前々回、人に興味がもてないと書いた。
基本的に関心があるのは自分自信のことばかりであり、他人の言動など心底どうでも良いという冷え切った態度はどこから来ているのだろうかと考えた。
その結果、読書からじゃないかとの結論に至った。
ここ数年、真剣に読書に取り組む様になり1人の休日や空いた時間はひたすらに何かの書を手に取ることを実践している。
勉強のためとかでなく、純粋な知的好奇心により突き進んでいるだけである。
まだ自分の知らないことで面白い話や知識を得たい。
自分には出来ないような経験をしている人の話を聞きたい。
自分の中に言葉には出来ないけれども、モヤモヤとわだかまっていた事象を的確に表現しているフレーズや言い回しに出会いたい。
その様な欲求が読書の源となっている。
で、そういった欲望を満たすために様々なジャンルの本を読み続けていると、どんどん自分の中に潜り込んでいくというか、自分との対話ばかりをするようになる。
本で得た知識を他人に披露して親睦を深めていけばいいのだろうが、それよりもひたすらに自分の興味関心ごとや思考回路について知りたくなってくる。
就活生的な表現で言えば自己分析となるだろうか。
読書にはキリがない。
一冊読めばそこから数珠繋ぎに幾らでも読みたい本が出てくる。
本を書くように人間は漏れなく読書好きであるがため、本文に様々な本が登場する。
また、巻末には参考文献として著者が資料に使った本が出てくる。
一冊の本の陰には膨大な本が潜んでいるのだ。
こうやってどんどん読書の罠にかかっていく。気付かぬ内に、抜け出すことの出来ない知の沼地へと誘われていくのだ。
そんなことをやり続けていると他人の事を考える余裕というものが無くなってくる。
誰が何を言おうが何をしようが「ウチはウチ。ヨソはヨソ」と、まるでゲームやケータイをねだる子どもに対しての親の常套句のような事になってくる。
ひと昔前は、常に周囲のことが気になって仕方のない噂好き人間のようなものであった。
他人の目、評価を恐れ続けながら生きてきた20数年間は嘘の様に消え去った。
銀杏ボーイズというパンクロックバンドの曲に「東京」という名曲がある。
歌詞の中で心に響いたフレーズがあった。
人を愛するということはきっと 君が君以上に僕を愛してくれたこと
僕は僕以上に君を愛せていたのかな 僕はそんな君以上に君を愛せていたのかな
ちょっと前までは何を言っているのだろうとあまり意味が分からなかったのだが、今なら分かる。
自己愛の深い人間は心の矢印は自分へと向かうばかりで、自分への愛を超えたものを他人に対して差し伸べることが困難となる。
この事に関しては、僕は子どもでも持たない限り理解できないだろう。
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