僕の十代は全て親の意志により決まってきた。1から10まで。あらゆることが。
そこに自分の考えは在らず、親の考えが僕の考えであった。
黙って言うことを聞いておけばいい。無言のプレッシャーというか暗黙の了解があり、自分の頭を働かせたことなどほぼ、ゼロに等しかった。
そのため、自分の意見を時たま求められても何も答えられない。
どうしたら良いか分からない。そもそもどのように考えればいいのか分からない。
親に〇〇と言いなさい。〇〇をしなさい。
はい、分かりました。と生きてきたので仕方の無いことであった。
2007年の船場吉兆の囁き女将と息子のような関係性であったといえる。
ましてや小中高一貫の私立学校に通っていたため、受験で自分の進路を決めていくとの行為を大学受験時まで経験することもなかった。
中学、高校受験を経験せずにのほほん過ごし、増す増す自分の頭を遣う事はなく時は過ぎた。
バイト禁止、恋愛禁止などの校則もあり、ただ単に学校と家を往復するだけの日々であった。
とりあえず成り行きに任せ、誰かに助けてもらえるだろう。
出来なかったらきっと代わりにやってもらえるだろう。
このような甘い考えが身体に染み渡り、他力本願が当たり前になった。
今思い返せばとてつもなくもったい無い生き方をしてきた。
もっと、自分の意志やら考えを持つべきだった。いや、持ち方が分からなかったのだから仕方の無いこととも言えるが、とにかくもったい無かった。
大学入学と共に上京し、親元を初めて離れた。
そこで初めて自由を得た。この自由とは、自分の頭を遣うことの意味である。
それまではただ親のリモコンにより操作されるロボットでしか無かったのだが、自分を自分自身で操作することを初めて行った。
初めて生きた心地がした。
生を感じた。
そういう理由もあり、自分の人生は大学生から始まったと今でも感じている。
高校までの記憶がほとんど無い。
何も覚えていない。
覚えていることは、何年生の時に何の小説を読んだとか、何の漫画を買ったとか、本にまつわることばかり。
読書の世界には、親の意志が介入してくることが無かったからであろう。そこが自分のユートピアであった。それほどまでに親の影響力は絶大であった。
近年、僕はブログを通して自分の考えや思ったことなどを世に発信していくことが非常に楽しいと感じている。
これも自分を自分自身でコントロールし、自分で何を書くか、何を伝えるかを決めているから面白いのだろう。
自分の人生は自分で決めてこそ、楽しめるものである。