最近、本を読むという行為に対して自分の中で変化がある。
まず、タイトルで満足してしまう。
装丁とタイトルを眺めているだけで読んだ気になってしまう。
以前は、目次とかまえがきとかあとがきを少なくとも目を通していたのだが、今はぼーっと表紙を見ているだけで読んだ気になる。
いやまあ、一応中身も読むんですけどね。
次に、すぐに飽きてしまう。
読んでいる途中でその本に飽きてしまう。すぐに他の本を手に取る。だが、その本も数ページで飽きてしまう。根気が無くなった。かといい、本を読むことは好きなので、また別の本を手に取る。数ページめくっては次の本をというスタイルなので、手元に最低10冊は欲しい。未読のやつを。
感想文を書く気が無くなった。
以前は、本を1冊読み終えたならば、何か感想を書き残していた。いわゆる書評というやつであろうか。
だが、今ではよっぽどのことがない限り、書く気になれない。どんなに面白い本であろうとだ。中身を覚えておくのがまず面倒である。その読んでいる瞬間は覚えているし、ワクワクさせられているのだが、閉じた時には記憶に残っていない。
記憶に残すためにメモを取ったり、付せんを貼り付けたりしていたのだが、それもおっくうになってきた。少しでもラクをしたいといつも思っている。
読書に対する情熱が失われてしまったように思えるが、週に一回位は図書館に行って上限いっぱいに借りてきているし、たまに書店に行って新刊も仕入れてきている。なので読みたい欲求じたいは健在だ。
あえて分析するならば、こだわりがどんどん失われてきているということなのだろう。
本の読み方はこうでなければとか、本から学びを多く得ねばとか、そういうのが一切無くなってきた。まず本を家に置くことが嫌になってきた。出来れば1冊も持ちたくない。知り合いに借りてる本さえ手放したくなる。(きちんと返してます。)
本は格式高いものでもなく、本当に何でもない。
最近、行った読書セミナーで勉強本を多数出版されている先生と話す機会があった。
「誰も読まない様な本を読むことはいいですよ。今までに書いた本は、そういった知識を活かして書きました」とおっしゃっていた。
ああ、やっぱりそうなのかーとボンヤリ思った。
なるべく誰も読まない様な本を積極的に読んできた。だが、内容を覚えていない。
本を書くとなれば覚えておく必要がある。まあ、覚えていなくともすぐに引用出来る環境を整えておけば問題ない。本を手元に置いておけばいいのだ。資料としての本を購入しさえばいい。
だが、囲碁のプロ棋士とか定石を覚えていない人は多いそうだ。定石とは、こういう場合はこう打つのが最適っていう方法・順序のこと。
覚えてないといっても毎日、毎日、定石の勉強はしている。
知識として頭に入れておくというよりも、身体や心に馴染ませておく感じなんだろう。
読書もそれと同じだ。覚えてないけど身体や心に馴染んでいるって状況でいいと思う。