毎日、日々自分が何をして生きてるかとか、何を考えているかとかあまり意識することはないだろう。
今日も仕事忙しかったなとか、今日は久々に呑みに行ったなとか、映画館行ったなとか、残るのはそういう記憶のみ。
なになにをしたっていうイベント名の羅列だけの記録ならば、なんとなく思い出せたりするだろうが、あの時どう思ったか、どう感じたかについては忘れてしまう。
感動したとか、辛かったとか、悲しかったとか一言で済ませるのならば言えるかもしれないが、その時の心情や、そこにあった想いを深く描写するのならば改めて文章として残す必要がある。
自分のなかに起こった変化を分析していくことで、自分がどのような人間であるかを知ることが出来るようになる。
その記録媒体として、ブログは非常に有効だ。
アナログであれば紙を常に持ち歩かねばならないが、ネット上にデータとして残っているため、環境が整っていれば何処からでもアクセス出来るし、よっぽどのことがない限り消えることはない。自分で意図的に消しでもしない限りは。
思考力や感受性や世界を読み解く目を養うためには、頭の中を書き残していく必要がある。
どんなに下手だろうが、どんなに伝わりにくい文章となろうが、とりあえず書いてみるべきだ。
世界は少しずつしか変わらないように、自分のなかのモノも少しずつしか変化は起きない。
だが、着実に進むためにはやるしかないのだ。
誰かに押してもらうわけにもいかない。
自分で自分を押して、引っ張っていかねばならない。