません。
ただひたすら画面を見て、笑い、泣き、あー楽しかった、共感した、感動した、と、床に就く。やはり、ここでも「自分」は不在です。
自らを表現し、新しい価値を産みだすことのない、ただひたすらに消費者的な態度です。
ブログを用いた自己表現というのは、「希薄になった自分の濃度を高める作業」です。
どうですか?この文章を読んだだけでも、いかにブログが自分を書くことか、よく分かったと思います。
■おしまい。
イケダハヤトさんではないけど、書くことは忙しい日常の中で自分を見つめ直せることに繋がると思う。そして、その書く場として、ブログは最適だ。
日記を書くのもいいが、どうせ書くのならネット上に載せて、自分の思いついた面白いこと、考えていることを発表した方がいいと思う。
そして、もちろん、本を読むことも同時に続けるべきだと感じる。
少なくとも僕は、読むことと書くことにより、生かされている。