思考拡張日記。

日々感じたこと、学んだことを文章にしています。

【書評】人はみな、いつかは死ぬ。死を意識する事で人生の密度が上がる。『不幸な国の幸福論』(加賀乙彦著)

 

不幸な国の幸福論 (集英社新書 522C)

不幸な国の幸福論 (集英社新書 522C)

 

 

人はみな、死刑囚として生まれついている。

 

不確定な未来において一つだけ誰にでも平等に確実に起こりうる出来事、それが死。

しかも、死はいつ訪れるかわからない。そういう意味では、パスカルが『パンセ』のなかで書いているように、私たちは神によって<死刑を宣告されている>ようなもの。

本質的には死刑囚となんら変わらないでしょう。

 

 

人間が唯一知っている未来は、死だ。

 

僕はこの事実が怖くてたまらなかった。よく学生の頃、こんなに勉強を頑張っても、どうせいつか死ぬんだから、無駄なんじゃないだろうかと考えていた。(テスト勉強からの現実逃避に使っていただけでではあるが)

 

先ほど、買ってきた『不幸な国の幸福論』の中に、上記の引用文が出てきて、ぼくは久々に死について考えることとなった。

 

人は、みな自分がいつかは死ぬということを意識していないと思う。

生命が永遠に続くかのように、感じている。

 

 

死を意識することで、時間を活用できるようになる。

 

たまにでいい、年に数回、人は誰もが本質的には死刑囚であり、この瞬間も死に近づいているのだということを、忘れっぽい頭に思い出させてください。

そうすれば、限りある時間を、家族や友人を、そして、自分自身を、今よりもっと大切にできるようになるはずです。

 

僕は死について、これまで意識してきたわけではないが、時間についてはかなり意識している。

もう自分は20代も終わりを迎えようとしている。

20代を過ぎれば、もう折り返し点くらいに僕は考えている。

ならば、無駄な時を過ごしているべきでない、少しでも何かを吸収したい。

その思いから、読書に一念発起し、月に50冊はこなすように、心掛け、読んでいる。

そして、なるべく、全ての時を、「自分の意志で決めた時間」にしている。

なんとなく、漠然と過ごすことはやめた。

ただの暇つぶしという時間を捨てたのだ。

 

死があるからこそ、生きていることがありがたい。

 

限られた時間しか生きられないからこそ、生きていることのありがたさが分かる。

目的に向かって努力をし、希望というものを抱くことができる。

短い命の人間同士が出会い、つながり合えたことの奇跡を喜べる。

死によって命を限られていることもまた、人間に与えられた恵みなのだと思います。

 

 

全ての出逢い、出来ごとを大切に生きていきたい。