思考拡張日記。

日々感じたこと、学んだことを文章にしています。

ネットには無数の才能が散らばっている。


ぼくはインターネットが趣味でして、本を読んでいない間はもっぱら何かしらのSNSやら、WEB記事を読んでいる。

常々思うのだがこんなにもまあ無料で、アート、音楽、文章が量産されているなあということ。
無料だからといい決して質が悪いわけでなく、むしろ、世に名の通った商業品よりも素晴らしく魅力的であったりする。

いいのかな。こんな良い物をタダで見せて頂いていいのな。なんて思いながら眺め続ける。

どんな人が使った物であるか知りたいなとの欲求が高まり、その製作者を調べてみるも、何の情報を得られず、まとまったサイトすらない。
あくまで各所に、少しずつ生産物を残しているのみで、個人サイトすら無い。

なぜだ。なぜなのだ。
作ることに興味はあるが、己事実を主張することには興味が無いのか?身体は実態でなく、その作品たちが実態であり、そこにのみ魂が宿っているのか。

ミームが残れば自分は要らぬということなのか。

ミーム(meme)とは、人類の文化を進化させる遺伝子以外の遺伝情報であり、例えば習慣や技能、物語といった人から人へコピーされる様々な情報がそれにあたる。 1万年前と現代では文明が大きく進歩したが、それはヒトの脳が生物学的に進化した結果ではない。
Wikiより

伝えるものが伝われば、もはやそれ以上のものはないのであろう。

確かにその感覚は分かる。

例えば、ここに自分が文章を書いてる時も、そのような想いが何処かにある。

決して、自分の名を世に知らしめたいとの願望よりも、少しでも考えや行動、気持ちが誰かに伝わればいいなと思っている。それだけのことである。


ネットには無数の遺伝情報が混在している。
パクだのパクられだのは、馬鹿らしいと思えてくる。それは情報がコピーされていっているに過ぎない。人間がこれまでに過去からDNAを繋ぎ、人類を創造してきたことと同じなのだ。

肉体の無い進化を続けている、精神世界のようなものがインターネットなのだ。これまでには目に見えなかったものを具現化させたと考えられる。